ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

「ジャズは死んだ」と言われるが...

 

以下は、20220310にアメブロに書いた記事:

 

よく、「ジャズは死んだ」と言われる。

ジャズ歴も何にもないような私が語るのも何だが、

そんな私でも、

ジャズは「死んだ音楽」の仲間入りをしたと、思う。

 

西洋クラシック音楽は、当然、「死んだ音楽」だ。

ジャズも、「死んだ音楽」の仲間入りをして久しいと、私は思う。

 

私が思う「死んだ音楽」の特徴は:

 

① その音楽の理論やノウハウが広く一般に入手可能である

     つまり、

  その芸能の奥義が一般社会に普及してしまっているので

  プロと素人を差別化する術(すべ)が失われてしまっている。

  具体的には、

  授業料を払えば教えてもらえる学校が多数乱立し、

  理論書や教則本が普及していて、素人でも簡単に入手できる。

  素人相手にレッスンを提供する教育産業(という名の娯楽産業)が存在する。

 

② ①に則ったテクニックを満載した模範的な演奏が評価される

  マニュアル化された内容を教え込まれたような、

  セオリー通りの「言い回し」を機械的につなげたような、

  過去の偉大な先人たちの仕事を寄せ集めた

  劣化版のコピーのように聞こえる

  「模範的な優等生」の演奏をするミュージシャンが

    「売れっ子のプロ」になっている、    というか、

  そのように仕立てられて売られている印象がある。  

 

 

私が聞いて「つまんないな~」と感じる

「大御所」や「一流」や「売れっ子」と呼ばれるジャズピアニストは、

子どもの頃からクラシックピアノ的演奏技術の訓練という

狭い世界の中で、純粋培養された人たち

という傾向があることに、気がついた。 

先生から教わったかのようなヴォイスィングを

「これもあれも」とてんこ盛りして

ガツガツカツカツピアノを叩きまくるように弾く人たちだ。

小節の中に「間(ま)」ができるのを恐れているかのように、

ちょっとしたすき間にも模範ヴォイスィングをねじ込んで

しじゅう鍵盤を叩きまくる。  まるで、

間髪入れずに曲芸を続けまくっているかのようだ。

弾いていて楽しい? そして、

演奏する姿も、イケてないんだ。 

なんか、何かに怯えているような感じすら感じさせる。

  (↑(調)教師のムチに怯えているかのように)

つまり、演奏パフォーマンスに、

「余裕」や「遊び」や「茶目っ気」や「愉悦」といった

自発性が感じられないんだ。

ガリ勉の優等生」の演奏。 

マークシート式テストに受かるためだけの

「受験マニュアル」で教え込まれたことを

機械的にアウトプットしているような演奏に聞こえてしまう。 だから、

飛行機の機内チャンネルの「おすすめCD」に登録されているから聴いてみても、

1分も聴いていられない。

動画もそう。 1分も視ていられない。

テクニックは達者でも、音楽が味気ないから、視聴に耐えられないのだ。

先生や審査員といった、自分より優位な存在から高評価をもらうために必死で演奏しているかのごとくに

見え聞こえてしまうからだろう。

 

 

これに対して、私が

「この人はスゴい!」と驚嘆する

超一流のケンバニストやピアニストは、

バックグラウンドが多種多様だ。

理工系の大学や学科を卒業していたり、

高校卒業後や音楽学校時代からプロの音楽業界で著名アーティストのライブサポートの仕事を始めていたり、

音大であれば作曲科出身者だ(教育学部出身の大御所もいる)。

彼らは、 スポットライトが当たらない、

ライブサポート演奏から音楽キャリアをスタートさせている。 つまり、

大人たちによってアイドル演奏家に仕立てられることのなかった人たちだ。

一般大学での経験や、音楽業界での「黒子」としての下積み経験が、

彼らの音楽の総合力に寄与しているんだろう。

彼らは、自分の音楽をしっかり持っているから、

彼らの演奏を聴いていて全然飽きないのだろう。 おそらく、

大人たちによって教え込まれたのではなく

自らがジャズの世界に惹かれて

中学生ぐらいからジャズにドップリはまってジャズの巨人たちの名盤を聴きまくり、

独学で無我夢中で寝食を忘れて試行錯誤したり、

ジャズ研で仲間たちと情報交換しながら

自分にとって心地良い音楽を自発的に探究してきたのだろう。 

だから、

彼らの人生が、彼らの「人間」が、

演奏を通して聴く人に伝わるのだろう。 そして、

彼らの多くが、

ピアノ以外の鍵盤楽器全般のみならず、

ギターや打楽器までも演奏してしまい、

音楽監督やミキシングやサウンドプロデュースもこなす、

マルチな音楽家なのである。

または、

独特の音楽的というか芸術的な世界観を持っていて、

インプロヴ(インプロ)の実験的な地平線を常に攻め続けている人たち。

マジョリティのミーハーな一般ピープルを置いてけぼりにするような、

尖り過ぎた世界観の音楽を探求している

孤高のピアニストたちだ。

もしジャズがまだ生き残っているとすれば、それは、

彼らのような孤高の探求者たちの領分に、存在する。

もうひとグループ、特殊な存在として、

かつてポップスで大ヒットを飛ばす一方でジャズを体得した

音楽エンタメ業界の巨人たちがいる。

エンタメ魂という、

音楽をはじめ芸能で生きる人に死活的に必須の才能を持っている人たちだから、

シビアな大資本のポップス業界で大成功したのだ。 もともと、

大ヒットを飛ばすような卓越したソングライターたちなので、

ジャズを取り入れることによって自らの音楽性を更に充実させている。

  (↑クラシックピアノ教師や愛好家たちは

    「ソングライター」を見下す傾向が有る。 理由は、

    「メロディーしか作らないから」 という、

    もう笑っちゃうような理由なんだ。

    メロディを作るのが最も難しいって言った

    クラシック音楽の大作曲家は誰だったかな?

 

つまり、

私が「この人はスゴイ!」と思う一流のケンバニストたちの活動は、

20世紀以降の音楽ジャンルをすべて取り込むように横断的に広いか、あるいは

音楽の進化の最前線の地平線を孤高に攻め続けているかの、

どちらかだ。  

 

 

優れた才能は、形骸化したジャンルから飛び出して行く。

優れた才能に去られたジャンルは、

素人相手のお稽古事ビジネスで糊口をしのぐようになる。

 

 

その音楽ジャンルに...

 

「才能が無くなると、 形式がはじまる。」 

 (↑マックス・リーバーマン、画家)

アーティストの作品と言葉

 

 

*上述の「ケンバニスト」という言葉によって、私は以下を意味しています:

 ケンバニスト = 複数の種類の鍵盤楽器を自在に操り、作曲・編曲・即興演奏を自在にこなし、時には演奏現場での音楽監督や、レコーディングのエンジニアやプロデューサーまでもこなす、B-to-Bのプロ音楽業界で活躍する本当の意味でのプロの音楽家のこと。 「ピアニスト/キーボーディスト/オルガニスト/作曲家/編曲家/音楽プロデューサー....」って書くのが長ったらしいので、僭越ながらすべてひっくるめて「ケンバニスト」と書いています。

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむ風流への道を歩くピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。