ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

足腰ができてきているのを確認する

以下は、20220116にアメブロに書いた記事:

 

私にとっての音楽の「いろは」の「は」を重点的に始めてから2か月半が経過したが、

 

嬉しいことに、その成果が徐々に出始めているのを実感している。

 

今日は、試しに、

私が子どもの頃の、とあるテレビまんが主題歌を演奏してみたら、

思いのほか上手く行った。

  (↑ 時代的に、堂々たる「テレビまんが主題歌」である。 

     ソノシートが有った時代のものだから、そうなのである。 

     決して「アニソン」とは呼ばないのである。 

     ちなみに、私はこのテレビまんがのソノシートを所有している。

     私の宝物のソノシートの1枚である!)

 

もっとも、選曲は、

「All the Things You Are」 でも 「ポリリズム」 でも

何でも良いのだ。

私が「この曲はスゴイ!」と思った作品を、

まっとうな大人の音楽文法に則って弾くことができれば、それでよいのだ。

 

「いろは」の「は」の探求のために、

年末年始に練習ツールを作っていた。

以前から使っていた、ある種類のツールを、3倍強に増量したのだ。

増量する気になったのは、そして、

増量しても平気でこなせるようになったのは、

それだけ、無意識領域での処理能力が上がっているしるしだ。

たいへん好ましいことだ。

 

独学では、自分なりの練習ツールを工夫することも、楽しみのひとつだ。

それによって、いくばくでも成果を実感できると、とても嬉しい。

 

成果と同時に、今現在の自分の弱みも確認できる。

これから、死ぬまでかけて、

弱みをできる限りつぶしていけばよいだけのはなしだ。

 

もちろん、レベルはまだまだだ。

巷のピアノの先生方のレベルよりは上だが、

一流のプロミュージシャンと比べたら爆笑レベルのお粗末さだ!

英検でいったら英検3級ぐらいかな?

日本語検定でいったら? よくわからない。

語彙が貧しくて、片言の、文法的な間違いが笑えるというレベルだ。

 (↑ それでも、私は、

    巷のクラシックピアノ教師に比べたら、即興演奏や編曲がはるかにできる。

    ピアノ再開後に一瞬習った一流プロのピアニスト先生主催の発表会で

    私は後半の部「ピアノ教師以上の部」に入れられて、 しかも

    私の演奏順番が、複数のピアノ教師たち(ピアノ教師たちは「生徒」として発表会に参加)の後だったのは、

    私の何かの音楽的な能力のレベルを表している。 また、

    子どもの頃から、当時習っていたピアノの先生の即興&編曲そして演奏能力に対して、大きな疑問というか疑念を持っていた。

    しかもその先生が、そこらへんの無名の家事テツピアノ教師ではなかったので、一層当惑したし、今でも当惑している。

    だから、子どもの頃から、巷のクラシックピアノ教師たちの音楽の実力を知っている。

    そして今や私は、独学で大人の音楽文法を探求していて、

    もはやコドモダマシではない、

    大人の音楽ボキャブラリーによる即興演奏ができるようになってきたのだ。)

 

という程度の、まだまだ低レベルの即興演奏だが、

 

中学までクラシックピアノを習っていた当時と比べたら、

独学で指数関数的な進歩を遂げているので、

大いに、大いに、満足している。

今年も、無理せずにぽつりぽつりと続けていくよ。

 

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

足腰ができてきているのを確認する | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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