ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

超一流はジャンルを問わず言うことが同じ

以下は、20220110にアメブロに書いた記事:

 

半世紀以上生きてきて、自分なりに社会で働いてきて、

つくづく思うのは、

ジャンルを問わず、超一流の人たちは、

言うことが同じ、ということだ。

 

つまり、そこに

上達や、習得や、プロレベルの熟達への鍵が有る。

 

年末年始、

プロ野球のOBたちの対談動画を見た。

動画のホストも、ゲストも、

プロ野球好きなら知っている、

12球団のスタメンを張っていた一流選手だった人たちだ。

 

ここで、

プロ野球12球団のスタメン選手たちのステイタス(地位)を確認したい。

日本のいわゆるプロ野球は12球団なので、

各ポジションの野手のスターティングメンバー(スタメン)は各チームにそれぞれ1人、

つまり、

12球団全体で12人しかいない。

たとえば、

ショート守備のスタメン選手は、1チームに1人なので、

12球団全体で、ショート守備のスタメン選手は12人しかいない。

リトルリーグ⇒中学生リーグ⇒高校野球を生き抜いてきた海砂利水魚の数ほどいる子どもたちのトップの中のトップの中のトップの中の....トップ、 つまり

日本の巨大な野球産業の頂点である

プロ野球界の頂点に君臨する

ほんの一握りの選手たちが、

私たちがテレビなどの画面を通して視ている、

プロ野球12球団のスターティングメンバー選手たちだ。

つまり、

存在自体がもはや人間ではない人たちだ。

 

このように考えると、

たとえば2000年代の日ハムのスタメンショートの金子誠選手が、

いかに途方もない存在だったかが、よくわかる。

同時期に外野を守った稲葉選手(2021侍ジャパンの金メダリスト監督)も、しかりである。

来季の日ハム監督の新庄選手も、しかりである。

他の球団でスタメンを張っていた、または、今スタメンを張っている人たちが、

いかに人間離れした存在であることが、よくわかる。

 

このような

人間を超越した人たちが、超一流の人たちであり、

超一流の人たちは、どんなジャンルでも、

一様に、同じ内容のことを語るのである。

 

当然、

ジャンルごとの特性は存在する。

年代ごとの特性も有る。

プロスポーツや文化芸術&芸能界は、

カタギの業界から見れば、

やんちゃでふしだらな印象もある。

が、

カタギの世界だって、

とくに若い頃は、カタギの世界なりに、

やんちゃでふしだらなところは、なくはない。

もちろん、

超一流になるにつれて、

年齢を重ねるにつれて落ち着いてきて、

やんちゃでふしだらなところは、無くなっていくものだ。

そして、

ジャンルや業界を問わず、

超一流の次元へ上に抜けた人たちは、

そのジャンルのオタクでありバカであり

サイボーグであり鬼であり

化け物であり怪物であり、つまり、

そのジャンルにおける神であり、

同時に、みな一様に

笑顔が素晴らしく、話が面白く、

人に嫌な思いを微塵(みじん)も感じさせない、

真の人格者に成った存在である。

超一流のプロスポーツ選手、

超一流の芸能人やミュージシャン、

一流企業のトップの人たち...。

頂点にいる人たちに共通する、人間的資質である。

その笑顔の、

相手まで明るく元気にさせる振る舞いの、

世間を明るくしかしないポジティブな言動の、

それらの裏に、

どれほど地獄の鍛錬の辛酸をなめてきたであろうか。

何度、泥水を飲んだであろうか。

何度、見たくもないものを目にし、経験してきたであろうか。

その地獄の日々の苦悩と苦闘と、

それに打ち勝ってきた血みどろの道が、

ひしひしと感じられる、

神々しい人たちである。

このような人たちの中には、

子どもの頃や若い頃に、

自分の生まれや育ちの身体的/社会的なハンデに悩んだり、

自分より身体的/社会的に恵まれた他人を羨(うらや)んだり、

そんな世の中にヘソを曲げていた人もいたかもしれないが、 

そんな後ろ向きな気持ちを跳ね返して、

いつも心に御日様を輝かせて、前向きにたゆまぬ努力をして、

自分の中や外にある闇に打ち勝って、もはや世間に明るさしか与えない、

真の現人神(あらひとがみ)たちである。

 

この年末年始、

そんな、真の現人神(あらひとがみ)のひとりのインタビュー動画に、感銘を受けた。

ある球団の著名な先発ピッチャーだった人のインタビュー動画である。

脱帽すると同時に、

個人的に学びになりまくった。

本業の野球にとどまらず、

趣味の世界における見聞を、本業の野球に生かして、

本業のピッチング業を研ぎ澄ましていって、

息の長い投手生活を全うしたことに、

とても感銘を受けた。

趣味の世界で接した、一般人のオタクたちの鬼気迫る改善行為と水も漏らさぬ準備戦略を目の当たりにして、

「野球のピッチングも同じようにすれば、もっと活躍できるに違いない!」

と学んだそうである。

人生いかなる時も自己研鑽。

見る人が、「見える眼」を持っていれば、 

この世は自己研鑽のヒントに溢れている。

これが、ジャンルを問わず、プロの、成功の、条件だ。

そんな

超一流の野球OBの人たちのインタビュー動画から、

私は、大いに学んだ。

動画のホストでインタビュアーの野球OBの方の存在も、輝かしい。

年始早々から、明るい陽光と大きなパワーを頂いた。

本人たちは、「自分たちは世間が言うほどの立派な存在ではない」

と言うだろう。

本人たちが決して語ることのない、闇もあるだろう。

だが、人間多かれ少なかれ、そんなものだし、

たとえ失敗したとしても立ち直ろうともがく彼らの姿から勇気をもらえる人たちもいるだろう。

当の本人が全く知らないところで、

見知らぬ、名も無き、無数の人たちに、

つまり、世間に、

大きなポジティブパワーを与えて人々の心を晴れやかに照らす存在が、

正真正銘の現人神(あらひとがみ)である。

 

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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