ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

ジャズピアノをやってみたい私にとって、ためになった情報のまとめ(その②)

 

前回からの続き。前回の記事は:

ジャズピアノをやってみたい私にとって、ためになった情報のまとめ(その①) - ピアノ方丈記

 

前回までは:

 

ジャズピアノに代表される、20世紀以降の音楽を追求するために、個人的にそうだ!と思ったり、非常にためになった内容とは:

 

①クラシックピアノ訛りを完全除去する必要性:

前回の内容に加えて、私が思うクラシックピアノ訛りとは:

 

 (1) 私が「ツェルニー和声(爆笑!)」とか「だんご三兄弟」とか「みたらし団子」とか形容している「三度堆積の三和音」つまり「ドミソ、ドファラ、ドミソ、シレソ、ドミソ。ミソド、ファラド...(以下省略)」によって、幼少のみぎりから脳幹が染まってしまっているので、即興演奏でも、それらが飛び出てきて、まるでお遊戯のような音楽になってしまう。

 

   (2) ダイアトニックスケールのみのアドリブ。つまり、オルタード音不在のアドリブ、すなわち、ツェルニーや日本の唱歌みたいなアドリブ。 これも、幼少のみぎりからツェルニー和声(爆笑!)」+ダイアトニックスケールの曲ばかりやらされてきたため、それらがアドリブ演奏に出てしまう。

 

   (3) 曲のいちばん終わりの締めのコードを必ず I 度で締めずにはいられない悲しい性(さが)。 例:ポップスを気取ってなのか「ッドッドドッ!」みたいにして演奏を終える(笑)。←[ I - IV - V - I ]のクラシックのカデンツが脳幹まで染みついてしまっているからそうなってしまう。 曲の一番最後を I 度以外のコードで締められるかどうかが、その人の音楽の洗練度合いのリトマス試験紙だ。もちろん、 ほとんどの曲は I 度で終わるけど、そこをもうひとヒネリできるかどうか。 だけど、クラシックピアノ人は、I 度で締める以外の引き出しを全くといっていいほど持っていないから、100パーセント I 度で締めて、それになんの疑問も感じていないということが、お粗末だってことです。

 

   (4) 私が思うところの「ツェルニーリズム(爆笑)」。 これはクラシック音楽を通じて普遍なので、別に「ショパンリズム」でも「リストリズム」でもいいんだけどね。 例としては、左手の動きが「ドソミソドソミソ」や「ズンチャッチャ」や「ドミソソミドミソソミ」、右手メロが「ミソファミレファミレドミレドシレソシドー」など。 要するに、等間隔の音符の連続。 拍子は2か3とその倍数(4や6)。5拍子とか7拍子とか13.5拍子とかが一切出てこない。(←現代音楽になると、いろいろなリズムや拍子が出てくるが、通常のピアノのお稽古ではそこまで到達しない。理由は、教える実力の有るピアノ教師がいないから。)

 

 (5) 自分の脳内でリズムを刻んでから弾き始めることをしない。 そのかわりに、神妙に両手の指を鍵盤の上にのせて3秒ぐらい静止させてから、ふわりと弾むように(笑っ)弾き始める。←発表会やコンクールの「お作法」が大人になっても無意識に出てしまう。三つ子の魂100まで! その3秒ぐらいの静止時間中、頭の中は「空」で、何も考えていない。たいへんクラシックピアノ人的な演奏前儀式だと、私は思って見ています。

 

 (6) 女性:両肘をグワングワンと過度に回旋させて弾く。←力学的な合理性が全く無い、形だけの、単なるポーズの演奏動作(笑)。 男性:女性のピアノ教師に「手首を柔らかく使って!」と言われ続けているからなのか、手首から指にかけての動きがグニャグニャして女っぽい。そして、男性なのに、ピアノの音がぜんぜん力強くなくて、フニャフニャしている。虚勢されたオス猫の動作もそんな感じなのかな? 男だったら、男のピアノを見せつけて、ピアノ教師をオレに惚れさせてやる!くらいの、テストステロン全開の心意気で弾かなきゃ、ピアノを芸術的には弾けないよ!←何も下品なことじゃないよ!クラシックピアノ人さんたちが神とあがめるリストを見てごらん、聴衆の高貴な女性たちを発情期のメス犬のように魅了していたでしょ?だから「リストマニア」なる造語ができたわけでしょ?事実、リストは、夫ある貴族の女性たちと不倫してたでしょ?

 

 (7) 演奏中の顔の形相が怖い!にらみつけるような形相で、襲いかかるように弾く。 これに加えて、情熱的すぎる演奏。「情熱的に弾き放つっ!」どんな曲でもショパンやリストにしてしまう。 つまり、鬼気迫る雰囲気(怖っ!)がジャズやポップスにぜんぜん合っていない! 

 

 (8) ふだんからジャズやフュージョンに馴染んでいないから、リズム感が全く身についていないので、演奏するときに、ピョコタンピョコタン!と大真面目に(笑)動きながら、いかにも「今私はジャズをノリノリで弾いているのです!」みたいな、不自然で滑稽な動きで演奏する。 この、大真面目で鬼気迫る(笑)ピョコタンピョコタン!は、クラシックピアノ人が「ジャズのピアノ楽譜」や「フュージョンのピアノ楽譜」を、楽譜どおりに一音も間違えずに再現演奏する場合に、非常によく見られます。 ちなみに、ジャズやフュージョンのケンバニストさんたちは、あんな面白い動きをしながら演奏しないよ! だから、大真面目で鬼気迫る(笑)ピョコタンピョコタン!はクラシックピアノ人に限った芸風です。 クラシックピアノ人は、クラシックピアノ曲を演奏するときも、大袈裟な身振りで演奏するよね。 なんかさ、演奏する音楽よりも、演奏する身振りのほうが重要!って思っているふうにも見えるよ。 「ピアノ演奏とは、イリュージョンいっぱいの見世物である!」と、当の本人たちが思っているのかもしれないね。 だから、ジャズやポップスを弾くときも、ピョコタンピョコタン!しちゃうのかもしれないね。 

それとも、原曲を作曲したジャズやフュージョンのミュージシャンの実際の演奏を今まで見たことも聞いたこともない(し、今後も見るつもりも聞くつもりもない)、クラシックピアノの偉~い先生から、「この曲はジャズ/フュージョンであるからにして、リズム感いっぱいに、ノリノリで弾かなければならないのであーる!」と、厳格に指導されている(笑)のかな? だから、大真面目に鬼気迫って(笑)ピョコタンピョコタン!(大笑!)して弾くのかもね。

 

 (9) 「音数が多い速弾きがいちばんエラい!」と言わんばかりに、どんな曲でも、情熱的で劇的な、圧が高くて文字どおり暑苦しく鬼気迫る「バンラバラバラ演奏」にしてしまう。  

 

 (10) 音に「険(けん)」がある。「肩の力を抜いてポップスでも...」と、彼らが「ポップス」と思っているものを弾き始めるが、なんだか音に「険(けん)」がある。 肩に力が入りまくりのクラシック弾きなので、聴いている人が疲れる。  つまり、なんでもかんでも鬼気迫る(怖っ!)演奏になってしまう。

 

 

② ジャズピアノを習う場合は必ず!本物のジャズピアニストから習おう!: 

前回の内容に加えて

習わなくても、本物のジャズピアニストのライブに行ったり、CDなど音源やトランスクリプション譜を研究したり、自分でトランスクライブ(=耳コピして譜面に書き起こ)したりと、自分でできることはけっこうあります。 

そうしているうちに、ある日、アドリブ演奏を試行錯誤していると、「あれ?超一流ケンバニスト〇〇さんの手癖が乗り移ったよ!」という、嬉しい発見があったりします。 

それから、

クラシックピアノ教師は、そもそも、ジャズピアノを教えられるはずがないんです。 理由は、

クラシックピアノ教師は、ジャズ和声に全く馴染みないからです。

ジャズ和声に全く馴染みがないということは、ジャズ和声を聴きとって脳で認識することができないということです。 

そして、もっと恐ろしいのは、ジャズならではの複雑な和声を理解できないから、せっかくの幽玄微妙なジャズ和声を聞いても間違った音」と誤解してしまう可能性が高いからです。 

さらに、クラシックピアノ教師は、ジャズ特有の旋律に、「ヤサグレた、下品な」という生理的な嫌悪感を感じているふしがあるからです。 典型的な例が、ブルーススケールによるアドリブ演奏です。 だから、クラシックピアノ教師が、本当のジャズピアニストにジャズピアノを習っても、いつまでたってもダイアトニックスケール内でのアドリブ演奏に終始してしまうのです。 だから、いつまでたってもジャズっぽくならないのです。 

それから、クラシックピアノ教師にジャズピアノの楽譜の再現演奏を教わると、本質的におかしなことになってしまうと、私は強く思います。 ジャズには、「模範演奏」も「合格」や「マル」も、100点満点も、存在しないからです。 実際に、私のようなジャズ初心者でさえも、アドリブ中に「あ!間違えた!」と思って弾き直すと、「あれ~?こっちの ’間違えた’ 音のほうがカッコイイ(=音楽文法に則ったうえで洗練されている)よ!これからはこっちの音にしよう!」ということが、しばしば起きるからです。 だから、クラシックピアノ教師の前でジャズピアノの楽譜を、楽譜どおりに弾いて、「ここがミスタッチ!」とか言われたり、出来栄えを「クラシック目線で」評価されると、ジャズの上達が大きく阻害されることになるからです。

 

 

③「何年かかっても」いいから、覚えられるまで続けた人に、音楽の神様は微笑む   

前回の②に書いた、ベテランのジャズピアニスト西直樹さんがオンライン講座の中で言われた「何年かかっても」いいから、という言葉が、私の大きな励みになりました。 「そうか、覚えるのに長い時間がかかるのは、普通のことなんだ!私がバカなわけではないんだ!」と思えたことが、どんなに希望になったことか!

音楽の基礎の中でも、もっとも基礎的な「あいうえお」みたいな内容をマスターして完全に自分のものにするだけでも、複数年がかかる、という内容のことを、プロ/アマを問わず、国の内外を問わず、たくさんのジャズピアノの先達さんたちが、口をそろえて言うので、私は「少なくとも3年間はつづけてみよう!」と思うことができました。

たとえば、イギリスに住む高校生(かな?)のアフリカ系の男の子が、自分の部屋からキーボード演奏動画をアップし続けていて、そのうちの有る動画が検索で引っかかってきたので、視てみたら、「スケールを12調で弾けるようになることは、本当に重要だと思う。自分は弾けるようになるまで2年かかった」だって! 伸びざかりの、頭の柔らかい高校生で、2年かかったんだよ! じゃあ私は、4年かかっても、おかしくないでしょ!と思って、とっても励まされました。

「なんだ!そんな素人のガキが言ったことを鵜呑みにするとは!」 

と笑い飛ばす人もいるかもしれませんが、 

この高校生君からビル・エヴァンズまで、同じことを言うんです。

はい、ビル・エヴァンズまで。 

もいちど繰り返しましょうか? 

ビル・エヴァンズ! 

クラシックピアノ人さんたちが「ジャズをかじってみたいな~」って思ったときに、まず頭に浮かぶジャズピアニストが、ビル・エヴァンズでしょ? 

その、ビル・エヴァンズですよ。

ビル・エヴァンズの言葉は、アメリ東海岸からジャズピアノ動画を発信する、白人のジャズピアニストおじいさん(本業は牧場経営)が紹介していました。 ビル・エヴァンズの言葉の内容は:「自分は、「短期間でこれこれをマスターしました!」と言う人を、信用しない。知識や技術をマスターして自分のものにするまでには、長い年月がかかるから。」みたいな内容でした。 これをきいて、私はますます励まされました。

ビル・エヴァンズの言葉を紹介した、このおじいさんピアニストも、別の動画のなかで「何回も何回も、68回だって何回だって、できるようになるまでやる」と言っていました。 

チック・コリアの言葉をどこかで読んだので、書き留めました: 

 "If you want to play fast, practice slow... a lot!"  - Chick Corea 

つまり、

「速く弾きたければ、ゆっくり練習する... たくさん!」 

チック・コリアでさえも、ゆっくり、そして、たくさん、たぶん寝食を忘れるほど練習して、音楽を自分のものにしたんだ!と、私はますます励まされました。 

 ※「practice slow」って、何を、どのように、ゆっくりなんでしょう? クラシックピアノ人とジャズピアノ人では、解釈が全く異なるでしょうね。

上記の人たちの他にも、プロ/アマ問わず、国籍/人種を問わず、多くのジャズピアノの先達さんたちが、口をそろえて言っています。

つまり、

近道は、無い。ということですね。

だから、

「一日5分間で、これだけやれば、みるみる弾けるようになる!」

なんて言うのは、自分の動画へのアクセス数を稼ごうとする「釣り言葉」ですね。

どーせ、ロクな内容ではありません。

「3か月でマスターできます!」

って言葉と、それを言う人を、私は絶対に信用しません。 だから、

「ピアノの先生向け3か月のジャズピアノレッスン」におカネを払うようなピアノ教師は、カモだと思っています。 たった3か月ぽっきりで、しかもおカネを払っ(てもらっ)て、「買った」スキルなんて、使えないに決まっているからです。 

 

「勉強会」っていうものも、ダメだと思います。 私は「勉強会」に通い続けている人は、永遠に実力がつかない人だと思っています。 だって、ピアニストを含め超一流のケンバニストさんたちは、仕事の合間に同業者仲間の「勉強会」なんかに参加していないでしょう? それぞれが一本立ちして、鬼のようなスピードで日々の仕事をこなしているでしょう?

 

そもそも「勉強会」なるものは、自己実現道楽」にいそしむ人たちの、みんなで一緒に「お勉強した気分になって」みんなで一緒に気持ちよくなる(トリップする)ための集まりみたいなもんです。 だいたい、「勉強会」に参加して、その「リーダー」なる存在を囲んであーだこーだ、やいのやいのと、語り合ったあげくに、「お茶会」なんかが始まるでしょ? これ、はっきり言って、「何かをして自己実現したいけど実社会に出てガンガン働く気は無い」主婦たちの暇つぶしなんですよ。 私も、ピアノじゃないけど、そういう類の「勉強会」に参加したことありますよ。 勤め人さんたちがガンガン働いている平日の昼日中(ひるひなか)に、「先生」の自宅に集まって、あーだのこーだの語り合ったあげく、ケーキとティーでの歓談! 旦那の扶養控除内で「好きなことで」お小遣いを稼げればいいな~ぐらいの、お気楽な主婦の暇つぶしなんですよ。 だから、私はひとりで、外で給料仕事をし始めたんです。 実際の現場で働いてお給料をもらいながら仕事をすることが、スキルを上げるための最速で最も効率の良い方法に決まっているからです。しかも、お金も稼げるわけです。 「勉強会」に行ったって、おカネが出ていくばかりです。 リーダーさんからちょっとした「お仕事」を下請けでもらって、雀の涙ほどのお金をもらって、また次回の「勉強会」の交通費や参加費用やお茶代に消えていくわけです。 だから、本当にお金を稼ぎたいのであれば、「勉強会」という名の「オママゴト」に参加するよりも、近所のコンビニで働いたほうが、よっぽどお金になります。 でも、それはやりたくないんでしょ? だけども、「旦那や子どもが出払っている時間に、自分ができる、好きなことをして、おカネを稼ぎたい」なんていう非現実的な話があるわけねーんだよ。 だから、専業主婦は、実社会の「〇〇マイスター養成講座」なんかの恰好のカモになるんですよ。 「〇〇マイスター養成講座」でカネを稼ぐのは、養成講座と検定ビジネスを運営するナントカ社団法人のほうです。 でも、このテの「勉強会」や、「(職務経験が無くてもおカネを払って短期間受講すれば簡単に取得できる、実際にはたいしたおカネも稼げないのに資格維持費用だけは毎年毎年払わされ続ける)資格」というものは、「働く必要はないけど自己実現感を感じられなくて日々何となくモヤモヤしている」恵まれた環境にいらっしゃる奥様がたの、趣味道楽の暇つぶしみたいなもんだと、私は思います。  

 

まだ続くような気がする...。

続いた!:

tokyotoad1.hatenablog.com

 

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