ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

「10,000時間の法則」について

以下は、20211207にアメブロに書いた記事:

 

よく、

「ひとつのことを10,000時間続けると、プロレベルに熟達する」

と言われる。

一般的には、マルコム・グラッドウェルの著作を介して知られた経験則である(勝間和代さんによる日本語訳の本が出ている)。

 

そして、

「ピアノを10,000時間練習するとどれくらい上達するか?」

を、身をもって実験してその経過を動画に上げているひとたちが

世界中にいる。

 

私も、

ピアノを再開してから一時期、

日々の練習時間をエクセルに入力して累計時間を出していた。

その記録によると、

2015年4月~2017年11月末までに2913.5時間練習した。

その後はなんとなく

練習時間を記録して累計することの意味が不明になったので、

もう記録していない。

 

だから、

2021年12月上旬現在までに、累計何時間ピアノを練習したのか

知る由もない。

 

知らなくてもよい。

 

確かなことは、

2014年頃にピアノを再開して、

短期間ピアノ演奏を習ったり作曲を習ったこともあったが、

その短期間を除いては完全に独学で続けてきて、

今現在

子どもの頃に10年以上ピアノを習っていた時よりも

指数関数的に

今の方が、

 ピアノの演奏が上達した。 そして、

 音楽語のボキャブラリーが豊かになった。 したがって、

 即興演奏の内容が格段に向上した。

 

それだけでいいのだ。

 

それから、

「指数関数的に上達した」

と書いたが、

最初の数字が小さければ、

それから、「何乗」のところが「1.001乗」みたいだったら、

たいした「指数関数」にもならないわけで、

 

5年間えっちらおっちら細々と続けてきて、

東海道五十三次に例えたら

日本橋からようやく品川宿までやって来たぐらいだ。

つまり、

まだ江戸から出ていない、というわけだ。

つまり、

本格的な旅はこれから始まる、ということだ。

 

それでもいいじゃないか。

ようやく、旅の実質的なスタート地点に立てただけでも御の字だ。

 

これからは、箱根の山越えを目指しながら、

とりあえずは六郷の渡しを渡って

その先は、まずは相模湾を臨むところまで行きたい。

 

もっとも、生きているうちに京の三条大橋にたどり着けたとしても、

その時に遥か見えるのは、西方浄土ガンダーラだ。

 (おや? 20世紀の西洋音楽が目指したところでは?)

 

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

「10,000時間の法則」について | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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