以下は、20210727にアメブロに書いた記事:
3歳から中学卒業までクラシックピアノを習い、3世紀半ぶりにピアノを再開した、というか、再開できる境遇になれた(ことが良いことかどうかわからんが)ので、子どもの頃からの夢だった20世紀以降の音楽の追求を、細々と初めて、かれこれ5年になります。
私が子どもの頃のピアノのレッスンは、ほぼ例外なく、クラシックピアノクラシックピアノクラシッククラシッククラシッククラシッククラシッククラシッククラシックざますよ原理主義で、はっきり言って電子オルガンのほうが私には合っていたと、今になって思っています。
即興と変奏だけで、さして上級でもない検定に受かったせいなのか、ピアノの先生から某音楽教室チェーンの選抜子どもコースに紹介してもらえたのはよかったのですが、中学卒業時に家に電話がかかってきて、「クラシックは無理だけど、今度からジャズコースができるので、そちらにどうか?」と打診があり、母づたいにそれを聞いてカチン!ときたので、進学を断りました。
というか、中3にもなれば、音楽を生業にするためのセイフティーネットが自分にはないことぐらいわかりますから、社会に出て稼げる大学&学科の受験に舵をとらなければこの先私はいったい生きていけるだろうか?という不安があったこともあります。
それに、「クラシックは無理だけど」なんていう枕詞(まくらことば)をつけるような教室にロクなもんはない!と思ったのです。
私は子どもの頃、テレビから聞こえてくる、テレビまんがや特撮ヒーローものの主題歌や、歌謡曲やニューミュージックや、ゲバゲバ90分のコントのバックで流れる「チャチャチャッ、チャチャチャッ、チャチャチャチャーチャチャッ」っていうボサノヴァ風の音楽や、8時だよ!全員集合の前半のコント劇の最後にかかる「ッチャッチャッチャッ チャンチャカチャンチャン チャンチャカチャンチャン チャンチャン」の音楽とそれにカブるように回り舞台で登場するキャンディーズの「年下の男の子」のイントロ部分や、ビックリ日本新記録の「記録、それは儚(はかな)い...」のナレーションのバックに流れている曲もビックリ日本新記録のテーマソングも、隠密同心心得の条のバックに流れている曲も「皆の者、出あえ~、出あえ~、この者たちを斬り捨てえぇぇぇぇぇ!」から始まるクライマックスの大立ち回りのバックにめくるめく流れる血沸き肉躍る音楽といった、日本人の娯楽のための音楽が大好きでした。
だから、だいたいにして、西洋人でもないクセにクラシック音楽を盲信的に崇拝するようなスタンスで「あなたにはクラシックは無理だけどジャズはどうですか?」なんて聞いてくる音楽教室チェーンはロクなもんじゃない、と、中学生ながら思ったのです。
加えて、当時のジャズは、「〽枯葉よ~~」みたいなオッサンオバハンが好んで聞くようなムード歌謡みたいなイメージがあって、ピンとこなかったものです(今は、ムード歌謡の伝統を継承する純烈の感覚の鋭さはスゴイと思います)。
志ん朝さんが若かった時分はジャズは超イケてる音楽だったみたいですが、私が中学の頃はすでにYMOでした。
脱線しましたが、そんな私が50代になってピアノを再開したときに、直観したのが、ギターを参考にしよう!ということでした。
アメリカ人のギタリスト&コントラバス奏者で音楽プロデューサーの人気ユーチューバーさんの音楽理論の動画に面喰らったのが、そもそもの発端です。
そのユーチューバーさんの動画はためになる!と直観したものの、いかんせんその内容に圧倒されてしまって、こんな私にできるだろうか?とおじけづいたのですが、10年やってできなくてもいいや!と思って、ぽつりぽつりと覚え始めました。
「いろは」の「い」をなんとか覚えるのに3年かかりましたが、3年かかっても覚えて良かったと思います。
覚えたことによって、点から線への展望ができました。
ギター音楽の理論的内容は、ピアノ音楽の理論的な内容よりも、量が格段に多い!と思いました。
また、ある日本人のギタリストさんの音楽がとてもしみじみと懐かしく切ない郷愁のある音楽なので、どうしてだろう?と思いながら聞いていると、ギターのコードの音が、ピアノのコードの音と違う、ということに気が付きました。
ギターは最大6音しか出ませんが、だからこその音間隔があって、それが魅力的に感じられました。
そうこうするうちに、洒脱でジェントルマンリーなピアノを奏でる超ベテランの日本人のジャズピアニストさんが若いころにギターのコードを参考にしていた、というインタビュー記事を読み、また、現在多方面で活躍中の超一流の日本人のピアニスト/キーボーディストさんたちの中に、ギターも演奏できる人が複数いることも知りました。
私の直観は間違っていませんでした!
私は中学時代にFコードでフォークギターを挫折したよくあるクチですが、ギターの音楽に魅力を感じるので、前述のギタリストさんの曲を複数トランスクライブして、ギターのコードや響きをなんとかピアノでマネできないかと、試行錯誤しています。
tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト
もとの記事@アメブロ:
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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。
「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。
tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。
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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。
tokyotoad