ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

ジャズピアノをやってみたい私にとって、ためになった情報のまとめ(その③)

 

前回からの続き。前回の記事は:

ジャズピアノをやってみたい私にとって、ためになった情報のまとめ(その②) - ピアノ方丈記

 

前回までは:

 

ジャズピアノに代表される、20世紀以降の音楽を追求するために、個人的にそうだ!と思ったり、非常にためになった内容とは:

 

①クラシックピアノ訛りを完全除去する必要性:

前回までに書き尽くしたから、今回はパス。

② ジャズピアノを習う場合は必ず!本物のジャズピアニストから習おう!: 

前回までに書き尽くしたから、今回はパス。

 

 

③ 何年かかってもいいから、覚えられるまで続けた人に、音楽の神様は微笑む   

前回の内容に加えて、 

「12キーでスケールを覚えるのに、2年もかからないだろう!」

と思う向きもあるかとおもいますが、

短期間でササッと覚えたものって、すぐに忘れてしまうでしょう? その例が、試験の前の「一夜漬け」だったでしょ?

どうして、短期間で覚えたものは、すぐに忘れてしまうか?というと、

たぶん、脳の表面にしか定着しないからだと思います。 

つまり、「脳の底」に根付かないんですよ。

この、知識なりノウハウなりが「脳の底」にシッカリと根付くまでには、「記憶の根」が深く深く育つ時間が必要なんですよ。 

だから、ほんのわずかな内容でも、完全にマスターするのに、何年もかかるんですよ。

カレーもそうでしょ?作り立てのカレーよりも、一晩寝かせたカレーの方が、具材に味が染みて、全体的に味が落ち着いて、美味しいでしょ? あれと同じだと思います。

だから、忘れても、忘れても、メゲないで、自分にダメ出ししないで、とりあえず3年間は楽しく続けていくと、3年後に「脳の底」から自然に湧き出すようになるかもしれない、と思って、自分のペースで楽しく続けていくしかない!と、私は実感したのです。 

そして、実際に、ふとしたときに、「脳の底」から湧いてくることがあって、「これは私が弾いているのか!?」と弾きながらビックリすることがあります。 あとで録音を聞いてみると、「この私が、本当に弾いたのか!?」と思うこともあります。 「脳の底」にいろいろ溜まってきたものが、熟成しながらある一定の量を超えてくると、火山の噴火のように、脳の表面にポッ!と飛び出してくるんだ!と実感します。 

「脳の底」っていう言葉が浮かんだのですが、

「脳の底」=「無意識領域」=「ハラ(腸)」➡「自動操縦モード」=「脳の表面で他のことを考えていてもできる」 ということだと思います。

 

「脳の底」=「無意識領域」=「ハラ(腸)」➡「自動操縦モード」=「脳の表面で他のことを考えていてもできる」境地に至るまでが、何年もかかるというわけです。当然だね。

 

自分の人生を振り返ってみると、一人前になるまでに、フルタイム(実働7.5時間)で3年はかかったと思います。 

私にとって、人生でいちばん長かった一週間は、新卒で企業に入社して職場で働き始めた一週間です。 

学生時代とは、何もかもが違う。 大学までの知識や学歴なんて、これっぽっちも役に立たない。 そもそも、一日に(昼休みを挟んで)8時間以上もぶっ通しで働くことなんて、今まで経験したことが無い! 入社直後は、昼休みも、職場の先輩方と一緒に昼食を食べるわけで、緊張して気の安まる暇が無い。 実社会の言葉遣いやマナーに面食らってばかり。 電話をとることすら、恐ろしくてできない。 コピー1枚とることも、先輩社員から厳しく指導される。 コピーのとりかたや、お茶の出し方をバカにしてゾンザイに行う人は、もっと重要な仕事もそのように行う人だからです。 あらゆることに対して、実社会のしきたりを指導される。 でも、仕事だから、逃げ出したくても、逃げられない。 お金を稼ぐために、頑張って覚えて、やるしかない。 一週間が終わって、泥のように疲れました。 

私にとって、人生でいちばん長く感じた一か月は、新卒で企業に入社して職場で働き始めてからの一か月です。 

私にとって、人生でいちばん長く感じた3か月間は、新卒で企業に入社して職場で働き始めてからの3か月です。 

3か月を過ぎたころから、ようやく社会人生活に慣れて、最低限のそのまた最低限の仕事は、どうにかこうにか、できるようになりました。 

ということを3年間フルタイムで続けて、ようやく、仕事に、会社に、大人の社会に慣れてきました。 

 ↑ キモは、スキルや知識や経験値は、働いてお金をもらいながら覚えるということです。お金をはらっている間は身に付かないんです。

だから、趣味の習い事に何年もお金を払い続けても、あまり上達しないのです。 心の底から、本当に上達したければ、それを仕事にすることです。 楽器演奏が上達したければ、楽器演奏のプロになって、毎晩のように来る日も来る日も演奏仕事を続けていれば、いやでも上達せざるをえません(だから、ピアノの先生は、どんどんピアノが下手になっていく運命にあるのです。だって、毎晩来る日も来る日も演奏仕事をしていたらピアノ教師になっていないでしょう?)。 

 

なんでも同じだと思います。 そもそも、ピアノや音楽を一日実働7時間もやっていますか? しかも、実働7時間の、クライアント様から受注したガチの仕事として、やっていますか? 何でもママがしてくれるお子さまとは違いますから、日々の仕事や家事を勤め上げた後の隙間時間に一日に30分もできるかできないかで、3か月で何が覚えられますか? 「トウ」の立ちまくった中高年ができる進歩って、それくらい遅いんですよ。 高校生が2年かかってマスターしたことは、中高年は10年かかってもマスターできないかもしれない。 

それをね、「クラシックの専門教育を受けた」ことを自慢する人たちは、わかんないみたいなんだよね。 独り善がりはすぐにぶっ潰される実社会に入るための通過儀礼を経ないで、親元や家族の世界から出ることなく身体だけ齢をとるだけで、真っ当な社会人生活を経験していないから、被扶養者の身分のころに扶養者につけさせてもらった学歴等を自慢するんだろうね、というか、それしか自慢するものが無いんだろうね。 

だから、外野の言うことは笑い飛ばしていかないと、こちらが損になります。 とくに、子どもの頃に親に月謝も学費もぜーんぶ払ってもらった人が断定口調で自慢げに語る内容は、参考になりませんから、聞く耳を持たずに、社会人のペースで続けていく。

実社会で日々働いて、年収数百万円から一千万円以上、いやそれ以上も稼いでいる、自分の経済力でクレジットカードを持てる人たちが、どういうわけか、「芸術」系上がりの高慢チキな「自称芸術家」に対して気弱に応じてしまうのは、非常におかしなことだと思います。 世の中、自らが経済力を持つ者が絶対的に強いのですから、自分の人生を削ってフルタイムで必死に仕事をして稼いだお金(=自分の分身)を、親のスネをかじりながら好きなことだけやってきた存在にいたずらに貢ぐなどして、粗末にすることのないようにしたいものです。 音楽産業の中で全うに稼働している本物のプロの人たちは、人間が謙虚で、誰に対しても人当たりが良いものです。 実社会の中では、卓越したスキルに加えて、対人コミュニケーションスキルが無ければ、お金を稼いで生きていけないから、自然にそうなるのです。

 

④ 「クラシックピアノ教」の洗脳から脱却し、脳を無限の音楽の宇宙に開放する必要性。

具体的には、

 (1)「直線的」なレッスン方法をやめて、音楽語を「裾野から立体的」に積み上げていく。 クラシックピアノのお稽古は、課題曲(だけ)を家で練習して、ピアノ教師に「合格」をもらって、つぎの課題曲(だけ)に進んでいく、っていう、極めて直線的な方法だよね。 ところが、この世の物理学では、高いところに行くためには、富士山やピラミッドのように、広範な底辺の基礎部分の積み上げが必要です。 だから、さいしょのうちは、ものすごく進みがノロい。 何年も進みがノロいのは、それだけ広範な底辺部分に、まんべんなく基礎を敷き詰めて、土台を作っているからです。 赤ちゃんだってそうでしょう? 周りの大人やお兄さんお姉さんの言葉を、長い間聞くばかりの期間を経て、ようやく言葉を話しはじめるでしょ? 音楽だってなんだって、同じです。 そして、何年か経つと、敷き詰める土台の面積がだんだん少なくなっていって、土を盛るペースが速くなってきて、加速度的に上昇していく。 これが、この世の摂理です。 東京スカイツリー超高層ビルが、直線的に超高層なのは、無数の人たちの膨大な技術力と労働力を集中的につぎ込んで、人間の集団が力を合わせて建設するからです。 ひとりの人間ができる所業ではありません。 

だから、「直線的な」方法であるクラシックピアノのレッスンに何年通っても、いつまでたってもミスタッチするんです。 ミスタッチするのは、音楽を理解していないから、ミスタッチするのです。 何年もかけて音楽を底辺の裾野から積み上げていくと、ミスタッチしたくてもなかなかできなくなっていきます。 だから、本物のプロはミスタッチしないんです。 仮にしたとしても、音楽の「バンカーショット」の引き出しを多彩に持っているので、ミスタッチに聞こえないんです。 音楽の盤石な土台の上に築いた音楽の総合力を有していて、音楽を知り尽くしているから、もはや、間違えたくても間違えることができないレベルの人たちが、プロです。 

クラシックピアノ人がガン見しながら弾く、あの楽譜。 楽譜とは、作曲家の総合的な実力の「かさぶた」みたいなものです。 作曲家の血肉から、あふれ出した、ほんのわずかなものを、譜面に書き留めて固定した、「かさぶた」です。 「かさぶた」をなぞって弾くばっかりだから、「かさぶた」の下に膨大に蓄積された音楽の血肉(総合力)がぜんぜん無いから、音楽を実のところ殆ど理解していないから、いつまでたってもまちがえるし、覚えたさきから忘れてしまうし、移調はできないし、聞き取れないし、即興演奏はできないし、手垢がつきまくった「既成のパーツ」を機械的にポコポコはめ込むだけの不自然で薄っぺらなアレンジしかできないんです。 理由は、音楽の血肉(総合的な実力)が無いから。 音楽の血肉(総合的な実力)をつけようともしなくても、今まで来られてしまったから。

「音楽の血肉」とは、富士山の裾野のような広範な基礎部分と、それを土台に長年積み上げてきた、「音楽の総合的な実力」のことです。 「音楽の総合的な実力」とは、【瞬時の耳コピ&再現演奏 + 瞬時の移調演奏 + 即興創作演奏 + 即興編曲演奏 + 読譜力 + 作曲力 + 編曲力 + 演奏技術 + 伝える力】のことです。これら全てがまんべんなく高レベルで整っている人だけが、真っ当なプロとして成功している、という印象を、私は持っています。 私は、真っ当なプロの作品と演奏と言葉だけを参考にしています(その他に私が参考にしているのは、主体性を持って音楽を探求するアマチュア愛好家さんたちの経験談です)。  上っ面だけの中途半端な存在による、上っ面だけの中途半端な内容をマネすると、自分も上っ面だけの中途半端な存在になってしまうから、絶対的に避けています。 

クラシックピアノのお稽古の大弊害は、「合格」や「マル」をもらうまではピアノ教師の言うことに一喜一憂しながら、脅迫されたように機械的な練習を繰り返し、ひとたび「合格」や「マル」をもらうと、「その曲はもう卒業!」と思って、その曲に見向きもしなくなることです。 これは、大人としては大変に幼稚な考えですが、子どものころからピアノのお稽古に通い続けていると、なんでもかんでも、自分より立場が上の権力者から「合格」や「マル」をもらえないと、自分を肯定することができなくなってしまうマインドセットが、ピアノのお稽古を通して刷り込まれてしまうような気が、私はします。 

 

続きはぼちぼち...:

 (2) 「いつでもどこでも発表会!」にしてしまう「お子さまマインドセット」から脱却する。 

 (3) 「自分で自分の審査員」をやめる。 

 (4) 「お子さま練習」マインドセットから、「大人の探求」マインドセットへ。 

 (5) 「楽譜依存症」を克服する。 

 (6) 「ミスタッチ」したら「ワクワクする」次元を目指す。

 (7) 玉乗り曲芸を脅迫されるように練習するのをやめて、遠くを見ながら脳を耕していく。 

 (8) 「丸暗記ものマインドセット」を捨てて、「応用問題マインドセット」になる。

 (9) ピアノ教師の価値観を、疑うようにする。 

 (10) ピアノ教育制度の「脅しによる洗脳」を、疑うようにする。

 (11) 音楽の主体性を、自分に取り戻す。 

 

これらについては近々...。

 

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