おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」の大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

どうして今までピアノの湿度管理について無知蒙昧で来られたのか?(その②)

 

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どうして今までピアノの湿度管理について無知蒙昧で来られたのか? - おんがくの彼岸(ひがん)

の続き。

 

ところで、現在、コロナの感染爆発が起きているけれど、もしかして、これって、部分的には、夏のエアコン冷房による過乾燥が原因のひとつかも? インバウンド観光客を入れ始めたことが、島国の日本での感染増加と因果関係があるに違いないが、それに加えて、家でも職場でもスーパーでも公共交通でも、エアコン冷房で過乾燥が常態化していることが、真夏の感染爆発の遠因になっているのでは? 過乾燥の環境に人が沢山いれば、鼻出しマスク者やおしゃべりマスク2人組から漏れたエアロゾルが容易に拡散して感染を助長するのではないか? 

「高温多湿の日本!」「夏は蒸し暑い日本!」というけれど、それは、屋外のこと。 屋内の状態は「エアコン冷房で過乾燥の世界各国!」だ。 「高温多湿のモンスーン気候の日本!」がいかに誤解を生む表現なのかを感じる。

 

↓ どうして今までピアノの湿度管理に無知蒙昧で来られたのか?

の理由を考えてみた、前回からの続き ↓

 

理由⑤:ピアノ所有者のピアノの古さ

【理由④ピアノ調律師の事情】と関連して、ピアノ所有者のピアノの古さが、調律師のスタンスに影響を与えているのではないか?と勘ぐりがちになる。 過去に調律に来てもらった複数の調律師さんの皆が、私が自分のピアノについて「このピアノは古いけど、私はこのピアノの音が大好きなんです」と熱く語ると、一様に、呆れたような、憐れむような、「もう言葉もありません」と言いたげな笑顔を返したり、いろいろ言葉を尽くしてくれるのだがその主旨は「お前が陶酔しているその古いピアノは、市場価値も何にもない、ただのガラクタのクズなんだよ!」っという趣旨の言葉を返してくれるのである。 愚か者の私ではあるが、そのくらいの言外の意味は感じ取れた。

古いピアノは、よほどヴィンテージとしての価値が無い限りは、ピアノメーカー・調律師・演奏家といったピアノのプロたちにとっては、湿度管理をする価値すらとうの昔に失われた「ガラクタのクズ」なのだろう。 ピアノメーカーは、古いピアノを大切にされるよりも、どんどん新しいピアノに買い替えてもらわなければ事業を回していけない。 調律師にとっては、ピアノが古くなればなるほど、単なるチューニングに加えて、いろいろな不具合を扱わなければならないから、古いピアノは面倒くさい対象だろう。 

だから不具合が少ない大手ピアノメーカーのピアノばかりチューニングしてきた、メーカー専属の調律師さんが自社製のピアノについて「ウチの会社のピアノは素晴らしいんです。なんといっても調律が楽ですから。」と漏らすわけだ。 それを聞いた潜在顧客が、そのメーカー製のピアノにどのようなイメージを持つか想像ができないほど、そう確信している調律師さんもいるのだ。 芸術には、夢がある。 それが、幻想だとしても、芸術ビジネスの実態が夢のカケラもないものであっても、一般ピープルは、芸術について、ある種の夢や憧れを持っている。 ピアノには、夢があるのだ。 

「壊れにくく調律が楽なピアノがいいピアノ」という言葉は、そんな一般ピープルの幻想を打ち砕くものだが、実際のところ、芸術ビジネスでメシを食っている人たちにとっては、壊れにくく扱いやすい道具が良いに決まっている。 カネを稼ぐモトになるものに、手間がかかるようでは、ビジネスにならないからだ。 だから、ピアノを製造するメーカーでも、社員が使っているパソコンはウィンドウズ搭載で、マックであるはずが無いのだ。 エクセルやパワポやワードの使用がデフォルトの実業ビジネスでは、ウィンドウズ搭載パソコンの一択である。 一般企業の社員がマックが欲しい場合は、自分のお金で自宅に置く趣味道楽用に買うことになる。 一方、そのピアノメーカーのコンテンツ子会社で作曲を請け負う作曲職人たちのパソコンはマック一択であろう。 音楽業界から作曲や編曲や実演(即興演奏/作編曲込み)の仕事を請け負っている真の音楽家たちは、どんなに高価でもマックを買うしかない。 音楽コンテンツ産業のニーズに見合うレベルの作曲・編曲作業のデフォルトがマックだから、他に選択肢がないのである。(ちなみに、ピアノの発表会のパンフレットをつくったり宣伝用(になっているのか?)のブログを更新したり確定申告の計算をする程度であれば、ウィンドウズで十分で、高額なマックを買う必要は無い)。 

このように、音楽コンテンツ業界で全うに稼ぐ真のプロフェッショナルになればなるほど、お金を稼ぐために使用する楽器やパソコンに対する見方はシビアで非情になる。 「祖母が弾いていたアップライトピアノをいまも大切に弾いています」と目をうるませて夢見がちに語るのは、私のような素人だけだ。 「ピアノは消耗品だ」と語った第一線のジャズピアニストさんがいるが、プロにとってはまったくその通りで、そのピアニストさんにとっては、ピアノは、ジャズ音楽というコンテンツ商品を紡ぎ出して人前で演奏してお金を稼ぐために練習するための、消耗品なのだ。 

お金を稼ぐこと(ビジネス)は、金稼ぎの効率を最大化することであるから、2022年の今、1980年代の終わりに当時150万円ぐらいで売られていた初代マッキントッシュのパソコンを事務処理に使っている企業は一社も無いはずだ。 日本のクラシックピアノ業界(ビジネス)の音がヤマハの最新のピアノの音になるのも、当然のことだ。   著名な演奏家になればなるほど、ピアノメーカーから便宜を図ってもらえる引き換えに広告塔になる場合も多いだろう。 オフィシャルには「ベーゼンドルファー愛用」のオスカー・ピーターソンが実はベヒシュタインびいきだった、とウィキに書いてあるが、そういうケースがたくさんあるはずだ。 そんなことはピアノ業界に限った話ではない。 トヨタの社員は仕事でもプライベート用でもホンダに乗らないはずだ。 ゼブラボールペンの社員が毎日使う4色ペンがパイロット社製であるはずがない。 仕事をしてお金を稼ぐとは、そういうものだ。 スバルに乗りたい!ぺんてるで書きたい!日本にほとんど入ってこないヨーロッパの○○社製のピアノの音が好きなので買いたい!と思って、そのとおりにできるのは、その業界で働いていない人たちの趣味道楽だ。 つまり、正真正銘の「風流の道」である。 「風流の道」とは、物好きが没頭する、カネにならないどころかカネが減るばかりの道楽の道のことだ。

「祖母が弾いていたピアノを今も大事に弾いています」と、たった一台持っている古ぼけたグランドピアノを指さして夢見がちに言うピアノ所有者は、ピアノ業界的に見たらそんな「ガラクタのクズ」でどんなにショパンが弾けたとしても、業界的に見たらその人は素人の「風流人」であって、調律師も、そのように客を見て、その客に見合ったサービスを提供しているのかもしれない。

古いピアノの所有者の側にも、ピアノの管理に心理的な「隙(すき)」ができるのではないか、と思う。 ピアノの不具合を「このピアノは古いから」という言葉で片づけてしまいがちではないか? 私がそうだった。 調律に来てもらってから2週間もたたないうちに音がウワ~ンウワ~ンしだすと、「やっぱりこのピアノは古いから...。」 冬のいちばん寒い時期に弾いていてピアノがビリビリ鳴り出すと、「このピアノは古いから...。」 響板が割れても「古いから...。」 アクションパーツが破損しても「古いから...。」 「古いから仕方がない」と思いがちだ。 もし湿度管理をもっとちゃんとしていたら、これらの不具合が発生しなかったかもしれない、と思うと、悔やんでも悔やみきれない!

 

理由⑥:お子さまピアノのお稽古の制度的な実情

私が子どもの頃の、昭和のバブル以前の頃、ピアノの湿度管理についてピアノの先生から何か指導された記憶がない、と書いたが、21世紀の今は、状況が変わっているのだろうか? 昭和のバブル以前と比べて住宅事情が変わった昨今だから、湿度管理の意識が少しは高まっているのかもしれないが、ピアノという楽器の維持管理については調律師に丸投げするしかない状況は変わっていないだろう。 何せ、ピアノは、調律師でなければチューニングできない楽器だから。 

三味線やギターやヴァイオリンやチェロと違って、「チューニングは人任せ」というアコースティックピアノ最大の特徴は、ピアノ奏者の楽器メンテナンスへの意識の低さにつながる。 三味線などの弦楽器の演奏者が演奏前に自らチューニングを行うのに対して、ピアノ奏者が演奏前に自らピアノのチューニングを行うことは、無い。 三味線奏者は、三味線の各種構成パーツにこだわって、できれば値の張る希少素材のパーツに買い替えて、自分の楽器の音色の向上を目指す。 ギタリストは、弦の種類やピックや、エレキであればエフェクターにこだわって、積極的に音色の追求を行う。 このような、楽器奏者自らが楽器に手を加えることによる、積極的な音色追求の手間と自由を、ピアニストは与えられていない(一方で、同じ鍵盤奏者でも、キーボーディストはその手間と自由を持っている)。 ピアニストは、ピアノのコンディショニングをピアノ調律師に「丸投げ」するしかなく、そのため、楽器を積極的に管理する意識が育ちにくいのかもしれない。 国産ピアノのような「丈夫で壊れない」が売り物のピアノになれば、ますます意識が育ちにくいだろう。

クラシックピアノ業界の特徴は、ピアノと調律師が自動的にセットでついてくる、という点だ。 日本のクラシックピアノ業界の音が必然的にヤマハのピアノ+ヤマハ所属の調律師による音であるのも、そういうことだ。 ピアノの先生たちは、子どもの頃から、ピアノを何台も親に買い替えてもらって、現在ピアノ教室を経営しているはずだが、彼らの人生は、よほどの資産家の家に生まれない限りは、国産ピアノの買い替える人生であるはずだ。 彼らは、子どもの頃から一日中猛練習をしただろうが、スタインウェイを何台も潰して音大に入った人は、まずいないだろう。 何台も潰してきたのはヤマハかカワイに決まっている。 

ヤマハかカワイからピアノを買えば、メーカー所属の調律師が自動的についてくる。 ピアノのメーカーの選定で迷ったり調律師を選んだり替えたりする必要がないわけだが、迷ったり選んだり替えたりできる自由が与えられていないともいえる。 ピアノや調律師の選定に時間を使うよりも、ピアノの練習だけに専念してきたはずだ。 楽譜どおりに、先生に言われた通りに(たとえそれが「あれ?」な内容であったとしても)ピアノを弾くことだけを何年もやってきたはずである。 

日本のピアノメーカーは、エアコン冷房も無かった時代の日本の湿度の高い夏でも不具合が少ないように作られた、壊れにくくて調律作業の負担の少ないピアノを大量生産してきた。 しかも、日本製のピアノは、「新品のピアノを弾いて何年もかけて音を育てていく」というユーザー側の時間コストを省いてくれているようだ。 「日本の○○○社の△△ブランドのピアノは、工場で相当弾きこまれた後で出荷されるみたいで、納品直後からこなれた音がする」という書き込みを、ピアノワールドのピアノフォーラムでみかけた。 ピアノの音色を自分で育てる手間が要らないので、「ピアノを育てる」ことを考える必要もなく、直ちにハノンやツェルニーソナタやインヴェンションに次から次へと取り組むことができる。 ピアノのお稽古にとっては大変効率的だ。 

しかしその一方で、「ピアノの音色を育てながら、自分もピアノと一緒に音楽的に成長する」という音楽文化のいちばんの醍醐味を、ユーザーは与えられていない。 「アコースティックピアノピアノは一台一台違います。新品のピアノは、家に迎え入れられてから弾き続けることによって、数年かけてその家に馴染んていき、楽器として育っていくのです」なんていう悠長な経験をさせてもらったピアノ生徒がいるだろうか? 悠長であることは、文化的であることだ。  

ユーザーが音を育てる必要も自由も無いアコースティックピアノは、たとえそれがアコースティックグランドピアノであっても、ぶっちゃけ、ネットでポチって届いた段ボール箱を開けてコンセントをつないだ途端にプリセットされたとおりの音が出る電子ピアノと本質的には変わらない。 それがどんなにアコースティックグランドピアノの姿をしていても、「買ったその日から、既に出来上がった音が出る」のであれば、本質的には、電子ピアノと全く同じだ。

「それでも、ピアノのレッスンで先生のレッスンルームのアコースティックグランドピアノでレッスンしてもらうと、有難みが有る。」 それが、グランドピアノの「有難み」なのかもしれない。 その「アコースティック」なグランドピアノは、もしかすると、姿かたちはそうであっても、本質的には電子ピアノとあまり変わらないかもしれない。 夢見る生徒側の幻想に過ぎないかもしれない。 もっとも、夢や幻想を売るのも商売のうちだ。

そのような、実質的には電子ピアノと変わらないような次元のアコースティックピアノを使ったレッスンだから、耳よりも眼が中心のレッスンになるのかもしれない。 世のピアノ教室では、「音」という、音楽にとって最も重要であるべき聴覚情報よりも、「楽譜」という視覚情報が重要視されるのは、そのせいなのではなかろうか。 子どもの最初のピアノレッスンは、いきなり眼の訓練から入る。 チューリップの形の音符を読む、譜面を読む、楽譜を見ながら間違いなく弾く、間違いなく弾け、書いてあるとおりに、正しく、正確に! 音楽を聞いただけでどんなに即興演奏できても楽譜が読めない子どもは、音楽の才能が無い! 楽譜どおりに弾くよりも自分でアレンジして弾くのが好きな子どもは、音楽の才能が無い! 音を聴いて弾けるよりも、楽譜を見て正確に弾く子どものほうが、音楽の才能が有るのだ! 子どもの分際(ぶんざい)のお前が聞きよう聞きマネで即興演奏したものが、優れているはずがないではないか! お前の創作活動なんぞは、偉大なる西洋の偉大なる大作曲家様たちの偉大なる名曲に比べたら、何の価値も無いのだ、馬鹿者め! それよりも、偉大なる西洋の偉大なる大作曲家先生たちの偉大なる名曲の楽譜を、正確に再現するのだ! お前はサーカスの玉乗りの子熊のように、(調)教師に言われたことを何も考えずに正確に再現しさえすればよいのだ! 言われたとおりにしなければ、(言葉の)ムチで叩くぞ! 偉大なる西洋の偉大なる大作曲家先生たちの偉大なる名曲を演奏するのだから、一音たりとも絶対に間違えるな! 間違えたら(言葉の)ムチで叩くぞ! たとえ疑問があっても、(調)教師に言われたとおりに弾かなければマルをあげないぞ! サーカスの玉乗りの子熊の分際で(調)教師に疑問を呈するとは何事か! (言葉の)ムチで叩くぞ! お前の、東洋人のその貧弱な小さいモミジのような手をいっぱいに広げて、片手で12度が届いた偉大なる西洋の男性の作曲家が自作自演した曲を、決死の覚悟で弾け! 間違えるな! 間違えは許されないぞ! 手が小さければ、指と指の間をグイグイ広げろ!それでもだめなら外科手術で指と指の間を切って、指の間を広げろ(←昭和の時代)! 人前で曲芸を披露する価値のない下手クソな子熊は、発表会の舞台に立つ資格は無い! 発表会に出る資格の無い子熊は、ピアノを続けてもこの先ピアノの世界に居場所が無いから、早々にピアノの世界から敗れ去るがいい! それから、打ち砕かれたお前の、その自信は置いていけ。 お前が発表会に出られなかったことで失った自信は、発表会に出ることが出来た勝ち組の子熊たちのエサになるから心配するな! 

「音を良く聴け!」と言われると、一度も「フタ」が開けられたことのない、場合によっては分厚いピアノカバーまでかけられた、先生の家の、出荷時に既に十分に誰かに弾きこまれてもはや音を育てる必要も無かったグランドピアノの、「フタ」やカバーで覆われた中から聞こえるモコモコした音を、必死に聴こうとする。 生徒も、生徒の親も、自分の家のピアノの状態よりも、発表会の曲、コンクールの曲、検定の準備、先生へのつけ届け、音大受験のことで、頭がいっぱい。 そして、先生に言われるがままに国産ピアノを何台も買い替えて(つまり楽器販売店から先生への売上リベートに貢ぎつづけて)、高額な受験勉強の費用を払って(先生への付け届けを含めて)、晴れて音大を卒業してから言われるのが、「国産ピアノでは本当の感性は育ちません!やはりピアノは、本場ヨーロッパの(高額な!)輸入ピアノでないと!」という、今まで子どものために頑張って国産ピアノを何台も買い与えてきた親御さんにしてみればシャレにならないオチが待っている。 

であればね、親だって老後の蓄えが必要なんだから、親に負担をかけずに学費がリーズナブルな一般大学に進んで、会社員などカタギの職に就いて、一生懸命働いて、人生も後半にさしかかった頃、生活にも心にも経済的なゆとりができたときに、その、本場ヨーロッパの音がするという外国製の輸入ピアノなるものを中古でも新品でも一発で買ったほうが、人生の費用対効果が格段に高いし、遥かに豊かな音楽人生を送れるかもしれないよね。 なんせ、「本場ヨーロッパの音色!」と日本のクラシックピアノ業界が憧れる「本場ヨーロッパのピアノ」で毎日弾けるんだからさ、と考える人もでてくるだろう。 そう、大人のピアノ愛好家たちの出現だ。

 

 

理由⑦:「大人のピアノ趣味」の出現

  追って書く予定。

 

理由⑧:国策として外来文化を輸入する日本の事情

  追って書く予定。

 

 

=== ↓ 前回までの記事 ↓ ===

 

このところの晴れ続きで、ピアノの有る部屋の湿度というか乾燥が、ものすごいことになっている。 うちのエアコン冷房の除湿効果の凄さは異常だ。 何もしなければ湿度計が40%を軽く割り込んでいく。 

 

湿度40%は、一般に言われるピアノの湿度管理の下限だが、人間にも良くない。 最も低い数値を示す湿度計で40%を割り込むと、自分自身、喉が乾燥するし目がシバシバしてくる。 もはや、自分が「電気を使わないエコ加湿器」になっているのだ! 

 

物理現象には、思いやりも忖度も、何も無い。 乾燥すれば、水分を保有する物体から、水分がどんどん空気中に蒸発する。 緑地の少ない都会や、観葉植物の無い部屋の中で、大量の水分を保有する唯一の物体とは、ズバリ人間だ! だから家にいると冷やし塩トマトばかり食べたくなるわけだ! 夏場ですら家の中がこんなに過乾燥になることに何年も気がつかなかったのだから、ピアノの響板が割れるわけだ! 

 

昨日も、ピアノの部屋に置いた加湿器に満タンに入れた水が、1日ともたなかった。 夜中からは湿度計の数値がグンと上がっていくのは、冷房が止まって送風状態になったエアコンからの「湿度戻り」だと思う。 だが、湿度戻りの湿度上昇を除湿器で下げることは、そう難しくない。 うちの場合は、日中の冷房による過乾燥を食い止めるほうが難しい。 加湿器は昼前から真夜中までフル回転だ。 過乾燥は、雨の日も平気で起きる。 雨の日でも、エアコンの冷房が作動している時は、ピアノの部屋の湿度は35%まで下がるが、湿度に無頓着だった以前はもっと下がっていたかもしれない。 今は、40%を下回ると加湿器をつけているから、湿度は最低でも35%で下げ止まっている。

 

それにつけても、子どもの頃にピアノを習っていたというのに、どうして最近までピアノの湿度管理について、これほどまでに無知蒙昧で生きてこられたのかが、不思議でならない。

 

その理由を考えてみた:

 

理由①:古い時代の概念がアップデートされていない

ピアノ教師や、子どもの頃にピアノを習った人で、現在50歳以上の人たちは、ピアノはおろか個人住宅の内部環境の湿度管理なんていう概念がそもそも無かった時代に育っている。 私は子どもの頃に、ピアノの先生から「ピアノの湿度管理」について聴いた記憶が無いし、ピアノの調律師さんからも、聴いた覚えが無い。 

昭和50年代になるまで、一般の住宅にはエアコン冷房やエアコン暖房装置が無かった。 当時、今よりも格段に涼しかった夏は、窓を網戸にして外からの湿った風を家の中に入れ、扇風機を回して凌いでいたし、それで十分凌げていた。 冬場の暖房は、石油ストーブか石油ファンヒーターで、夕方になると灯油屋さんのトラックが音楽を鳴らしながらやってくるのが習わしだったし、暖房中の換気不足による一酸化炭素中毒による死亡事故が、テレビのニュースの常連だった。 

当時のピアノの湿度管理といえば、アップライトピアノの中に入れるピアノ用乾燥剤ぐらいだったし、それが効果があったかどうかは知らない。 私が子どもの頃には乾燥剤がピアノの中に入っていたのかもしれないが、子どもだったのでピアノの管理は親まかせだったから、よく知らない。 数年前に実家からピアノを弾きとった時に、ピアノの中には古い乾燥剤が入っていたような気がする。  

 

理由②:「乾燥は良いことだ」という文化的な刷り込み

現在50歳以上の人たちは、「高温多湿のモンスーン気候の日本!」という「湿度イコール多湿のことであり、湿度は悪だ!」という刷り込み状態で人生を生きてきたから、とにかく除湿、除湿、除湿!に走る。 私がそうだ。 一方で、「乾燥は良いこと!」という強い先入観を持っている。 「冷涼で乾燥しているヨーロッパ」への卑屈な劣等感の賜物だ。

 

理由③:ピアノメーカーの事情

ピアノを販売して利益を得るピアノメーカーにしてみれば、消費者がピアノの維持管理が上手くなればなるほど、ピアノが長持ちして、ピアノの買い替え需要が減る。 これは、一台でも多くピアノを売って利益を上げてそれを社員や株主に還元して事業を継続することが至上命題のメーカーにとっては、都合が悪い。 

ところで、ピアノには調律というメンテナンスがどうしても必要だ。 高度成長期の日本。私のような庶民の家でも、子どもにピアノを習わせたいと、ピアノを買い与えてもらった。 一億総中流の庶民の憧れに訴求して、国産ピアノメーカーはアップライトピアノを大量に生産して販売した。 そのメンテナンスをする調律師の育成も大急ぎでおこなっただろう。 

ピアノメーカーが育成した調律師の仕事は、一年に一度のピアノのチューニングと、乾燥剤の販売、それに加えて、ピアノの買い替えを客に促す重要な役目を負っていたと思われる、というのが、メーカー所属の調律師から私が受けた印象だ。 何年か前に電子ピアノのアクション破損でメーカーから調律師さんに来てもらったら、調律師さんは、私の持っている電子ピアノがいかに旧型のものかをひとしきり述べた後、アコースティックのアップライトピアノのパンフレットをカバンから取り出して(ちゃんと持ち歩いてるんだね!)、最後には「ピアノを買い買える際にはぜひ自分に連絡してください」とセールストーク。 玄関先でも同じことを念押しして帰って行った。 電子ピアノ所有者にはアコースティックのアップライトを、アップライト所有者にはグランドを勧めるというシステムになっているんだろうなぁ、と私は思ったものだ。

また、あるピアノ会で、「最近ピアノを買い替えた」人と話をしたときの話。 彼女は、母親が弾いていた古いアップライトピアノを、子どもの頃に弾いていて、大人になってピアノを再開した時に、そのメーカーの調律師さんにピアノを診てもらったところ、「こんな時代のついたピアノは博物館行きレベルです」と言われて、勧められるままに新製品のアップライトピアノを買ったそうだ。 その時、私は、彼女の話を「ふ~ん」と聞いていたのだが、いざ、自分が子どもの頃に買ってもらったピアノを実家から引き取った際に、メーカーから調律師さんを呼んで診てもらったら「こんなに古いピアノは、調律作業中に弦が切れるかもしれないし、破損することがあるかもしれないが、交換する純正部品はもはや無いし、修理代が高額になるかもしれない。その時は責任を負いかねる。新品に買い替えたほうが良い」とさんざん言われた。 私はそのときに、彼女の話を思い出し、メーカー付きの調律師の仕事の内容がよく分かった気がした。 彼らの仕事の重要な一面は、ピアノを買い替えさせることであり、彼らにとって、彼女や私のような古いピアノの所有者は、格好の標的なんだろうなぁ、と思った。 だが、彼らが腹黒いわけではない。 彼らは、単に、彼らの仕事を真面目に遂行しているだけである。 ピアノメーカーは、ピアノを一台でも多く売ることによって稼いでいる。 ピアノメーカー付きの調律師は、ピアノ所有者に直接接するわけで、彼らがピアノ買い替えの売り込みのミッションを受けたピアノメーカーの販売促進の最前線部隊であるのは、しごく当前のことだ。 

ちなみにその後、同じピアノをフリーランスの調律師さんに見てもらったら、「買い替える必要はありませんよ、ちゃんとメンテナンスをしていけばこの先何十年も弾けますよ」と言われた。⇒理由④に続く...。

 

理由④:ピアノ調律師の事情

理由③からの続き: その後、同じピアノを、フリーランスの調律師さんに見てもらったら、「買い替える必要はありませんよ、ちゃんとメンテナンスをしていけばこの先何十年も弾けますよ」と言われた。 フリーの調律師がこう言うのは当然といえば当然だ。 ピアノを買い替えられては、自分に来るかもしれない調律の仕事がピアノメーカー付きの調律師に取られてしまうからだ。 

フリーのピアノ調律師にも、お客のピアノ所有者がピアノの湿度管理にあまり智恵を付けられても都合が悪いのではないか?と思われる。 「教えて知恵袋」的な質問サイトで、「湿度管理をするようになってから、スタインウェイの調律の狂いが少なくなって、いままでは半年ごとに呼んでいた調律が年1回で済むようになった」という書き込みを読んだ。 ピアノ所有者の皆が、ピアノの湿度管理が上達してしまうと、調律師さんの仕事が減る可能性がある。 

だからなのかは知らないが、私が子どもの頃から弾いているピアノを、今まで複数の調律師さんに調律してもらってきたが、湿度管理に言及する調律師さんは一人もいなかった。 また、よく調律師さんのサイトで、調律するピアノの上に湿度計を置いて湿度を計測した画像を掲載しているブログやツイッターを見かけるが、私が呼んだ調律師さんのなかで、湿度計を持ちだす人は一人もいなかった。 ところが、これはよく考えると不思議なことで、そのうち少なくとも一人の調律師さんはホールのフルコンを調律することもあると言っていた。 その人は、ホールのフルコンの調律に湿度計を使わないような低レベルの調律師さんなのか? それとも、ホールのフルコンの調律には湿度計を持ちだして、個人宅のピアノの調律には湿度計を使わないのか? それとも、私が持っているような古い国産ピアノは事実上の「ガラクタのクズ」だから、湿度計を出す価値もないと思っているのか? そして、そんな「ガラクタのクズ」の調律のために年に何度も呼んでもらえればお金になってオイシイから、湿度管理のことはあえて黙っていたのか?  

=== ↑ 前回の記事はここまで ↑ ===

 

 

 

tokyotoad

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた(←諦めて命拾いした!と、今しみじみ振り返って背筋がゾッとしている)、「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。