ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

「指示待ち族」では上手くいかないと思う

 

以下は、20210802にアメブロに書いた記事:

 

ジャズピアノでは、先生から言われたことだけをやる「指示待ち族」ではなかなか進まないんじゃないか、と思う。 

そもそも、自分の中から沸き起こる強い興味が無ければ、何をやってもあんまり進まないだろう。

 

音楽に限ったことではないけれど、昔は「芸は仕事場で盗め」と言われたそうだが、それに尽きるのではないかと思う。

 

下手に教育制度が出来てしまうと、指導要綱なんかが出来て、「芸は仕事場で盗め」ができなくなるんじゃないかと思う。

 

アメリカにはジャズ音大やジャズ学科がたくさんあるみたいだけど、そんなジャズ学科の学生たちのグループ発表会かなんかの動画をたまたま見たら、つまんない演奏だった、というか、君たち生きてる?みたいな、生気も味気もない演奏だった。 

ベテランのミュージシャンたちが「近ごろの学生は、先生に教えられたリックばかり練習して、みんな似たり寄ったりの凡庸なアドリブ演奏になっている」とぼやいている動画もあった。  

 

クレイグ・テイボーンさんとヴィジェイ・アイアーさんがどこかの音大のホールでデュオ演奏した後の座談会で、会場から発せられた「二人とも音大卒ではありませんが」という質問に、二人ともしばし絶句してから、

アイアーさんが「自分にとっては、大学時代にライブハウスでベテランのミュージシャンたちと共演して音楽的にしごかれたライブハウスこそが、音大だった」と答えた言葉に尽きるだろう。 

アイアーさんは、音大の教室でベテランのミュージシャンたちの講義を聞いて力をつけたのではなく、ベテランのミュージシャンたちと同じステージで演奏することによって、力をつけたのだ。  

某名門大の物理学科の大学院卒業のアイアーさんは、某超名門大の音楽分野の教授になったが、その日そのホールで聞いていた音大生たちのうち、どこかしらの大学の音楽分野の教授になれる人が、いったい何人いるだろうか? 

大学に入学した瞬間からデトロイトのジャズシーンで引っ張りだこだったテイボーンさんは、控えめに、「自分は音大を出ていないので、音大卒の人から見ると変わったことをするみたいだ」と答えたが、その真意は明らかだ。 

「お金を払って教室で習えるような内容は、現場では、もはや価値がない」と言ったのだ。 

二人とも、招聘してくれた音大の顔を潰さないように、大人の返答をしただけなのだ。

 

「ジャズは死んだ」とずいぶん昔から言われているようだが、音大に学科ができるようになっては、ジャズは本当に死んだということかもしれない。 

学費を払って先生に教えてもらえるようなものになってしまったから。 

そういう意味で、クラシックはとっくの昔に死んでいる。 

 

一方で、音大のジャズ学科なりクラシック学科なり出身で第一線のプロで活躍している人たちもいる。 

そういう逸材中の逸材は、音大に入る前からすでにライブ活動でズバ抜けていた人たちで、仮に音大に行かなかったとしても、若いうちからプロの世界に飛び込んで揉まれて、職場で先輩プロたちの芸を盗んで、自分で更に工夫して、どっちみち第一線のプロになったに違いない人たちだ、と思う。

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

「指示待ち族」では上手くいかないと思う | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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