以下は、20220113にアメブロに書いた記事:
去年の10月末から、
私にとっての「いろは」の「は」に重点的に取り組んでいて、
2か月半が経過し、
良い進歩が感じられている。
私は、
新しいことに取り組む時はいつも、
目の前の巨大な壁に
「できるかな~?」
と、足がすくんでしまうが、
「とりあえず、3か月やってみてから、考えよう」
と思って、取り組み始める。
どんなに途方もないものでも、
3か月続けると、
1ミリぐらいは進歩するものなので、
「じゃぁ、1年は続けてみようか」
と思えるようになる。
1年続けると、
1センチぐらいは進歩が見えるものなので、
「じゃぁ、3年ぐらいは続けてみようか」
と思えるようになる。
最小単位を3か月にして、
四半期ごとに、小さな小さな進歩を喜んで、
続けていく。
このプロセスで、
私が「肝心だ」と思う点は、
続ける対象を「ちょっと背伸びすれば手の届くもの」にしておくことだ。
これを、欲張ったり勘違いしたりして
「自分は、このくらいはできる!」
と自分の力を過大評価して、
ハードルを上げてしまうと、
挫折に次ぐ挫折の波を味わうことになり、
やんなっちゃってやめてしまうどころか、
「できない自分」をかたくなに認めないという
タコツボ思考に陥ってしまう。
「できない自分」を認めないタコツボ思考に入ってしまっていたのが、
中学生あたりからつい2年前ぐらいまでの私だった。
音楽に関して、じつに、40年間、
タコツボの中で過ごしていたことになる。
人生の大いなる無駄であった。
もっとも、
40年間のうち30年間は、音楽どころではなかったので、
正味10年間のタコツボ思考だったが、
「子どもの頃にクラシックピアノのお稽古に10年以上通っていたのに、
子どもの頃から即興演奏もアレンジも自由にできた(と思っていた)のに、
本当の意味で音楽オンチ!
」
という悲しい真実を認めたくなかったのだ。
いや、本当は、わかっていたんだけど、
認めれば悲しくなってしまうから、
認めるのを先延ばしにし続けていただけなのだ。
でも、
認めずにダラダラと自分をごまかして続けていたら、
そのうち寿命が来て死んでしまうかもしれない!
と危機感を感じたので、
ようやくそれを認めて、
いちばんおおもとの、「いろは」の「い」から始めている。
私にとっては、
それが良い結果になっている。
私のアプローチは、
偉大なる大作曲家の作品を楽譜どおりに忠実に再現する
クラシックピアノをやりたい人には、
絶対に不適切な方法だ。
私の方法でやったら、
いつまでたっても、1曲も弾くことができないからだ。
私の夢は、
「自分の心のままに、自作曲でも編曲でも自由に即興演奏できる」ことなので、
最初の足場固めに時間をかけるのがいちばんの近道だと思っている。
tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト
もとの記事@アメブロ:
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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。
「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。
tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。
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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。
tokyotoad