ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

オンラインライブを視聴した

以下は、20220329にアメブロに書いた記事:

 

先日、またオンラインライブを視聴したよ。

いや~スゴかった~!

メンバーがキャリア30年前後以上のベテランばかりだから、

各々のキレッキレ&分厚い名人芸がシナジーしまくって、

圧倒的なケミストリーのトンデモナイ超演奏になっちゃって、

画面のこちら側でぶっ飛んだよ!

 

ほんとうは現地で聴きたかったんだけど、

私の場合は難しいので、

オンラインライブは本当に有難いよ!

 

私が、一流のベテランミュージシャンのライブにこだわる理由は、

子ども時代の思い出にある。

 

子どもの頃、近所のピアノ教室に通わせてもらっていたんだけど、

そのピアノの先生から購入を推奨されたのだろう、

親が買ってくれた数少ないレコードが、

ツェルニー30番のピアノ模範演奏のレコード...えーん

最後まで聞いたことは1回もなかったよ、

いや最後まで聴けなかったんだよ.....

  (聴き続けるのが耐えられなかったの。)

典型的な庶民の家だったので、

ピアノ教室の月謝だけでもう精一杯で、

レコード1枚買うお金もあまり無かったんだと思うが、

その数少ないレコードが、ツェルニー...orz

そんな有りさまだから、子どもの頃に

プロのピアニストのリサイタルへ連れて行ってもらったことなんて、

一度もないよ。

子育て世帯にとって、コンサートは高くつくからね。

だって、子どもの私と母親か父親どっちかの、最低でも2人分のチケット代が要るもんね。

交通費も2倍、どうせ帰りに「おなかすいた~」ってなるから、そのときの食事代も2倍。

半日で大変な出費になる。

 

だから、子どもの頃に私が聴いた 'ライブ演奏' は、

自分が参加したピアノの発表会での、

他の生徒さんたちの演奏ばかりだった。

って、

私と同じ子どもたち(ガキども)の演奏を聴いて、

私のピアノの情操教育に

なるわけねーだろ!

良くて聴けても音大の学生さんの演奏。

音大の学生はプロのピアニストじゃねーよ!

どっちに転んでも、素人のヘッポコ演奏しか耳に入ってこないわけで、

情操教育でもへったくれでもない、むしろ、

情操教育的にマイナスだろ!

 

ちなみに、ピアノの先生が、

ピアノの発表会はおろか、練習会やレッスン時にさえ、

まともに模範演奏を披露してくれることは、1回もなかったよ。

(披露してくれなくて、かえってラッキーだったかもね。

 演奏の腕前に自信があるなら披露しただろうからね)

 

だから、

もう人生の円熟期に入ってきたんだから、

今は、せめて一流の人たちの演奏だけを聴きたいわけよ。

一流で見世を張っているプロたちの演奏は、

人間レベルを超越した、モンスター級だからね。

そして、この歳になると、よくわかる。

どんな業界や職業でも、

高校卒業したくらいから30年前後~それ以上

プロで仕事をして生き残ってきた人たちは、

その道の名人中の名人だ。

企業でも同じ。

最低でも部長クラス以上に出世した人たちなんだよ。

今回視聴したライブのミュージシャンたちは、

大企業だったら取締役以上は確実なランクの人たちだよ。

取締役以上になったら、よほどのことがあっても、

人生で失敗したくても、失敗のしようが無くなっている。

もともと有能なうえに、

人生を賭けて鬼のように努力をし続けて、

30年以上も仕事に爆走し続けた結果、

誰が見ても間違いようのない強大な存在に

人間が鍛え上げられ研ぎ澄まされた、

鋼(はがね)になった人たちだからね。

だから、今後も

ますます間違いようのない仕事をすることが確定しちゃってる人たちなのだ。

つまりは、トップ中のトップの

殿上人の世界に入っちゃっている人たちってことなので、

よほど法外なしくじりをしない限りは、

このまま殿上人の世界でますます突き進んでいくだけの人たちなのだ。

 

今の子どもたちがうらやましいよ。

動画で、一流のプロの演奏から

あれ~?な「自称プロ」の演奏まで、

よりどりみどり視聴できて、

自分の中で、

「この人みたいに弾きたいな」

「この人みたいな演奏はヤだな」

って、いろいろ思えるもんね。

でも、還暦近い今からでも遅くはないよ!と思って、

これからも一流の人たちのオンラインライブを視聴しようと思う。

 

tokyotoad

 

もとの記事@アメブロ

オンラインライブを視聴した | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。