音楽の彼岸のピアノ遊び

大人のピアノ道楽を満喫するピアノ一人遊びの日々

正真正銘のプロの音楽家を見つけた

 

田村まさか氏の動画チャンネル登録者数が1,000人を突破したんだね。 田村氏の最近の動画を何本か視て、田村氏の経歴・職歴やステージスキルを目の当たりにして思ったのが、田村氏は正真正銘の音楽家だ!ということだ。 田村氏は、プロの音楽家に適した素質を持っていて、その上に、プロの音楽家として自活するためのスキルを、過去の社会人としての就業経験を通して会得している。 この人は苦労人だ。 ともすると、音楽家や専業教師の中には、実社会との接点を持てずに生きてきてしまったため、本人がそれとは気づかずに、本人の実際の能力や地位からかけ離れた尊大な物言いをしたり、子ども相手にしか通用しない言動をする人がいるが、田村氏は言うことが実社会的で地に足がついている、この人は苦労人だということが、ライブを聴く大人のお客さんたちは勿論わかるから、穏やかに楽しんで聴いているのだろうね。 大人とは、苦労人のことだ。

 

ところで、

「音楽家」の「~家」という文字。 「音楽家」のほかに「~家」とつく人たちには、作家、作曲家、画家、書道家、文筆家、華道家、舞踏家、料理研究家、音楽愛好家、などなど。  

 

ほかの文字はどうだろう? 「~師」や、「~士」があるね。 これらの文字は、国家試験に合格して国家資格を持っている人たちに使われるようだ。 

 

国家資格もいろいろあって、独立開業ができる資格には、医師、公認会計士、弁護士、税理士、建築士、理容師・美容師、調理師、歯科医師、獣医師、あん摩マッサージ指圧師不動産鑑定士柔道整復師、パン製造技能士、製菓衛生士や、クリーニング師などがあるんだね。 パン屋さんやケーキ屋さん、クリーニング屋さん、美容室、不動産、公認会計士事務所、弁護士事務所、そして開業医。 これらの国家資格を持っていれば、独立開業して、自分の見世を張れる。 無資格でこれらを営むと違法営業になるのは、これらの技能が社会経済や国民生活&健康&安全にとってシャレにならない重大な類のものだからだ。 

 

独立開業はできないけど、看護師、歯科衛生士、中小企業診断士や、特殊な工事車両の運転資格をはじめ、たくさんの重大な国家資格がある。 中小企業診断士の試験は、実際の中小企業の経営状況を診断して助言するんだよね、社会ですぐに使える実力が試される。

 

これに対して、「~家」は、国家資格がなくても名乗れるし、その道の収入で生きていなくても名乗れる。 もちろん、中には、落語家(噺家)のように、10年以上も下積みを経験してからようやく一人前のプロとしてスタートできる稼業もある。 実績を積んだ真打ちの師匠に弟子入りしてから、見習い⇒前座⇒二つ目と、師匠に稽古をつけてもらいながら師匠の身の回りの仕事を通して落語の世界での立ち居振る舞いを覚え、自らも人前にどんどん出て修業をして場数を踏み、10年以上修業して、十分な数の持ちネタを持ち、十分なファン層を獲得してから、真打ちに昇進して、そこからが落語家としての本当のスタートになる。 かつては、真打ちへの昇進はたいへん狭き門で、何年いや何十年いや一生噺家稼業をしても真打になれない噺家がたくさんいたそうだ。 今はそういうことは無くなって、よほどのことがなければ、入門してから15年ほどにもなれば真打ちに昇進できるシステムになったけど、その分、毎年10人程度が真打ちに昇進するから、真打ちになっても経済的に苦しい人たちも多いだろう。  

 

ところで、音楽家のほかに、「楽師(がくし)」と呼ばれる人たちもいるね。楽師のひとたちは、国立劇場で演奏しているイメージがある。 国家公務員なのかもね。 

 

「音楽家」には、正真正銘のプロの音楽家と、「自称音楽家」の実質素人・趣味人が存在する。 日本の公の場所で伝統音楽や伝統芸能を演奏する「楽師」と呼ばれる人たちや、音楽産業から演奏や作編曲の仕事を常時請け負って自活できるに足る収入を得ているスタジオミュージシャンやサポートミュージシャンや作曲家は、正真正銘のプロの音楽家だ。 自作曲や実演を観客の前で披露する自主興行から収益を得て自活しているひとたちも、プロの音楽家だ。 今までの自分の人生を通して音楽スキル獲得のために投じ(てもらっ)た投資を、音楽活動の仕事の収入によって回収して収支がプラスになっていれば、ビジネスとして成立したといえるからプロの音楽家といえる。 何年~何十年たっても初期投資コストが一向に回収できなかったり、「勉強」や「研修」と銘打った追加コストを延々と払い続けて実質的にずーっと生徒の身分で居続ける一方、「教師業」という名のバイトや家庭内職でその一部を補てんし続けても、投資コストの累計総額が生涯収入を上回っている間は、その活動は、赤字を実質的に垂れ流し続ける失敗事業(ゾンビ事業)か、何かの税金対策か、投資金を喜捨したパトロン(風流人)の趣味道楽だ。 音楽業界のトップの売れっ子のプロの音楽家に限って、いまだに「勉強会」や「研修会」に参加している人は、皆無だ、というか、そもそもそんなものにカネ払って参加する必要が最初から無かったから売れっ子のプロになったんだし、仕事が常時どんどん舞い込んでくるのでそんな暇は無いし、あるとすれば、教える側(先生)として参加する。つまり、お金を払う側ではなくて、お金を稼ぐ側として参加する。 大変興味深い事実は、超一流のプロの音楽家に限って、「3歳からピアノを習って音大まで出ました ⇒ その後も高名な○○先生に定期的に師事しながら各種の「勉強会」「研修会」に参加して絶えず研鑽を積んでいます」っていう「生涯誰かの生徒」な人って、居ないんだよね。 仮に居たとしても、そういう超一流の人たちは音楽産業でビッグな存在になっているから、○○先生との実力や権威的な立場が既に逆転していて、逆に○○先生の箔付けのために、習う必要がとっくの昔になくなっているのに未だに「師事してあげている」感がある。 つまり、実質的には、○○先生へのご報謝だ。  

 

田村まさか氏は、「私は音楽家です」と自己紹介する。 田村氏の言葉に嘘偽りは無いどころか、田村氏は正真正銘のプロの音楽家だ。 音楽家になるための教育や訓練への投資金額は僅かだったろうから、音楽活動の生涯収支は既にプラスに転じているだろうし、誰の扶養に入ってもいなさそうだし、音楽とは関係ない副業をしている気配もない。 連日連夜お客さんの前で、ピアノでクラシックピアノ曲やオカリナでヒット曲や自作曲を演奏して自作CDやオカリナを販売し、イベント出演の依頼があればどこへでも出かけて行き、自分の演奏音楽を好きなように流せるラジオ番組を持ち、オカリナ教室の「檀家さん」たちから「お布施」をもらっている(←よくわかっていらっしゃる)。 音大を出ていないにもかかわらず、田村氏の毎日は音楽漬けで、しかも、音楽活動がお金を生んでいる。 

 

音楽を演奏してまともに稼いで自活したいと夢見る自称音楽家(実質素人・趣味人)の方々は、田村氏の動画チャンネルを視て、田村氏のライブのステージ内容やトークの内容をつぶさに観察して、正真正銘のプロの音楽家になるためにはどのような資質やスキルや戦略が死活的に必要なのかを、研究するとよいだろう。 その結果「この人が音楽家だって?」と思った向きは、どんなに著名な音大を出ていても、どんなに著名なコンクールに入賞しても、残念ながらプロの音楽家になれる根本的な素質がもともと無い人だから、よほど魂を入れ替えて世の中の修業をしないと、プロの音楽家として自活できないだろう。 異常なほどに卓越した非凡過ぎる音楽センスに加えて恵まれたフィジカル能力と異形の集中力を持って生まれてきた、10,000人に1人の例外的な人たちは、既に音楽産業の頂点で超売れっ子のプロミュージシャンになっているが、そうではない、凡人に毛が1本生えたぐらいの音楽センスとフィジカル能力しか持って生まれてこなかったのに音楽家を自称している、少なくともその他9,900人以上の普通の人たちが取るべき戦略は、田村氏のそれと同じであろう。

 

私は、「大人/シニアの生徒(さん)」に「教える」「指導する」と言ってはばからないピアノ教師を信用しない。 そのようなマインドセットの教師は、実社会での経験が乏しいと予想されるので、こちらのコストに見合った満足度が得られないと予想されるからだ。 大人やシニアは「生徒」なんていう劣位の存在ではない。 また、彼らにとっての「教室」「講座」は、実質的には、そういうものではない。 教えられ指導される「生徒」は、彼らよりずっと人生の後輩の教師の方だ。 田村氏は「教える」「指導する」の代わりに、非常に的を得た言葉を使っている。 ほんとうによくわかっておられる。 私がピアノ初心者だったら、田村氏のような人にピアノを習って、良いスタートをきりたい。 最初で心理的につまづきたくないからだ。 ピアノを弾いて自己表現の幸せを感じたいのが本筋なのに、「ピアノのレッスンを受けて楽譜どおりに一音も間違えずに完璧に再生演奏する」マシンのように調教されて、ピアノ教師から「運指を間違えたら、手の形が悪かったら、脱力奏法ができなかったら、ミスタッチしたら、パッセージでトチったら地獄に堕ちるぞ!」と言わんばかりの有形無形のダメ出しと威嚇行為を受け続けた結果、その恐怖によってマインドコントロールされて思考停止した「ピアノ教」の信者に仕立て上げられ、強迫されるように「練習するぞ練習する練習するぞ」と狂ったように自宅で練習して教室ではビクビクおびえながら緊張で身体がガチガチになって弾くもんだから指が動かなくてうまく弾けなくてまた間違えてまた同じダメ出しと威嚇指導を受けて、恐怖の練習修業の果てに腱鞘炎やジストニアにまでかかっても永遠に月謝を払い続ける可能性を、最初の段階で何としても避けたいからだ。 同じ宗教なら、人生のひと時に幸せを感じられた分を喜んでご住職にお布施を差し上げる檀家になるほうがいい。 「いいえ!楽しいだけではピアノは上達しません!」なんて余計なお世話というか、どうしてそんな恐ろしい脅し文句を言えるのか? 本当に何かのカルト宗教の手先なんじゃないのか? 私のカネを私の幸せのために使う行為に何でアカの他人が偉そうに口出ししてくるのか? 人を脅すような、カタギがやらないようなことまでして私のカネが欲しいのか? 「独学でピアノは無理です!」って一体ぜんたい誰が決めたのだ? そのような内閣府令でも発令されたのか? 自分の家で自分で楽しんで弾いている人に、何の因果で難クセやいちゃもんをつけてくるんだ? 怪しげな新興宗教が使うような脅しの手口は胡散臭さが増すばかりだ。 正真正銘のプロは、そんな脅し文句は使わない。 それから「ピアノは脳トレになって老化防止になります!」とか「ピアノを習うと人生が豊かになります!」とかピアノ教室が大真面目に大っぴらに謳っていいもんなの? 通販の健康食品のCMが「スッキリ」とか「みなぎる」とか、あいまいな表現しかできなかったり「※収録時の本人の個人的な感想です」みたいに小さく画面に出るのは、厚労省消費者庁の管轄下で誇大広告が厳しく取り締まられているからだ。 健康食品は、人の命にかかわる医薬品と違って、本当に効き目があるかどうかのシビアな検証が必要ないから、商品化して販売するのが容易な一方で、その効能が公式に立証されていないから、「これを飲むと便秘の解消に効果が有ります」とか「精力の回復を助けます」とは宣伝できないんだよ。 どうやら、健康食品ビジネスよりも、ピアノ教育ビジネスは安易で野放図な世界らしい。つまり、占いと同列のエンターテインメントビジネスだ。 「当たるも八卦当たらぬも八卦」なものはその程度に扱いながら、私は自分の幸せである音楽を一生楽しみ続けていく。

 

tokyotoad

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた(←諦めて命拾いした!と、今しみじみ振り返って背筋がゾッとしている)、「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。