ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

身体ほぐしを始めて6年が経った

 

へバーデン結節になって1か月弾かなかったピアノを再び弾き始めてしばらく経ちました。 左手の小指を使わないようにして弾いています。 一日に弾く時間を2時間以内にしています。 左手の小指の痛みは無くなりましたが、左手の小指の関節の肥大は、なくなっていません(なくなることってあるのかな?)。 

 

おかしなものですが、へバーデン結節になったお陰で、私のピアニズムがさらに音楽的に進化しています。 届かないのに無理やり届こうとしたり、何かに脅迫されたように速弾きをかましたりすることができなくなった代わりに、ようやく音楽が私のものになり始めています。 

子供のころのピアノレッスンで教わったことは、楽譜の読み方と、弾けないくせに審査員ヅラして自分で自分の閻魔大王になって自分に「不合格!」と「減点!」を言い渡し続けて自分を痛めつける方法だった、ということが、しみじみわかりました。 ピアノ教師に習うと、ピアノが上達するよりも、ピアノ教師目線で(自分が弾けないくせに)自分や他人の演奏を容赦なく批判することが上手になっていくんだなぁと実感して、うんざりしています。

 

とくに、文字どおり小手先の動きだけをあれこれ注意・指導されても、おおもとの身体操作がお粗末だと、何をどう努力しても上手くいかない。←前にもこのブログでさんざん書きましたが、これが私の結論です。 

 

というか、ピアノや楽器演奏に限らず、おおもとの考え方や方法が悪いと、何をどう努力しても、どんなに悲愴に何時間も何年も続けても、どうどう巡りになってしまいます。 狐や狸にバカされ続けているからです。

 

狐や狸にバカされ続けるのは、自分で考えることを他人に丸投げして、自分で考えることをしないからです。「レッスンを受ければ教えてもらえる」マインドセットだからです。 そのような気持ちでレッスンに通って払うお金が有るんだったら、狐や狸に払い続けるよりも、自分の老後のために貯金したほうがよっぽど自分のためになると思います。

 

先月末で、身体ほぐしを始めて6年が経ちました。 6年前に始めてほんとうによかったと思います。 そうじゃなければ、今ごろ私は杖をついて歩いていたことでしょう。 

最初は、単発で複数の身体操作セッションに参加したり、本を読んだり、ブログを読んだり、動画を視たりして、身体操作ノウハウの核心に当たりをつけて、自宅で続けてきて、自分の身体の整え方がわかってきました。 

とはいっても、なんでもそうですが、完璧にわかるようになるまでに寿命がきてしまうでしょう。 音楽も仕事も何でも、人生一回分で極めるのは不可能です。 

 

ピアノや音楽理論や身体操作に限らず、熟達するための教えは、ほんの1~2行の文で言い表すことができると思います。 

よく、「剣術の師範から授かった虎の巻を開いてみたら何も書いていなかった!」という話が時代劇にでてきますが、そのとおりだと思います。 宮本武蔵の『五輪書』を一言で言うなら「自分が生き残るために、死んだつもりで勝負に臨め!」です。 同書の中で、宮本武蔵さんは、いろいろな表現を使って、さんざんそのように書いておられます。  

一休禅師が言ったのかどうかしりませんが「自分の死後、ほんとうに困ったことがあったら、これを読め」と言われた弟子が、ほんとうに困ったときにひもといたら、「心配するな、なんとかなる」って書いてあった!という逸話もありますが、そのとおりだと思います、というか、それしか方法ないでしょ。 人間、困った時はそう思ってなんとかするしかないでしょ。 

 

音楽の神髄も、一文で言い切れます。 音楽理論の本の冒頭か、(悪書の場合でも)その本のどこかに書いてあるはずです。 あとは、その一文の内容をマスターするために、やるだけです。 私は、そう思って、やり続けています。 私にとって音楽は楽しいものなので、一生やり続けていけると思います。

 

tokyotoad