以下は、20210726にアメブロに書いた記事:
最近になって、ようやく、「練習」とはどういうことか?がハラワタでわかったような気がしています。
いままでの「練習」は、「練習」じゃなかったね。
もちろん「練習」の前段階は、「練習」という言葉が一般に意味するものだったね。 だから、いまも、これからも、ずっと、一般的な意味の「練習」は続けていくことになるね。
ということは、本来の意味の「練習」は、「練習」と呼んじゃいけないんだろうね。 何と呼べばいいんだろうか?
赤ん坊に例えたら、一般的な意味の「練習」は、お母さんのおなかの中で赤ん坊の形になっていく過程だ。
オギャーと生まれてから、2本足で歩けるようになるまでの過程は、「練習」している感じはないもんね。 うまくできなくても、転んで崩れても、赤ちゃんは楽しそうだからね。 その過程を、何と呼べばいいんだろう?
ちゃんとした赤ん坊の形になる前に歩き出そうとしてしまいがちだけど、それはそれで、ありがちなことだし、ハリボテでもなんでも何かしら建てて動きださなければならない場合が、この世にはたくさんある。
時間に限りのある人生、それ自体がそうだ。
たぶん、ほとんどの人が、ハリボテの突貫工事で屋台みたいな自分の店をなんとかこしらえて、この世で生きていく。
私もそうだった。 ちゃんと基礎を打って、その上にしっかりした柱を据えて、太い梁でつなげて、立派な店を出すのがいいに決まっていることは、子どもの頃からわかっているけれど、自分を取り巻く環境を観察して、自分がそれをするには100年(=3代)早いと感じたら、とにかく突貫工事でハリボテの屋台をつくって動き出すほうが、限り有る人生のなかで時間をかけて基礎しかできませんでした...よりもずっとマシなんだよね。
多くの人が、すぐに答えを先生に求めようとしたり、先生に言われたことしかしない、みたいな背景に、そういう遠因もあるかもしれないね。
ハリボテの屋台でもなんでも、とにかく立てて、雨風をしのぎながら、ちょっとでも余裕ができたら、すこしずつ基礎を補強したり、壁を塗ったり、屋根に瓦をふいたりして、人生をかけて作っていった家は、ヘンテコな見た目になるかもしれないけど、最初のほったて小屋から比べれば大きな発展だ。
逆に、最初はたいそう立派な家だけど、人生が進むにつれてメンテナンスする余裕が無くなって、最後にはボロボロになっている、かつてのお屋敷もある。
tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト
もとの記事@アメブロ:
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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。
「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。
tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。
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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。
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