以下は、20010917にアメブロに書いた記事:
独学であっても、レッスンに通っていても、
本物を見分ける目が肝要だ。
限り有る人生の中で、
ニセモノにかまっていられるだけの時間は少ないに越したことはないからだ。
以下は、本物のミュージシャン/師匠を見分けるための、私のアンテナである。
本物のミュージシャン(=師匠と呼ぶにふさわしい存在)は:
① 音楽ビジネスから、常時、演奏の請負い仕事の依頼がある。
著名アーティストのコンサートのサポートミュージシャン・作編曲
著名アーティストのCDなどのレコーディングミュージシャン・作編曲
テレビなど大手メディアの仕事(←テレビドラマの劇伴や番組テーマソングなどの作編曲・演奏、著名アーティストのライブ出演時の演奏サポート)
著名なフェスなどの大規模音楽イベントに出演者として招聘される
② 音楽ビジネスにおける一流の演奏経歴を持っている。
著名な実力派バンドに在籍している/在籍していた
一流ミュージシャンたちによるライブ活動の一員
高校時代や高校卒業後/音大時代にプロ活動を開始
無名時代にサイドマンなどの分厚い下積み経験⇒後に実力派ミュージシャンとしてメジャー化
(↑逆に、とても若い頃に「大人たち」の思惑でフロントパーソンに仕立てられてしまうと、若くして、サイドマンや純粋なサポートの仕事への道が閉ざされてしまう。 音楽ビジネスで最も演奏の実力が高いのは、サイドマンやサポートミュージシャンだ。 理由は、衣装やステージパフォーマンスやファンクラブ運営といった演奏以外の負担が少ないので、音楽演奏だけを追求でき、音楽演奏だけでシビアに評価される存在だから。)
サイドマン/サポート仕事と、フロントパーソンとしての活動を、両立している
(↑このような一流ミュージシャンが数多く存在する)
③ 音大などに教師・教授として雇われている。
最強の存在は、音大出身ではないのに音大で教えているミュージシャン。
(↑理由は、[音楽教育への自己投資]対[音楽ビジネスでのアチーヴメント]の比率が最大、つまり、音楽のキャリアにおいて最大の費用対効果を実現しているから。 言い換えれば、音楽ビジネス的に最も成功している存在だから。 また、実力と経歴によって雇われるので、音大という教育機関の内部での人事力学とは無縁に選ばれるから)。
(↑「彼らは音大にとって「客寄せパンダ」みたいなものだ」 という意見もあるかもしれないが、そもそも、「客寄せパンダ」のステイタスに成れたこと自体が大変なアチーヴメントである! 「プロ」と名乗るミュージシャンの10000人に1人ぐらいしかいない、頂点の中の頂点の中のそのまた頂点の存在だから、たくさんの人(とお金)を引き付ける異次元の磁力を持っているのだ。)
大手楽器メーカーが主催する「マスターコース」などに招聘される著名ミュージシャンである。
④ プロの音楽家や先生を教えている。
先生たちの先生。 花やかな芸能界の裏にいて地味な存在だが、プロの弟子たちを抱えてけっこう良い暮らしをしているのではなかろうか?
⑤ 年齢が40代後半以上。
音楽ビジネスの中で30年近く生き残ってきた人。
(↑理由は、若いうちは「若さ」で売れることがあるから。 男女ともに、音楽業界や楽器業界や音楽出版業界の営利のために、若い時にアイドルや広告塔に仕立てられてしまう場合があり、やがてもっと若くてイキのいい存在が新たなアイドル/広告塔に仕立てられた途端に、お役御免となって仕事が減っていく。 年齢が40代後半以上で生き残っている人は、そういった浮き沈みをサーヴァイヴした、本当の実力が有る人。)
①~⑤の条件を複数満たす人が最強といって良い。
tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト
もとの記事@アメブロ:
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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。
「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。
tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。
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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。
tokyotoad