音楽の彼岸のピアノ遊び

大人のピアノ道楽を満喫するピアノ一人遊びの日々

音楽の「守・破・離」

 

以下は、20220319にアメブロに書いた記事:

 

日本の伝統芸能には、

「守・破・離」という概念がある。

 

落語協会にも、

このモットーの額が掲げられている。

 

ちかごろ、

この「守・破・離」の「離」の境地に到達している人だ!

としみじみ思った、

ケンバニストさんを見つけたよ!

 

アルバムを一見じゃなくて一聴すると、

わかりやすくて聴きやすい曲ばかりなんだけど、

バックで響くハーモニーや、リズムや、音色に、

音楽産業の第一線で数十年間走り続けているキャリアを物語る、

水も漏らさぬタイトなツメの辛さの凄みが、静かにすざまじい!

「百戦錬磨で天下を獲った後に人間が丸くなって今は好々爺です」みたいな音楽。

シンプルで聴きやすいうえに、

水も漏らさぬ、恐ろしくタイトな完成度。

奇をてらった風も全くなく、

こだわり抜いた結果としてのスムーズでシンプルに収束した

至高の音楽境地なんだろうね。 まさに、

私がその存在を確信している「おんがくの彼岸」に、響いている音楽だ。

ヴォイシングやインナーヴォイスの動きの

吟味された無駄のない美しさや、

ピアノやキーボードの愉悦あふれる豊かな音に、

聴きながらにして老成した剣豪に斬られるような感じだったよ。

しかも、

斬られたこっちが「殺(や)られた!」と気がつかないほどの達人ぶり。

さいしょは「聴きやすい良い曲ばかりだね~音譜

なんて思いながら、何度か聴いているうちに、

「あれ~、すでに殺(や)られていたかも...、ハハハ... 流れ星」みたいに、

あの世に行ってから気がつきました...キラキラ天使 みたいなね。

まるで落語の「首提灯」。

これが、第一線の現場で何十年も生き残っている

超一流のプロの仕事のレベルなんだね。

こんなスゴい音楽からは学ばせていただくしかないでしょうっ!と、

直ちにある1曲のコードの耳コピを始めたが、

細かいところが聴きとれなくて全然終わらない...えーん

そこにこそ、「神」が宿っているんだよぅ...えーん

こうなったら自分のアタマの中の乏しい知識を総動員しておーっ!

どうにかこうにか、こんな感じ?えーんえーん

とりあえず当座はこれで学ぼうぐすん真顔

いつの日か、もっとちゃんと聴きとれるようになるかもしれないと

自分に期待してほっこりキラキラ

 

歴史小説について、

50代は池波正太郎が好きだが、

60代になると藤沢周平が好きになるものだ

って聞いたことがある。

上述のケンバニストさんはまだ50代だけど

すでに藤沢周平のような音楽なんだろうね。

大人のリスナーがゆったりしみじみ聴ける、

さりげなくて優しくも、

厳しいプロフェッショナリズムの目配りが隅々まで行き届いた、

盤石の音楽なんだろうね。

今の私は、個人的には、

池波正太郎的な音楽がいちばん好きかもね。

当然のことながら「守・破・離」の

「破」はとっくの昔に到達していて

「離」に近いんだけど、

まだ「ハードボイルド感」を残している

限りなく「離」に近い「破」の音楽が

個人的にはいちばん好きかもね。

そういったケンバニストさんたちも、いつか

角がとれて芸が円熟して良い感じに枯れていくのか?

芸道に身を捧げ、日々夢中で攻め続けているうちに、

いい感じで円熟して枯れていくのかもしれないね。

 

 

私のささやかな人生も、

私の小さな世界で夢中で攻め続けているうちに、

自分なりにいい感じで

円熟して枯れていったらいいね王冠1

 

 

 

*上述の「ケンバニスト」という言葉によって、私は以下を意味しています:

 ケンバニスト = 複数の種類の鍵盤楽器を自在に操り、作曲・編曲・即興演奏を自在にこなし、時には演奏現場での音楽監督や、レコーディングのエンジニアやプロデューサーまでもこなす、B-to-Bのプロ音楽業界で活躍する本当の意味でのプロの音楽家のこと。 「ピアニスト/キーボーディスト/オルガニスト/作曲家/編曲家/音楽プロデューサー....」って書くのが長ったらしいので、僭越ながらすべてひっくるめて「ケンバニスト」と書いています。

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむ風流への道を歩くピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

音楽の「守・破・離」 | おんがくの細道

 

==========

このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

★ピアノの先生/ブロガー/ユーチューバー/出版社/放送局などの方へ: このブログに記載されている内容を、レッスンや出版などの営利目的/非営利目的(レッスン等で使用・販売する教材、レッスンで教える内容、宣伝等のためのブログ記事での使用等を含む、営利目的につながる可能性のある使用)や非営利目的その他の目的のために、このブログの作者(原作者)であるtokyotoadへの事前の承諾なく無断で使用(複製・コピー・利用・転用・流用・編集・加工・出版・頒布・送信・アップロード・放送・発表等)することは、原作者の権利や人格を保護する著作権法に対する違反行為です。くれぐれもご注意ください。

↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。