音楽の彼岸のピアノ遊び

大人のピアノ道楽を満喫するピアノ一人遊びの日々

楽器は、もともと、人間の頭蓋骨だった

 

以前、音楽の「楽」の文字 について、このブログに書いたことがあるが、最近、宇宙から新たな啓示を受けたので、それを記したいところなのだが、あいにく時間がとれないので、今日は結論だけ取り急ぎ記して後日追記することにする。と書いたけど、発作的に一気にかなりの内容を書いてしまえたよ! 

 

私の結論は:

楽器とは、人間の頭蓋骨が姿を変えたものである

である。

 

音楽の「楽」の中の「白」の語源は、人間の頭蓋骨だそうだ

「白」という字の語源は、人間の頭蓋骨だそうである。 

従って、

「楽」の字は、「木」の枝か何かにひっかけた「白(人間の頭蓋骨)」を叩いている様(さま)を表している。

一般には、「木の枝(かなにか)に取り付けた鈴を鳴らしている様(さま)」と説明されているようだが、もともと鈴ではなく、人間の頭蓋骨であったはずだ。

どうして?

ヒトが鈴を作れなかった大昔、つまり、

金属製品を作れないぐらい大昔、

ヒトの周りにあった固い物質といえば、石か骨である。

これらのなかで、叩いたらとりわけ良い音がしたのが、ヒトの頭蓋骨であったろう。

なぜか?

頭蓋骨には空洞があるからだ。

脳が入っていたスペースが空洞化しているから、

頭蓋骨を、たとえば大腿骨みたいな太くて長い骨で叩くと、

大きくて響きの良い音が出る。

しかも、頭蓋骨には、空洞から空気が抜ける空気の抜け道がある。 眼球が入っていたところや、首の骨がつながっていたところや、耳の穴の部分から、適度に空気が抜けるから、叩くとよい響きが周りの空気に伝わる。

このような音は、中が空洞で適度に空気の抜け穴が空いた固い物でなければ、出すことができない。

石や岩を叩いても、このような音は出ない。  

人間が金属を鋳造したり、木や石を加工できるような硬くて鋭利な道具を発明する前は、 

中が空洞で、しかも適度に空気穴が開いていて、叩くと良い音が響く固い物といったら、頭蓋骨しか存在しなかった。

さて、その頭蓋骨だが、

他の動物の頭蓋骨より、ヒトの頭蓋骨を叩く方が

だんぜん良い音がしたことは、明らかだ。

なぜなら、ヒトの頭蓋骨は、頭蓋骨における「中の空洞:骨」の比率が一番大きいからだ。 つまり、頭蓋骨の空洞の容積が、頭蓋骨の骨そのものの量に対して最も大きいのが、ヒトの頭蓋骨だからだ。 

それはもちろん、大脳が非常に発達したヒトの脳が大きいからである。

たとえば、大型哺乳類のクマの頭蓋骨は、頭蓋骨自体は大きいかもしれないが、

頭蓋骨における「空洞:骨」比率が、ヒトの頭蓋骨より小さい。

クマの脳みそは、大脳が非常に発達したヒトの脳ミソより比率的に小さいので、それだけ骨の比率が大きくなって、脳の空洞の容積が相対的に少なくなるから、音の鳴りが悪いはずだ。

だから、頭蓋骨における「空洞:骨」比率が最大であるヒトの頭蓋骨を叩くと、最大級のレゾナンスを持った、響きの良い音が鳴ったはずだ。

音楽の「楽」の「白」。

つまり、音楽の起源は、人間が、死者が残した頭蓋骨を叩く行為であったはずだ。 

すでに物言わぬ存在になった死者がこの世に残した、頭部の骨が、

死してなお、音を鳴らして、

現世に生きる者たちに語りかけるメッセージ。 

それが、音楽の起源であると、私は直観した。 

だから、音楽は、呪術や祭礼から生まれたのだ。 

日本を含めた世界各地の祭り。加持祈祷。神を賛美する歌。 

仏教の声明(しょうみょう)や、キリスト教グレゴリオ聖歌は、

この世に生きる者たちが、肺や口腔といった自分の生身の中の空洞を反響させ、自分の生身の中の骨を共鳴させて発する、最も生々しい音楽だ。

だから、歌は、最強の音楽表現なのだ。 

歌手は、最強の音楽の使い手なのだ。

しかも、歌には、言葉を乗せられる。具体的なメッセージを乗せられる。

だから、どんなに著名なスター楽器演奏家も、

歌い手に登場されると、後ろに下がって一介の伴奏者に引きさがるしか無い。 

歌い手は、現世を生きる、生身の人間の生々しいパワーを伝える、最強の舞台演者だから、一瞬でスポットライトをかっさらう。

だからこそ、スポットライトを一人占めにする歌手という生業は、最も厳しい音楽の道なのだ。 「ちょっと歌が上手くて顔がいい」ぐらいでは到底舞台がもたない職業なのだ。 よく、「ピアノは十人並みだからピアノの弾き語りでも」と路線変更する人がいるが、その100パーセントが場末のライブハウスで愛人探しのオヤジの視線に身をさらしながらお茶を濁すような存在にしかならないのは、「歌手」という生業をナメすぎているからだ。 「楽器が苦手だから」といって安易に「歌手」や「シンガーソングライター」を目指して100パーセント失敗するのも、同じことだ。 世の「歌手」は、例外中の例外の稀有な歌唱力と、運を引き寄せる強力な磁力を併せ持った、数万人に一人の存在ばかりだ。 そのような異例の異形の存在のために、音楽業界トップの売れっ子作詞家作曲家たちが、大衆の心を一瞬でわしづかみにするような非の打ち所のない楽曲を作り上げて、大手プロダクションやレコード会社が総がかりで市場に売り出す。 たくさんの業界人たちの念を背負ってステージに立って、その期待の重圧に負けないぐらいの人間パワーというかド根性を持った人しか、歌手として成功できない。 もっと言えば、自分に期待をかける業界の人々の念と、自分の前に居るお客さんたちの期待を一身に受けて、舞台の上で「依代(よりしろ)」になって自分を屠(ほふ)って芸の神に生贄(いけにえに)に捧げる気概を持ったなければ、歌手として成功できない。 女性では、八代亜紀石川さゆり岩崎宏美松田聖子安室奈美恵を筆頭に、男性では、北島三郎郷ひろみを筆頭に、みな、とてつもない怪物級の存在だ。 アーティスト系ではユーミン矢沢永吉を筆頭に、また弾き語り系では矢野顕子など、例外中の例外のそのまた例外の、強烈な世界観と存在感を放つ存在ばかりだ。 歌手を、歌い手を、歌い手こそ、軽く見てはならない。 そして、当然、歌い手を目指すなら、怪物級の歌唱力に加えて、それくらいの、「人間をやめる」くらいの覚悟で臨まないと、場末のライブハウスのオープンマイクの司会の合間に、参加者つまりはお客さんたちのお情けにあやかってちょっと歌わせてもらえばよいぐらいの、並みの人間以下の存在で終わってしまう(オープンマイクの参加者つまりお客さんは、自らが歌ったり演奏したりするためにお金を払っていて、あんたの歌なんぞ聴きたくもないことぐらいは、わかってるよね。あんたが歌うその時間に払ったおカネの分だけ、ほんとうは自分たちが歌いたいんだよ!あんたの金銭的な価値はオープンマイクのイベントをつつがなく進行させることだけなんだよ)。 アーティストを目指すなら、前例の無い圧倒的な世界観と強力な磁場に加えて、時代の期待に応え続ける柔軟性と持久力、そして自分の商業的な価値を冷徹に見つめプロデュースし続ける能力を持っていないと無理だろう。

一方、楽器奏者は、死者の頭蓋骨の代わりとなった様々な楽器を奏でて、死者のメッセージを現世に伝える。  

鈴も、ギターも、ピアノも、ドラムも、三味線も、お琴も、太鼓も、尺八も、サックスも、ほら、ぜんぶ空洞を響かせて音を出すでしょ? グランドピアノだって、ハープ部分を格納する箱と大屋根を使って、すき間を開けた大空洞を作って響かせている。 お寺や教会の鐘やチベット仏教のシンギングボウルと同じだ。これらの宗教的な鳴り物のルーツは、死者の頭蓋骨を叩くことにより、あの世の存在(神)の声を聴こうとする人間の思いだったろう。 エレキやシンセなどの電気/電子楽器は、接続先のPAで音を反響させて大きな音を鳴らす。 ステレオやPCやスマホに接続したスピーカーも同じだ。 PAやスピーカーといった、音を反響させて増幅させる箱も、造りは頭蓋骨と同じだ。 楽器も音響装置も、人間の頭蓋骨が姿を変えたものなんだよ。 人間の脳は、死してその頭蓋骨が土に還ってもなお、脳の活動を伝えるメッセージを発せられるように、自分の入れ物を創りだしたともいえる。それが、楽器であり、PAやスピーカーなんだね。

楽器奏者は、死者の、ご先祖様たちの、つまりは、神々の声を媒介する謙虚なメディアに徹する覚悟で舞台に臨む。 さもなければ、成功は、無い。 神が不在の、神のご加護が不在の、現世の煩悩まみれの人間の独りよがりの演奏は、騒音でしかない。 ジャズなどの即興演奏を含む演奏を行う楽器奏者は、自分の脳内にリアルタイムで湧き出す神々の声をチャネリングする、自らが創造神であると同時に一介の媒介者であるという気持ちで、自分の存在を放り投げた明鏡止水の境地で舞台に臨むとき、人々を唸らせ歓喜させる異次元の即興演奏を紡ぎ出す。   というか、 

生きた人間が脳内で生み出す創作活動を、自分の頭蓋骨にはまだ脳が入っていて音が鳴らないから、死者の頭蓋骨が形を変えた楽器を演奏して、死者に声を出してもらっている、ともいえるね。 死者(神々)に声を上げていただくんだから、自分の存在を放り投げて自分を無にしなければ、とうてい神々は味方になってくれない。 

 

生者の生々しいパワーをダイレクトに伝える歌唱、そして、死者の声を現世に響かせる楽器演奏。

能楽の素晴らしさは、そこにある。 

楽器奏者やストーリーを朗々と歌う歌い方の音楽をバックに、

能楽師が舞い演じる。 

そこには、生きる者と死んだ者との交流がある。

能舞台は、生者と死者の交流の場所である。

だから、お能のストーリーには、現世と来世の融合や、時空の捻じ曲げ(ワープ)といった、無限の宇宙観があるのだ。

楽器の大元(おおもと)は、人間の頭蓋骨である。

楽器を奏でる行為とは、ご先祖様たちのメッセージをこの世に伝える崇高な行為である。

それを忘れてしまって、楽器の演奏を「脳トレ」や「優秀さや育ちの良さを盛る箔づけ」として売り込む安っぽいお稽古事に卑しめ、まるで怯える小動物に鞭打つように一挙手一投足にダメ出し調教し、コンクールに追い立てて競わせ犬レースを観覧するかのごとく大上段から審査し、かたや検定に追い立てて牛肉のように規格化し等級づけしようとする。 

楽器が、ご先祖様たちが、泣いているよ。

 

* 鈴は、人間の頭蓋骨が姿を変えたものだと、私は直観した。神社でお祈りする前に大きな鈴を鳴らすのは、神様つまりご先祖様に声を上げてもらって周りの邪気を祓うためだ。 神社で買ったお守りや破魔矢に小さい鈴がついているでしょう? 鈴が鳴るたびに、神様が、つまりご先祖様たちが声をあげて、守ってくれているんだね。 もう何年も前に、釧路市の博物館で、アイヌの子どもに着せた、おそらく祭礼用の上着を見た。 その上着の襟や合わせの部分に、たくさんの鈴が縫い付けられていた。 その上着を着た子どもが歩くたびに、たくさんの鈴がシャンシャンと周囲に鳴り響いたことは明白だ。 子どもが事故や病気で悪いカムイたちに命を奪われないように、良いカムイ様、ご先祖様、どうか声を上げてください、声を上げて周りの邪気を追い祓って、この子を守ってください!と願う親たちの思いの強さ、子どもを持つ親なら誰でも持つ、親の念の必死さ、すざまじさが、縫い付けられたたくさんの鈴から感じられる。 赤ちゃんをあやすときに使う「でんでん太鼓」にも、ご先祖様たちに声をあげてもらって邪気を祓おうとする親や一族の念が込められているのだろう。 親やお兄ちゃんお姉ちゃんが、赤ちゃんに向かって「でんでん太鼓」を回して音を出す行為は、「神様、ご先祖様、生まれたばかりのこの赤ちゃんを、どうか守ってください。だから私はこの太鼓を鳴らして、神様ご先祖様に声を上げてもらうのです!」と、無意識に抱く、小さな命を守ろうとするすざまじい念なのだろう。 ところが、現代はどうだろうか? 楽しそうに楽器を奏でる子どもを介してご先祖様が発する声をいちいち遮(さえぎ)って、「そこは楽譜とちがうでしょ!」「運指が違う!」「そこはフォルテで弾くと書いてあるでしょう!」「トリルをもっとしっかりと!」と子どもに言葉のムチを浴びせるたびに、ご先祖様たちはもううんざりして、その子から離れていってしまう。 そして、もはやご先祖様たちのご加護を得られなくなって、独りぼっちでとり残された小さな自分に必死にしがみついて、「ミスタッチなく完璧に弾かなければ、先生に審査員に、つまりは閻魔大王に否定されてしまう!」とおびえながら演奏する哀れな子どもが奏でる音には、ご先祖様の祝福も、神々の言祝ぎ(ことほぎ)のメッセージである音楽の喜びも、何もかもが無くなってしまった、ご先祖様の愛に飢えて三途の河原で永遠にお腹を空かし続ける餓鬼(ガキ)の虚ろな嗚咽になってしまっている。

 

(20221205に追記)私は、人間の頭蓋骨が楽器の起源だ!と直観して以来、神々=ご先祖様たちの頭蓋骨が姿を変えた、自分のケンバン楽器類を弾く時に、自分の肺も共鳴させて弾こう!と思ってそうしている。 ご先祖様に丸投げじゃぁ申し訳ないので、自分の生身の最大の空洞である肺も動員しよう!と心に決めたのだ。 「電子ピアノやキーボードは関係ないだろ!」って? そうかな? ほんとにそうかな? 私の場合は、そうすると姿勢が良くなって、指がとても動きやすくなるよ。 最近の電子ピアノは、私が持っている古過ぎる電子ピアノと違って、音の強弱やニュアンスをとてもつけやすくなっているんじゃないかな? 楽器の演奏とは、ご先祖様(神々)の頭蓋骨である楽器やPA/スピーカーと、自分の生身の楽器である肺や口腔鼻腔を共鳴させる、あの世の存在とこの世の存在の交歓(=たがいに楽しむ)アクティビティだと、私は思う。 


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