ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ道楽の日々

「音楽理論とは、勉強しないで、振り返って何となく眺めるもの」が私の持論です。

以下、noteに書いた記事です:

 

音楽理論なるものを勉強しているうちは、ロクなことにも、ものにもならない。

というのが、子ども時代にショパンのワルツ程度でピアノレッスンを脱落した私が50代からピアノを再開して骨身に染みている悟りです。

 

音楽理論と、日本語などの言語の文法を照らし合わせると、良くわかると思います。

 

私は生まれてこのかた、先祖代々日本人ですが、赤ちゃんの頃から小学校中学年まで、日本語の文法を教わった記憶が一切ありません。

 

幼稚園のときに、「弾かない 弾きます 弾く 弾くとき 弾けば 弾け」みたいな動詞の活用法を勉強させられて、来る日も来る日もテストされて検定やコンクールに参加させられて日本語をシゴかれましたか? 

私が子どもの頃の戦後昭和の高度成長期には、そんなこと全然ありませんでしたよ。
それなのに、小学校に入学するくらいになれば、コマッシャクレた子どもたちは、お子さま言葉であってもイッパシの言葉を大人顔負けにペラペラ話していましたよ。

 

これが意味することが何だか、わかりますか?

 

そんなこと、どこの馬の骨ともわからない私から講釈される以前に、まっとうな人なら、わかりますよね。

 

つまり、
言語というものは、文法などの法則や規則は、後付けだということです。

 

音楽も同じだと思います。

なんせ、現代音楽の巨匠メシアンが、なんでしたっけ、英語訳で「The Technique of My Musical Language」ていう本を書いてるでしょ? 
直訳すると「私の音楽的な言語のテクニック」を自ら解説した本ですよ。 

 

音楽は、言語のような細かい意味付けは無いけれど、非言語的コミュニケーションツールなんですよ。  

 

メシアンだって、母国語のフランス語を「フランス語の初見をしましょうね」「フランス語の聴音をしましょうね」ってシゴかれたうえに「フランス語検定を受けましょう!」「フランス語コンクールを受けましょう!」みたいな検定ふぜいのものに駆り立てられてペラペラ話せるようになったのでは、ないと思いますよ。 

 

初めに言葉在りき。←って、聖書の書き出しでしたっけ? 
ほら、「初めに文法在りき」とか「初めに理論在りき」じゃないでしょ! 
ここんところを、私たちのようなウブな「芸術」素人は、よーく見抜かなければいけないところです。

 

そして、私が「この人は本物だ!」と思う、正真正銘の一流のプロのミュージシャンたちが一様に語るのは、「音楽理論は後付けで振り返って確認した」という内容です。

 

子どもの頃に聞きよう聞きマネで有名曲をコピーしまくっていて、あとになって、「ああ、これはこういう名前が音楽理論ではついているんだなー。」って、事後確認で進んでいくんですよ、正真正銘の一流のプロは。

 

だから、もしあなたが、「音楽理論を勉強しています!」なんて悲愴に机上の音楽理論書を1ページ1ページ丸暗記すべく必死に格闘努力している(ことに自己陶酔している)のであれば、ちょっと、というか、かなり、方向がズレてしまっているかもしれない。
と、私は個人的に思います。 

 

というのは、音楽に限らず、物事の進化において、「理論づけ」や「分類学←taxonomy(タクソノミー)」というものは、後世の理論家や解析家(つまり実践家ではない!)が後追いでくっ付けるものである!という特性があるからです。

 

「小室進行」なる用語があるようですが、「小室進行」という用語は、1990年代に小室哲哉が大ヒット曲を量産して一世を風靡した後に、どこぞやの音楽理論家・音楽解析家が後追いで理論づけして名付けた、小室哲哉の音楽に特徴的なコード進行の呼び名に違いないのです。 

 

だから、もし、あなたが、音楽語をロクに話せない(=楽器で即興演奏がほとんどできない)にもかかわらず「音楽理論」なるものを追いかけて勉強してい(ていい気持ちになってい)るとしたら、あなたは、音楽の進化の最前線から後追いで「理論づけや定義づけ」をして(糊口をしのいでい)る音楽理論家・音楽解析家といった、実践を伴わない机上の理論を振り回す人たちの、さらに後追いをしているわけで。 

もしあなたが、音楽理論家や解析家になりたいと思っているのなら、それでいいのかもしれませんが、実際に音楽を演奏することが目的である場合は、それではマズいだろう。と私は思っています。 

なんせ、音楽演奏は、演奏できてナンボですから。

どこぞのよくわからない、音楽産業の最後尾にズルズルまとわり付いている音楽理論家や解析家よりも、
生き馬の目を抜くような音楽産業の最前線で、時代に衝撃を与えて一世を風靡した音楽を創り出した小室哲哉ご当人のほうが、絶対的に偉いんだよ!

私が追いかけているのは、私のような素人の方を向いて素人相手に音楽理論や演奏技術をあの手この手でヤイノヤイノ売り込もうとする人たちではなくて!、音楽業界の最前線で今この時も真っ当な音楽仕事(著名なアーティストのサポート/レコーディング演奏仕事や著名プロジェクトの作曲編曲プロデュース仕事)で日本中を飛び回っている、正真正銘のプロのミュージシャンたちです。 そんな正真正銘のプロが、私のような素人の方向を振り返ると思いますか? 

 

プロの世界は、とてもシビアです。
べつに音楽業界に限ったことではありません。 
会社員の世界だって、職人の世界だって、プロの世界は非常にシビアな世界です。
シビアな世界とは、お金儲けの世界です。
「お金を貰ってスキルを磨く世界」です。
お金を払って学歴なりスキルなりを「買っている」うちは、アマチュアなんですよ。
親にお金を払ってもらっているうちは、お子さまなんですよ。
だから社会からロクに相手にしてもらえないんです。

それから、自腹で払うにせよ、「買える(と思っている)」スキルを「買った(と思った)」次の日に、すぐに他の誰かにお金を貰って教えられる!なんてのは、良くて自転車操業で、実のところは音楽教育産業内のマッチポンプだと思いますよ。

マッチポンプマッチポンプで宜しくやってればいいんです。 本物のプロが、「プロ気取り」の実質アマチュアさんたちの、今となっては到底実現不可能な夢をexploit(エクスプロイト 搾取)してお金を稼げばよいのですから。 世にある娯楽産業のひとつですからね。

ただ、音楽などの '芸術'業界の錬金術の仕組みに疎い、カタギのズブの素人は、そこんところをよーく見極める必要があるかもしれない。 

 

人は、一般社会に出て、他人様からお金を頂戴しながら、必死になってスキルを磨き始めてから、初めてプロへの道の入り口に立てるんです。
そこから10年、20年、30年とプロの世界で一心不乱に働いて培った知見やノウハウを、初めて人にお金を貰って教えられるのです。 
私は、数十年の企業勤務でそれを十分知っているから、
本物のプロと「言うだけのプロ」を瞬時に見分けることができます。 


そして、「言うだけ」の「自称プロ」のみなさん、
「〇〇なピアニスト」とか「音楽セラピスト」とか「〇〇研究家」とか「〇〇なんとか音楽家」とか「音楽ヒーラー」とか、国家資格でも何でもない、得体の知れない肩書を自分の名前に鈴なりに付けている、はっきり言って「良く分からない'曖昧稼業'」の「音楽家」のみなさん、
素人ブログに「いいね」を吞気に押せるような了見で今まで「プロ」を張ってこられたとしたら、とてもお幸せなことですね(でも、その幸せを享受した分を、いつか誰かにお返ししなければならない日が必ず来ると思いますよ)。
っていうことも、私は見抜いています。

 

~ピアノ方丈記