ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

どうして今までピアノの湿度管理について無知蒙昧で来られたのか?(その①)

 

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の続き。

 

このところの晴れ続きで、ピアノの有る部屋の湿度というか乾燥が、ものすごいことになっている。 うちのエアコン冷房の除湿効果の凄さは異常だ。 何もしなければ湿度計が40%を軽く割り込んでいく。 

 

湿度40%は、一般に言われるピアノの湿度管理の下限だが、人間にも良くない。 最も低い数値を示す湿度計で40%を割り込むと、自分自身、喉が乾燥するし目がシバシバしてくる。 もはや、自分が「電気を使わないエコ加湿器」になっているのだ! 

 

物理現象には、思いやりも忖度も、何も無い。 乾燥すれば、水分を保有する物体から、水分がどんどん空気中に蒸発する。 緑地の少ない都会や、観葉植物の無い部屋の中で、大量の水分を保有する唯一の物体とは、ズバリ人間だ! だから家にいると冷やし塩トマトばかり食べたくなるわけだ! 夏場ですら家の中がこんなに過乾燥になることに何年も気がつかなかったのだから、ピアノの響板が割れるわけだ! 

 

昨日も、ピアノの部屋に置いた加湿器に満タンに入れた水が、1日ともたなかった。 夜中からは湿度計の数値がグンと上がっていくのは、冷房が止まって送風状態になったエアコンからの「湿度戻り」だと思う。 だが、湿度戻りの湿度上昇を除湿器で下げることは、そう難しくない。 うちの場合は、日中の冷房による過乾燥を食い止めるほうが難しい。 加湿器は昼前から真夜中までフル回転だ。 過乾燥は、雨の日も平気で起きる。 雨の日でも、エアコンの冷房が作動している時は、ピアノの部屋の湿度は35%まで下がるが、湿度に無頓着だった以前はもっと下がっていたかもしれない。 今は、40%を下回ると加湿器をつけているから、湿度は最低でも35%で下げ止まっている。

 

それにつけても、子どもの頃にピアノを習っていたというのに、どうして最近までピアノの湿度管理について、これほどまでに無知蒙昧で生きてこられたのかが、不思議でならない。

 

その理由を考えてみた:

 

理由①:古い時代の概念がアップデートされていない

ピアノ教師や、子どもの頃にピアノを習った人で、現在50歳以上の人たちは、ピアノはおろか個人住宅の内部環境の湿度管理なんていう概念がそもそも無かった時代に育っている。 私は子どもの頃に、ピアノの先生から「ピアノの湿度管理」について聴いた記憶が無いし、ピアノの調律師さんからも、聴いた覚えが無い。 

昭和50年代になるまで、一般の住宅にはエアコン冷房やエアコン暖房装置が無かった。 当時、今よりも格段に涼しかった夏は、窓を網戸にして外からの湿った風を家の中に入れ、扇風機を回して凌いでいたし、それで十分凌げていた。 冬場の暖房は、石油ストーブか石油ファンヒーターで、夕方になると灯油屋さんのトラックが音楽を鳴らしながらやってくるのが習わしだったし、暖房中の換気不足による一酸化炭素中毒による死亡事故が、テレビのニュースの常連だった。 

当時のピアノの湿度管理といえば、アップライトピアノの中に入れるピアノ用乾燥剤ぐらいだったし、それが効果があったかどうかは知らない。 私が子どもの頃には乾燥剤がピアノの中に入っていたのかもしれないが、子どもだったのでピアノの管理は親まかせだったから、よく知らない。 数年前に実家からピアノを弾きとった時に、ピアノの中には古い乾燥剤が入っていたような気がする。  

 

理由②:「乾燥は良いことだ」という文化的な刷り込み

現在50歳以上の人たちは、「高温多湿のモンスーン気候の日本!」という「湿度イコール多湿のことであり、湿度は悪だ!」という刷り込み状態で人生を生きてきたから、とにかく除湿、除湿、除湿!に走る。 私がそうだ。 一方で、「乾燥は良いこと!」という強い先入観を持っている。 「冷涼で乾燥しているヨーロッパ」への卑屈な劣等感の賜物だ。

 

理由③:ピアノメーカーの事情

ピアノを販売して利益を得るピアノメーカーにしてみれば、消費者がピアノの維持管理が上手くなればなるほど、ピアノが長持ちして、ピアノの買い替え需要が減る。 これは、一台でも多くピアノを売って利益を上げてそれを社員や株主に還元して事業を継続することが至上命題のメーカーにとっては、都合が悪い。 

ところで、ピアノには調律というメンテナンスがどうしても必要だ。 高度成長期の日本。私のような庶民の家でも、子どもにピアノを習わせたいと、ピアノを買い与えてもらった。 一億総中流の庶民の憧れに訴求して、国産ピアノメーカーはアップライトピアノを大量に生産して販売した。 そのメンテナンスをする調律師の育成も大急ぎでおこなっただろう。 

ピアノメーカーが育成した調律師の仕事は、一年に一度のピアノのチューニングと、乾燥剤の販売、それに加えて、ピアノの買い替えを客に促す重要な役目を負っていたと思われる、というのが、メーカー所属の調律師から私が受けた印象だ。 何年か前に電子ピアノのアクション破損でメーカーから調律師さんに来てもらったら、調律師さんは、私の持っている電子ピアノがいかに旧型のものかをひとしきり述べた後、アコースティックのアップライトピアノのパンフレットをカバンから取り出して(ちゃんと持ち歩いてるんだね!)、最後には「ピアノを買い買える際にはぜひ自分に連絡してください」とセールストーク。 玄関先でも同じことを念押しして帰って行った。 電子ピアノ所有者にはアコースティックのアップライトを、アップライト所有者にはグランドを勧めるというシステムになっているんだろうなぁ、と私は思ったものだ。

また、あるピアノ会で、「最近ピアノを買い替えた」人と話をしたときの話。 彼女は、母親が弾いていた古いアップライトピアノを、子どもの頃に弾いていて、大人になってピアノを再開した時に、そのメーカーの調律師さんにピアノを診てもらったところ、「こんな時代のついたピアノは博物館行きレベルです」と言われて、勧められるままに新製品のアップライトピアノを買ったそうだ。 その時、私は、彼女の話を「ふ~ん」と聞いていたのだが、いざ、自分が子どもの頃に買ってもらったピアノを実家から引き取った際に、メーカーから調律師さんを呼んで診てもらったら「こんなに古いピアノは、調律作業中に弦が切れるかもしれないし、破損することがあるかもしれないが、交換する純正部品はもはや無いし、修理代が高額になるかもしれない。その時は責任を負いかねる。新品に買い替えたほうが良い」とさんざん言われた。 私はそのときに、彼女の話を思い出し、メーカー付きの調律師の仕事の内容がよく分かった気がした。 彼らの仕事の重要な一面は、ピアノを買い替えさせることであり、彼らにとって、彼女や私のような古いピアノの所有者は、格好の標的なんだろうなぁ、と思った。 だが、彼らが腹黒いわけではない。 彼らは、単に、彼らの仕事を真面目に遂行しているだけである。 ピアノメーカーは、ピアノを一台でも多く売ることによって稼いでいる。 ピアノメーカー付きの調律師は、ピアノ所有者に直接接するわけで、彼らがピアノ買い替えの売り込みのミッションを受けたピアノメーカーの販売促進の最前線部隊であるのは、しごく当前のことだ。 

ちなみにその後、同じピアノをフリーランスの調律師さんに見てもらったら、「買い替える必要はありませんよ、ちゃんとメンテナンスをしていけばこの先何十年も弾けますよ」と言われた。⇒理由④に続く...。

 

理由④:ピアノ調律師の事情

理由③からの続き: その後、同じピアノを、フリーランスの調律師さんに見てもらったら、「買い替える必要はありませんよ、ちゃんとメンテナンスをしていけばこの先何十年も弾けますよ」と言われた。 フリーの調律師がこう言うのは当然といえば当然だ。 ピアノを買い替えられては、自分に来るかもしれない調律の仕事がピアノメーカー付きの調律師に取られてしまうからだ。 

フリーのピアノ調律師にも、お客のピアノ所有者がピアノの湿度管理にあまり智恵を付けられても都合が悪いのではないか?と思われる。 「教えて知恵袋」的な質問サイトで、「湿度管理をするようになってから、スタインウェイの調律の狂いが少なくなって、いままでは半年ごとに呼んでいた調律が年1回で済むようになった」という書き込みを読んだ。 ピアノ所有者の皆が、ピアノの湿度管理が上達してしまうと、調律師さんの仕事が減る可能性がある。 

だからなのかは知らないが、私が子どもの頃から弾いているピアノを、今まで複数の調律師さんに調律してもらってきたが、湿度管理に言及する調律師さんは一人もいなかった。 また、よく調律師さんのサイトで、調律するピアノの上に湿度計を置いて湿度を計測した画像を掲載しているブログやツイッターを見かけるが、私が呼んだ調律師さんのなかで、湿度計を持ちだす人は一人もいなかった。 ところが、これはよく考えると不思議なことで、そのうち少なくとも一人の調律師さんはホールのフルコンを調律することもあると言っていた。 その人は、ホールのフルコンの調律に湿度計を使わないような低レベルの調律師さんなのか? それとも、ホールのフルコンの調律には湿度計を持ちだして、個人宅のピアノの調律には湿度計を使わないのか? それとも、私が持っているような古い国産ピアノは事実上の「ガラクタのクズ」だから、湿度計を出す価値もないと思っているのか? そして、そんな「ガラクタのクズ」の調律のために年に何度も呼んでもらえればお金になってオイシイから、湿度管理のことはあえて黙っていたのか?  

 

理由⑤:ピアノ所有者のピアノの古さ

  追って書く予定。

 

理由⑥:お子さまピアノのお稽古の制度的な実情

  追って書く予定。

 

理由⑦:国策として外来文化を輸入する日本の事情

  追って書く予定。

 

理由⑧:日本における「大人のピアノ趣味」の誕生

  追って書く予定。  

 

この記事の続きは:

 

tokyotoad

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた(←諦めて命拾いした!と、今しみじみ振り返って背筋がゾッとしている)、「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。