同じ記事②③の続き。 よく聞くショパンのメジャーな曲の耳コピというか「思い出しコピー」してみようと思い立って、キーを半音下げて記憶からアウトプットしたコードがこれ:
モト曲のキー(たぶんC#マイナー)から半音下げたCマイナーで記憶からアウトプットしたコード進行:
【イントロ】 G の単音ユニゾンから Cm
【Aパート】 Cm Cm Dø G7
Abmaj7 Bb7 Ebmaj Abmaj7 Bb7 Ebmaj
Abmaj7 Bb7 Ebmaj Abmaj7 Dø/Ab(=Fm6) Gsus G7
Ab° G7 Ab° G7
Cm Cm Dø G7
Cm Dø Cm/Eb Cmaj/E Fm Cmaj/E Fm F#°
とだんだん盛り上がっていって、
Cm/G F#° Cm/G F#° Cm/G F#°(←A°かも)
と最高潮に盛り上がってから、
Cm/G ←!この曲のクライマックスのキメコード から、
Cm/G Fm6/Ab F#° Cm/G ...
みたいなかんじで徐々にクールダウンしていって、
【 Aパート】の終盤になって、ようやっと G(G7かな?) にたどり着いてから、それからは以下のように進んでいく:
1回目は G(G7かな?)⇒Cmajに一件落着してから【Bパート】に行く
2回目は、G(G7かな?)⇒アウトロ(コーダ)に飛ぶ
【Bパート】 G7(9) Cmaj Cmaj/E G7 Cmaj/G G7 Cmaj/G G7
Fmaj A7(b9) Dm Cmaj/E(またはEm?) Fmaj6 G7(13)
Cmaj D7(9) G7 ときてからの展開は以下:
⇒ 1回目は Bパートのあたまに戻る
⇒2回目は ⇒ Cmajに一件落着してから Gmaj Cm6/G Gmaj Cm6(= Aø/C) Gmaj/D D7 Gmaj ⇒Bパートのあたまに戻る
⇒3回目は【Aパート】に戻る
【アウトロ】 あんまり覚えてないけどこんな感じだった?↓
Cm Dø/C を何度か繰り返して最後は Cm/G Cm/Eb ⇒ Cm 。
前回の記事では、
上記の曲(モトのキーはたぶんC#mじゃなかったかな?)で:
について、ショパンの絶妙の「チラ見せ&ジラしテク」について書いた。 ベースラインをジリッジリッと半音ずつ上げていき、時にはいったん下がったりしながら、しかも、結末のコードをあらかじめ「チラ見せ」というか「チラ聞かせ」しながら、お客さんの期待を盛り上げていき、最終地点のキメコードの頂上から、右手アルペジオがバラバラバラと降りてくる怒涛の劇的な展開で、お客さんに一気にカタルシスを与えるという、「遠山の金さん」にも通じるエンタメ性に、ビックリしたよ。
そして今回は、
② この曲が当時スゴイ!っと思われた理由はこれかな~?
については、私が思ったことを書くよ。
ショパンは「ロマン派」の作曲家っていわれるね。
高校では日本史だったので、西洋史はちんぷんかんぷんなんだけど、「ロマン派」って何? 「ロマンチックな感じの音楽をやった人たち」ってこと?
なんて漠然と思っていたら、ぜんぜんちがうみたいだね?
山田五郎さんの絵画の動画で、「ロマン派とは、民族主義を打ち出す芸術グループ」みたいに説明されていたと思う。 「ロマン派」の「ロマン」とは、ロマン語?とか何とかいう、西ヨーロッパのどこかの土着の言葉らしい。 だから「ロマン派」の本来の意味は、どっかのよそからやって来た支配者から「野蛮人」と下に見られて見くびられている「この土地に代々住みついてきた自分たちの民族の言葉と文化を誇り高く押し出して表現していこうじゃないか!派」なんだろうね。
へ~そうなんだ、じゃあ、ショパンの曲は、西洋の歴史と文化に疎い日本人が安易に想像するような「ロマンチックな雰囲気の上品で優美で優雅な曲」ではなくて、実はその正反対の、「おれたち民族の土着の文化バンザイ!」な、民族主義的な要素がフィーチャーされている曲なんだろうね? この「幻想即興曲」も民族主義的な曲なんだろうね?
と思いながら、曲冒頭のメロを頭の中で思い出してみたよ。こんなかんじだったかな?(ちがってたら私の即興演奏だね!):
5 b6 5 #4 5 1 b3 2 1 2 1 7 1 b3 5
↑ 下線部はオクターブ上の音
これを、トニック(1)から順に並べると: 1 2 b3 #4 5 b6 7
になる。 これをギターで演奏してみて、
「あっ!ハンガリアンマイナーだ!」
と思ったギター愛好者がいるだろう。いや、ギターで弾いてみる前に、あるいは、ショパンのこの曲のメロの冒頭を聞いただけで、そう思ったギタリストもいるかもしれない(そういう人こそ、真の音楽家だね)。
ハンガリアンマイナーといえば、ダブルハーモニック系のスケール(というかモード)だ。
ダブルハーモニックスケールに関しては、ギター漫談のペペ桜井さんの高座を観に行くと、ペペ桜井さんは必ずギターでこのスケールを弾いてご教示してくれる。 コロナ前に私が寄席で何度か観たとき、ペペ桜井さんの高座はいつも必ずこのスケールを使った曲とその講釈が入っていた。
「ハンガリアンマイナー」。名前からして、東欧ハンガリーの国名がついている。なんだか民族主義っぽい感じがするよ。 それもそのはず、このスケールをはじめ、ダブルハーモニック系には「オリエンタル」というスケール(モード)もあって、西洋からみると、東欧やイスラム圏といった東方世界のエキゾチックな感じがするスケールなんだね。 その秘密が「ダブルハーモニック」なことなんだね。 でも、西欧人は元来、「ハーモニック」な響きが苦手だったんだってね。というのは、西欧人が見下す、定住地を持たないジプシーの人たちの音楽を彷彿とさせるからかもね。あるいは、歴史を通じて西欧の脅威だったオスマントルコ帝国などイスラム圏の響きがするからなんだろうね? ハーモニックなメロディを聞くと「あぁ!また、強くて先進技術で武装したイスラム民族が襲ってくる!あー今回も勝てる気がしない...orz...」みたいな、ちょっとしたトラウマがあって、生理的にいやなのかもしれないね。 ケヴィン・コスナーが主演した映画『ロビンフッド』で、おそらくはキャストの人種が偏らないように配役されたと思われるアフリカ系の助演男優が演じる、ロビンフッドに助けられてヨーロッパの田舎の田舎つまりヨーロッパのド田舎のブリテン島に一緒にやって来たアフリカ人が、ロビンたちにとって東方世界の先進文化をもたらす存在に描かれていたのが、興味深かった(とくに、映画の最初のくだりでその人が望遠鏡を使うくだり。望遠鏡を覗いたことなんてなかったロビンのとっさの行動に誰もが苦笑失笑したことだろう)。
それなのに、ショパンのこの曲のさっきのAメロの冒頭。Aメロのしょっぱなだから、もちろん、ショパンがもっとも力を入れたツカミのメロディにちがいないんだが、それが、東方への入り口の雰囲気満点のハンガリアンマイナーだよ! それなのに、それを使ったそのツカミのメロ:
5 b6 5 #4 5 1 b3 2 1 2 1 7 1 b3 5(← 下線部はオクターブ上の音)
って、トニック(1)から順に並べたときの( 1 2 b3 #4 5 b6 7 )みたいなエキゾチックな感じに聞こえない。
それは、今の現代の私たちの耳には、もはやエキゾチックに聞こえないんだろうか?
ショパンの頃の人たちにとっては、もうじゅうぶんエキゾチック!に聞こえたんだろうか?
ショパンの工夫もあったかもね。 この曲のメロディー:
5 b6 5 #4 5 1 b3 2 1 2 1 7 1 b3 5(← 下線部はオクターブ上の音)
は、トニック(1)から順に並べたときに: 1 2 b3 #4 5 b6 7
エキゾチックに聞こえる「b3 #4」と「b6 7」の音の並び(半音3個分のインターバル)を使っていない。そこがショパンのテクだったのかも。だから、「ハンガリアンマイナー」を使っています!なんだけど、あんまり「ハンガリアン」に聞こえないようになっているのかも。
ショパンが、エキゾチックな雰囲気のスケールを使っていながら、エキゾチックな雰囲気を出さないように音を配列したように思われる箇所を、もう一か所見つけた。 それは、この曲のクライマックスの、あのキメコードから右手がアルペジオでバラバラ降りてくる、前回の記事③でフィーチャーした部分だ:
Cm Dø Cm/Eb Cmaj/E Fm Cmaj/E Fm F#°
とだんだん盛り上がっていって、
Cm/G F#° Cm/G F#° Cm/G F#°(A°かも)
と最高潮に盛り上がってから、
Cm/G ←!この曲のクライマックスのキメコード
の、最高潮クライマックスのキメコードCm/Gの右手アルペジオ部分のメロは、たぶん:
b6 5 b3 b3 4 b3 1 1 2 1 5 (5 b6 5) b3 (b3 ...
↑ 下線はオクターブ上の音、()内はオクターブ下の音。
このメロも、トニック(1)から順に並べると:1 2 b3 4 5 b6 1 になる。
1 2 b3 4 5 b6 1 って弾いてみると、たぶんこのスケールは、
1 2 b3 4 5 b6 [b7] 1 か、
1 2 b3 4 5 b6 [7] 1 かなんだろうな~、って思える。
欠けている音が「b7」であっても「7」であっても、結果的に、ショパンはここでも、半音3個分のインターバル(オグメンテッド2nd)の並び「b6 7」を避けたことになる。
「b6 7」の並びが入ると「1 2 b3 4 5 b6 7 1」。そう、メタルのギタリストがアドリブのソロ演奏でよく使うといわれている、ハーモニックマイナースケールだ。
そして、このあたりに、小学校の音楽の教科書で、わけもわからず西洋の短音階を3種類も機械的に覚えさせられた、その背景がうっすらと見え隠れしている。
tokyotoad
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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた(←諦めて命拾いした!と、今しみじみ振り返って背筋がゾッとしている)、「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。
「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。
tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。