ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

姿勢と「クラシックピアノレッスン教」

 

2022年9月28日に、下記の記事が一瞬だけ「注目記事」のトップになったことに触発されて、以下の文を書きました:

2022年9月28日追記: 

あれ?この記事がとうとう「注目記事」の筆頭になったよ! というわけではないんだけど、私が実体験から個人的に確信していることは、 

クラシックピアノは、姿勢が99%だ! 

ということ。だから、 

指を鍛えるとか脱力奏法とかいう前に、 

ピアノを演奏する姿勢! というか、ぶっちゃけそれ以前の問題として、 

日ごろの日常生活でとっている姿勢を何とかするほうが先決だ! ということだ。 

おおもとの姿勢が整わないのに、そのせいで金縛りのように動けなくなっている指をシゴクなんて、 

自分の指に対する拷問だ! 指に罪は無い。 まずは指にかかっている根本的な負担をとってあげないと、指は何にもできないんだ! 指がかわいそうじゃないか! 

高校を卒業した人なら物理を習ったでしょ? よーく考えてみたら? 「考える」ってそういうことだよ。 

「指の訓練!」以前に、おおもとを正さないと。 なのにさ、

100人中99人のピアノ教師は「指の訓練!」を声高に唱えるだけ。

かわいそうに、姿勢が整わないままに自分の指に悲壮な練習を課して腱鞘炎やジストニアを発症する生徒さんたちが目に見えるようだ。 

「脱力奏法」にしてもそう。 だいたいにして、

姿勢が整っていないのに「脱力」するなんて無理だ! それから、

「なんとか奏法」とか「コード奏法」とか、

「~法」のつくものにロクなもんはないと私は思っている。 

フォークやロックやメタルギター愛好者に「コード奏法」って言ってみなよ、大笑いすると思うよ。 中学校の教室で仲間でワイワイ教え合ったり雑誌を買ってきてそれを見ながらギターかきならしているうちに知らないうち覚えられちゃったものが、ご大層に「~奏法」だって!? しかもお金払って習ってんの(大笑)?だよ。 それから「脱力奏法」なんてイカメシイ言葉を聞いたとたんに、私なんかそれだけで力が入っちゃうよ。  

と、私が実感するのは、 私自身が、ピアノ教育分野でそれなりの地位に有るピアノ教師に、子ども時代の数年間と、大人になってから半年ほど、習っていたからだ。 

その経験から、私はもうピアノ教育と巷のピアノ教師の言うことを額面どおり信じることを止めた(欧米をはじめ日本その他の地域でも、クラシックピアニストを目指す子どもは教師というかピアノ教育エスタブリッシュメント(制度機構)に絶対服従しないと事実上先には進めないとおもうけど、ピアノ教師の指導如何よりも、もともと先天的な「素質」に恵まれた子どもたちだけが勝ち上がっていくんじゃないかな)。 

そして、直近の5年間、ピアノを弾く自分の動きや姿勢に注意を向けながら、本を読んだりDVDを買ったりネットの情報を見たりして、家で姿勢が整うような簡単な運動(までもいかないこと)をずーっと続けた結果、今までの人生でいちばん姿勢が良くなって、それに伴って、ピアノを習っていた子どもの頃やピアノを再開した当初レッスンでダメ出し指導されていた時よりも、圧倒的に左手が動くようになって、演奏の幅が広がって嬉しく思っているし、ヘタな指導を受けるよりも自分で考えて試行錯誤することの重要性を痛感している。

 

50歳を過ぎた人たちは、

自然の摂理として、姿勢も筋力も体力も視力も聴力も、脳力(思考や分析力や記憶力など)も、そして、脳⇔身体の連携能力も、

なにもかもが衰え始めている! だから、 

はっきりいってピアノなんぞ以前の問題としてね、

自分の健康長寿のために、せめて姿勢だけは整えたほうが幸せに長生きできる! 

と私は本気で思っているよ。 姿勢が整うと、脳を含めた身体への無駄な負担が減ると、私は確信しているから。

 

姿勢に対処せずに「ピアノの演奏のための指練習」?「脱力奏法」?「親指の使い方」? 笑っちゃうよ。 いやぜんぜん笑い事ではないよ、むしろ恐ろしいと私は感じる。 

「クラシックピアノレッスン教」という、

恐怖心をあおるような枝葉末節な減点法の指導とカルト的な自己啓発誘導で生徒を思考停止に陥らせてマインドコントロールしてカネをまき上げる

怪しげな新興宗教にもなりかねないものの信者が増えるだけだ。 そして、 

まきあげたカネはいったいどこに吸い取られて、いったい誰のハラを肥やしているのか? もっとも、日本の国外に流出しないだけマシかもしれないけどね(←これはとても重要なことだ! 世界中が狙っている日本人の貯蓄を、日本の国外に流出させないことが、日本の未来に寄与する。日本円が日本国内のビジネスに支払われるように、よくよく考えてカネを使おうと思う。日本に納税しているまっとうなビジネスにカネを落とせば、日本の国富が海外に流出しないので、日本人の益になる。全国版のふるさと納税だ。もう10年以上前の情報だけど「日本の国民年金基金は世界最大の年金基金」とか「日本の郵便貯金の総額」は世界最大だったかどうか覚えていないけど、そういう記事をFTで見かけたことがある。その前後から、郵便局でアヒルの保険商品を売り出したよね、あれは、「日本人のゆうちょを少しこっちによこせ!」ってジャイアンに言われたからそうなったのかな、なんて当時思ったんだ。その後、郵便局員によるその保険商品の強引な販売方法が問題になったよね...。)  

 

話をもどして、

おおもとの、姿勢が整っていなければ、 

末端の指をどんなに訓練して酷使して痛めつけても無駄だと思う。 

街行く中高年だけでなく若者たちのヒドイ姿勢を見ると、ますますそう思う! 

あんな悲惨な姿勢で、スポーツがロクにできるわけがない。 

ロクにスポーツができなければ、クラシックピアノもスポーツと同じような出来ばえになる。

 

ジャズピアノや即興演奏は別だ。 なぜなら、これらをやるためには「脳」を鍛えるというか、脳の中に音楽文法の知識と音楽語のボキャブラリーを集積した上で、脳内でそれらを統合し応用して自らの音楽表現を創出する、リアルタイム作曲活動が必要だからだ。  

即興演奏有りきのジャズや、ポップスや現代音楽の即興演奏は、

自分が作曲家になることだから。 つまり、

自分で作曲がリアルタイムにできること=即興演奏ができないとね。 

即興演奏とは作曲脳によるリアルタイム創作芸術活動だから、音楽の知見とノウハウを脳内でリンクさせてそれらを自由自在に応用してクリエイティブに自己表現活動ができることが必要だ。

 

クラシックピアノでは、作曲脳による創作芸術活動はヨーロッパの大昔の大作曲家の先生方がぜんぶやってくれちゃってるから、ジャズなどの即興演奏で必要な音楽ボキャブラリーの構築や作曲脳を鍛えるという必要はゼロだ。 それよりも、

大作曲家の先生方の創作芸術を完璧に再現演奏するための再生機械にならないといけない。 ミスタッチが減点になって然るべき世界だ。 だから、メカニカルな身体スポーツ能力を鍛えることが第一だ。

もちろん、

作曲家の先生方の創作した楽譜を、楽譜に書いてあるとおりに完璧に再現演奏できる手の大きさというか指の長さや、運動能力が必要になってくる。 同時に鳴らすべき10度の和音をバラし弾きしてお茶を濁す行為はシロートのお遊びでは許されても、プロ演奏家では許されるはずがない。 だって、作曲家の先生がお書きになった芸術作品をちゃんと再現できないんだから。 

私が理解できない点は、10度の和音をバラし弾きしてゴマかしてしか弾けないようなクラシックピアノ教師が、ジャズやポピュラーといった「軽音楽」をはなっから見下している、という風潮だ。 自分たちは作曲もしないしというかマトモにできないし、(手が小さすぎて)楽譜をマトモに再現することすら物理的にできないのに、ジャズやポピュラー音楽を演奏する「実質的な作曲家」たちを、一体全体どういう了見で見下すことができるのか? そのうえ、その貧弱なフィジカルにこそ必要なホリスティックな全身の姿勢の重要性を棚に上げて、「指練習!指練習!指練習!」などとかまびすしく叫んだり、減点法の指導を浴びてすっかり自信を失って怯えきった「生徒=信者」に対して今度は自己啓発的な精神文言を蜘蛛の糸のように吐き出してイタイケな子どもやシロートの中高年を「練習するぞ練習するぞ練習するぞ」な思考停止に陥れてマインドコントロールしようするかのような「クラシックピアノレッスン教」指導者も中にはいるのではなかろうか。 もしも確信犯的にそうしているんだったらヤリ手のアクドイ商売人だが、無意識に行っているとしたらそのほうがもっと恐ろしい。 

 

だけど、それに引っかかるほうも引っかかるほうだ、というか、カモられる方が愚かともいえる。 自分のアタマで考えないとだいたいカモられるのが、世の中だ。 

 

私の場合は、音楽や舞台といった芸能産業の各種プロジェクトに携わるなど全うな仕事をしている一流のケンバニスト(=演奏家作曲家編曲家音楽監督)さんたちの作品音源や実演だけを見つめながら、自分のアタマで考えて、つまづいたり、ころんだり、道に迷ったりしながら、どんなに歩みが遅くても、どんなに遠回りしても、自分で工夫したり試行錯誤したりしながら、自分の意志で、自分の足で歩いて行く。 それがいちばん後悔しないと思う。   

 

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