ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

初見演奏能力と「カメラアイ」

 

「カメラアイ」ということばが一般化しているようです。 

 

「カメラアイ」という言葉から私が連想するのは、見た景色をカメラのように瞬間的に細密に脳に転写できて、その脳内転写画像記憶をもとに、非常に正確かつ細密な風景画を描いてしまう、自閉症のアーティストです。

  

アフリカ系イギリス人で、そのような人がいます。彼の幼少期に彼の非凡な才能を見抜いた学校の先生の励ましによって、画家になった人です。 たしか、東京の景色やニューヨークやロンドンのパノラマ画を、鬼のように細密にペンで描く人だと、私は記憶しています。 東京の風景画は、当時、手ぬぐいに製品化されたんじゃないかと記憶します。  

 

幼い頃にサヴァン症候群と診断されたアーティストの特徴は、脳内に転写した風景を思い出して再現描写する細密度合いが、人間離れしている点です。 上記のイギリス人画家は、東京やマンハッタン、ロンドンのコンクリートジャングルの都市風景を、驚くほどの正確さと細密度合いで、「思い出し描写」できるのです。 

 

私は、このような超能力(といっていいでしょう)と、初見演奏能力について、ちょっと思いをめぐらしてしまいました。 

 

上記の画家の絵には、常人レベルをはるかに超越した、神レベルの畏れ多さが感じられます。 神レベル。いわゆる「狂気」です。 「狂気」というと失礼かもしれませんが、凡人のレベルを無限に超越した非凡過ぎるレベルなので、凡人から見て「異常性」いわゆる「神域」です。 

 

ピアノの初見演奏は、訓練すればそれなりにできるようになると私は思いますが、常人をはるかに超えた正確な初見演奏を行える人のなかには、上記の画家のような、いわゆる神レベルの人も含まれているのではなかろうか。 

 

神レベルの人は、神レベルの人でいいんです。だって神レベルに生まれてきた人だから。 そのかわりに、その代償の十字架も背負って生きているはずです。 上記の画家だって、幼少期は、彼も、そして彼のご両親も、とても精神的に辛かったのではないかと思います。 だって、彼は特別すぎるから。

 

この画家さんの強みは、都市景観のような複雑に入り組んだパノラマを精密に再現描写する神レベルの能力だと思います。 

再現が悪いわけではありません。ただ、この人の能力が、神レベルで、世の中のおそらく99パーセント以上の人は、絶対に彼のレベルにはなれないということです。 

だから、凡人に対して、あまりにも「初見➡再現能力」の上達を強要しても、ある程度のところ、つまり人間レベルで終わってしまうのではないか。 

 

子どもの頃からピアノのお稽古に通わせてもらった人の中に、初見演奏能力をことさらに自慢する人たちがいます。 

それはすごいことだと思います。 でも、たぶん、その人たちは、上記の英国人画家のような神レベルの生まれではないと、私は思います。 そして、そんな人たちの多くは、楽譜どおりには弾けるけど、自分のオリジナルの音楽を紡ぎ出すことがとても苦手だという点です。  

 

生まれながらに神レベルの人が生み出す作品や演奏には、ある独特の「神レベル」な凄みがあります。

言い換えれば「狂気」。「狂気」が失礼なら「異常性」です。 

凡人の社会では浮いてしまう特殊能力のことです。

その特殊能力によって、その人たちが幸せなのか不幸せなのかは、別の話です。

 

プロの音楽業界には、複雑な和声を耳から聞いただけで再現演奏できるばかりか、神レベルのオリジナルの音楽を即興演奏で紡ぎだせる人たちがいます。 

こういった音楽の現人神(あらひとがみ)たちは、単なる再現演奏ではなく、作曲・編曲能力が非常にを通り越して異常に優れています。

 

音楽は見るものではなく、聴くものだと私は思っています。 

 

単に耳に入った音楽を脳内に刻み込めるばかりか、それらを脳内で統合して神レベルの和声やリズムを駆使した天上界の音楽をこの世にもたらす人たちのことを、私はプロのミュージシャンと呼びます。  

 

音楽は絵ではないので、耳で鑑賞する芸術です。 

耳で聴いた音楽を脳で認識して再現できることが、音楽のプロとしての最低レベルの要件だと思います。 通常は、クライアントの要求に応じてその場で臨機応変にクライアントが満足するレベルプラスアルファの音楽をデリヴァーする(クライアントに届ける)人が、プロの音楽家です。

「楽譜が無いと弾けません」は、音楽素人のセリフです。

 

tokyotoad(東京ガマ蛙)