ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

クラシックピアノの世界とジャズピアノの世界

 

以下は、20220224にアメブロに書いた記事:

 

クラシックピアノの世界とジャズピアノの世界の違いについて、

私は、半世紀以上生きてきた今までの人生の早い段階で、

なんとなく気が付いていた。

 

私は、幼稚園入園前からピアノのお稽古に通わせてもらっていた。

というのは、

私は、2歳の頃から、テレビやラジオから聞こえてきた歌を

真似て歌おうとしていた(とのことだ)からだ。

幼稚園入園前から中学卒業まで、ピアノのお稽古に通わせてもらった。

昭和のバブル前の時代である。

「ピアノのお稽古」といえば、クラシックピアノのお稽古以外には存在しなかった。

ピアノの先生は、サラリーマンか何かのカタギの勤め人の奥さんのママさん先生だったが、

高校生までピアノ教室で生き残った教え子たちを毎年音大のピアノ科に送り込む、ヤリ手の先生だった。 

そして、そのピアノのお稽古は、

バイエル⇒ツェルニー⇒ブルグミュラー....と、

クラシックピアノのお稽古の王道の順序で進んでいった。

ピアノのお稽古から帰ってくると、

私が生まれ育った家の娯楽はテレビしかなかったので、

テレビまんがや特撮ヒーローものや、レッツゴーヤングやドリフなどをよく見ていた。

そして、子どもの私にとっては、ツェルニーやブルグミュラーよりも、

テレビから聞こえてくる歌や音楽の方が、

はるかに魅力的な音楽に聞こえた。

ピアノの先生は、クラシック音楽以外の音楽を音楽と認めない人だった。

親は音楽のことをほとんど知らなかったので、

クラシック音楽イコール高尚な音楽と思っていたに違いない。

私は、ピアノのお稽古では、落ちこぼれ生徒だった。

ツェルニーもブルグミュラーソナタもなにもかも、

ピアノのお稽古で教わる曲の良さがちっともわからなかったので、

練習に全然身が入らなかった。 ところが、

小学校高学年になって、

ピアノのレッスンの内容に即興演奏と変奏が加わったとたん、

先生の私を見る目が変わった。

どうやら、私は、

先生が即興や変奏を教えてもいないのに、

ツェルニーソナタショパンを見事に弾きこなす生徒たちよりも、

私が最初っから即興演奏と変奏ができたからだったようだ。

先生は不思議に思ったかもしれないが、

私にとっては、別に不思議でもなんでもないことだった。

だって、

レッスンで教わる曲がつまんないから、

それらを練習する代わりに、

テレビから聞こえてきたまんがの主題歌や歌謡曲

聞きよう聞き真似でピアノで何時間も面白おかしく弾いたり、

くだらないテーマを決めて勝手自由にピャラピャラ即興で弾いていたからだ。

ところが、

小学生から中学生になるにつれて、

私にとって、どうしても聞こえない音が盛り込まれた音楽が増えてきたように感じた。

それらの音楽を聞きよう聞きマネで弾くことは、私にはできなかった。

大半の部分は聴きとれるのだが、

ここぞ!という、曲のキメ的な部分に、

まったく理解できないような音を多用した曲が増えてきたように感じたのだ。

いや、実は、

それまでは「わからない」と認識すらできていなかった音が、

テレビやラジオからの音楽を聴き続けたことで、

「わからない」と認識できるようになってきたのだと思う。

昭和の時代である。

先生の言うことが絶対の時代である。

情報は、業界の一部の偉い先生方が独占している時代であった。

今のように誰もがネットから幅広く情報を得られるような時代では、なかった。

私が気になる音楽に似た曲は、

中学卒業までのピアノのレッスンで、ほぼ出てこなかった。

高校時代は、一般の大学の受験勉強が中心の生活だった。

お小遣いで好きなアーティストのレコードを買って、

「これはいったいどういう音なんだろう?」

と不思議に思いながら聴くのが関の山だった。

大学に入ると、「ジャズでもやってみようかな~」と思って、

真っ先にジャズ研究会を覗いてみた。

覗いて、すぐに立ち去った。

理由は:

①ジャズ研の人たちが演奏している音楽が全く理解不能だったから、そして、

②ジャズ研の人たちが話している会話が全く理解不能だったから。

  ↑日本語なのに!

    まあ、そういうこと、あるよね。

    野球に疎い人が「右中間」とか「スクイズ」とか「ボーク」とか聞いても

    全くわからないのと、いっしょだ。

しかし、このとき、とても不思議に思ったのは、

ジャズ研にたむろする

私にとって全く理解不能な音楽を平然と奏でまくる男子学生たちは、

いったいぜんたい、どこから急に湧いてきたんだろう?

ということだ。

当時、

ピアノのお稽古に通うのは、ほとんどが女子だった。

男子がいたとしても小学校低学年の男子がチラホラで、

中学にもなれば男子はピアノ教室から自然と姿を消していった。

それなのに、

大学のジャズ研は、男子学生ばかりで、

しかも、クラシックピアノとは似ても似つかぬ複雑な音楽を

自由自在に弾きこなすのだ。

一体、彼らは、

どこで、あのような複雑な音楽を会得したのか?

電子オルガン教室か?

電子オルガンのほうが、男子の生徒が多かったのかもしれない。

だけど、

電子オルガンを習うだけではないはずだ。

電子オルガンを習っていた人とピアノ会でご一緒したことがあるが、

その人は、コードを簡単にしたフュージョンのピアノ用楽譜を見ながら弾いていたし、

いとこが子どもの頃ピアノに加えて電子オルガンも習っていて

一時期ジャズピアニストを目指していたけど、

思い出しても、素人に毛も生えないような演奏だった。

  (いとこはミュージシャンとしては全く目が出ずにミュージシャンを廃業した。)

それに、当時は、

「ケンバン楽器は女子どものやる楽器」というイメージが強くて、

中学ぐらいになった男子がやるのはギターと、相場が決まっていた。

だから、私は、とても不思議に思った。

ケンバン楽器のお稽古にはほとんど存在しなかった

男子学生の彼らは、

いったい、どこで、どうやって、

私が10年以上も通ったピアノのお稽古の何倍ものレベルの高度な音楽を

軽々と演奏できる術をマスターしたのか!?

 

これに対する答えが、

ジャズをマスターする王道であろう。

 

ちなみに、当時は、

ジャズピアノ教室なんて、ほとんど存在していなかった。

 

だから、

ツバメの巣のヒナが口を大きく開けて

母鳥に餌をせがんで無条件に食べさせてもらうばかりになっているかのごとくに

何にも考えずにただピアノ教室に通い続けて先生に手とり足取り教わるがままになっているのは、

王道では、ないのだ。

と、私は確信している。

 

王道は、全く別のところに、昔も、今も、存在するのだ。

 

そして、大変遅まきながら、私も、

ようやく還暦近くなって、

その王道を遅々としたペースながらも

なんとか歩いているようである。

 

まあぶっちゃけ言って、

何を極めるにしても、

王道というものは

そういうものなのだ、

と思う。

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむ風流への道を歩くピアニスト

 

 

もとの記事@アメブロ

クラシックピアノの世界とジャズピアノの世界 | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。