音楽の彼岸のピアノ遊び

大人のピアノ道楽を満喫するピアノ一人遊びの日々

どうして今までピアノの湿度管理について無知蒙昧で来られたのか?(その③)

 

 この記事の(その①)は:

 

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どうして今までピアノの湿度管理について無知蒙昧で来られたのか? - おんがくの彼岸(ひがん)

の続き。

 

↓ どうして今までピアノの湿度管理に無知蒙昧で来られたのか?

の理由を考えてみた、前回②からの続き ↓

を書こうと思っているのですが、なぜか筆がすすみません。 たぶん、今現在、高校時代から「この曲はカッコ良すぎる!」と思っていた、今や大御所中の大御所で今も第一線の超メジャーアーティストさんの楽曲をなんとかソロピアノで表現できないか!を追求していて、そっちのほうに、昨今は老化の影響も出始めた乏しい脳のパワーが集中投下されているからかもしれません。 スピード感に満ち溢れたバンド編成+ストリングス+ホーンセクションのサウンドをバックに素晴らしいメロディーと歌詞がめくるめくバブルの頃の世界をきらびやかに表現している、このアーティストさんの頂点の曲だと私が思っている曲を、まさかピアノで挑もうと思えるようになったとは! 子どもの頃の私に言ってあげたいよ: 難しいことなんて何もないんだよ! 「あなたには無理」なんて言われたら、それは悪い魔女の呪いの言葉だから即刻はね返すんだよ! 教えてくれる人が周りにいなかったら、自分でジャズピアノ雑誌やキーボードマガジンを買って試行錯誤すれば、好きでずっと続けているものは、かならずできるようになるよ! 50歳を過ぎて(クラシックピアノのお稽古レベルの粗い)絶対音感を失っても、一人でぽつぽつ続けてきた結果、絶対音感が有った子どもの頃よりもずっと複雑な音楽を理解できて即興演奏できるようになったよ! 

この曲がきらびやかに描写するバブルの頃に戻りたいな~。 ホントに戻りたいかな? う~ん、ワンレンボディコンと呼ばれたあの格好は、若さがないとできないな~、よくあんな長髪にドライヤーあててたよな~、今はもうモンチッチあたまをブラシでとかすだけでもメンドクサイよ。 瀬戸内寂聴さんのヘアスタイルにしたい!いつかしよう!(←追記:モンチッチ髪型よりも寂聴さんのヘアスタイルのほうがメンドクサイと後で思った。不器用者の私が自分の後頭部をカミソリでなでただけで血だらけになっちゃうよ!)

 

理由⑦:「大人のピアノ趣味」の出現

「出すぎた杭」の「大人のピアノ愛好家」たちの出現によって、高額な輸入アップライトピアノや、グランドピアノの上位機種を買う人たちが増加している。 そういう人たちは、(親じゃなくて)自分自身が身銭を切って購入した憧れの高級ピアノの維持管理に、当然のごとく熱心になるので、ピアノのための湿度管理を追求する。 

子どもの頃からずっとピアノ漬けで音大も出ているピアノ教師のほうが、驚くほどピアノの湿度管理に疎(うと)いまま平気でい続ける理由は、①自分が身銭を切ってピアノを購入したことが無い、②親に買ってもらったピアノが量産型の国産グランドピアノだった、③その量産型の国産グランドピアノを何台も弾き潰してその都度買い替えてもらう人生だったから、だろう。 湿度計の個体ごとに大変な誤差が在ることや、湿度計に寿命があることなど、大人のピアノ愛好家が必死にネットを調べて知る内容を知る由も無いし調べる気すら無いピアノ教師がほとんどだ。 

当然ながら、子どもの頃のピアノを習っていた人が、子どもの頃に親に買ってもらった古いピアノをそのまま使って、大人になってからピアノを再開すると、ピアノの維持管理のマインドセットが欠落したまま無知蒙昧でいつづけて、ピアノの湿度管理しないでピアノを潰すことがある。私のように!

 ↑ みたいなことを書きたかったんだと思う。

 

 

理由⑧:国策として外来文化を積極輸入する日本のというか世界のどこでも有りがちな事情

ピアノに代表される西洋音楽は、明治政府の国策として日本の文化振興と教育に積極採用されたが、もともと宗教的なルーツが全く異なるうえに、植民地にならないように早急に「先進国」にならざるを得なかったため、突貫工事で上っ面だけをなるべく効率的に取り込もうとしたので、ファストフード店のマニュアル研修みたいに上っ面だけの内容になってしまった。 だから、小学校の音楽の授業で「音楽の短音階には、自然的短音階和声的短音階旋律的短音階の、3種類があります、自然的短音階はこうです、和声的短音階はこうです、旋律的短音階はこうです」を機械的に丸暗記してテストで正しく解答できたら点を取れて満足しておしまい!みたいなことが起こるのだ。 丸暗記していったい何になるの? どうして「自然的短音階」っていうの?どうして「和声的短音階」っていうの?どうして「旋律的短音階」だけは上下ちがうの?っていうことを一瞬疑問に思っても、「そんなこと考えずに覚えろ!テストに出るぞ!」って言われておしまい。 だいたい、それを教える先生たちが、理由すら知らずに、指導要綱に書いてあるとおりに教えるだけだから。ってことが子どもでもわかっちゃうからさ、ヘタに先生に質問して先生の顔を潰してこっちが恨まれて冷遇されると損だから、しおらしい顔してうなずくだけにしておいて、質問しないようにしちゃうの! 子どももさ、大人に気を遣って、大変なんだよね。 ちなみに、今の私は、独学を続けた結果、還暦近くになってようやっと、どうしてナチュラルマイナーやメロディックマイナーっていうのかがわかるようになったし、ハーモニックマイナーの背景も何年か前に某国の著名音大教授の詳しい説明動画で知った。 加えて、短音階を最低でも7種類以上は思いつくし、モードを考慮したらもっとたくさん知っているし、作る人が作ったらもっと短音階を作れるだろうと思うし、和音階を加えたらさらにたくさんマイナースケールがあることを、独学して知っている。 ところで、音大を出たピアノの先生はどうだろうか? 3種類か良くても4種類しか知らないし、それ以上知ろうとすら思ったことのない先生がほとんどだと思う。 長音階だって良くて3種類しか知らないピアノ教師がほとんどだろう(「え?長音階は1種類じゃないの?」な先生は...(絶句))。 これが日本の音楽教育の現実だ。 上っ面だけ丸暗記した、ぜんぜん自分のものにできていない「先生」に、月謝を払って時候の贈答品まで献上して教えてもらっている。 ピアノという楽器に対する造詣にしても同様。 ピアノについて深く知ろうとする気持ちすら沸かずに「ハノンを!バイエルを!ツェルニーを!インヴェンションを!ソナタを!ショパンを!リストを!」と、先生に言われた通りに機械のように弾いてマルをもらうばかりで、ピアノという楽器をぜんぜんモノにできていない。 湿度管理をしてピアノを良い状態の音で弾きたい気持ちよりも、譜読みやハノンや運指や手の形や「脱力」のことで頭がいっぱい! 湿度の乱高下と過乾燥で響板が割れるかもしれないなんて考えたこともない! 練習練習また練習して次のレッスンでなんとかマルをもらわなければ!  

日本がケンバン楽器を自分のモノにしたのは、電子ケンバン楽器からだと、私は思う。 シンセサイザーや電子ピアノは、今も日本の独壇場。 それは、戦後にソニーなどの日本の家電企業の隆盛と、そしてソニーウォークマンを筆頭にパイオニアやアイワやテクニクスデンオン(DENON)やケンウッドやヤマハ(ステレオ)などの音楽家電メーカーの隆盛によって「音楽家電といえば日本!」という確固たる大看板が作られ、日本国内の発達した音楽家電産業の波に乗るようにヤマハやローランドやコルグが電子キーボードをいち早く量産して、それらが世界の音楽産業で普及したから。 

日本のケンバン文化は、電子キーボードから本格的に始まった。 それは、日本の経済の最盛期に誕生した楽器だから。 これに対して、ヨーロッパの経済の最盛期に誕生したアコースティックピアノの文化基盤は、当然ヨーロッパだ。 私は日本語以外には英語の情報しか読めないので、イギリスと北米のピアノ愛好家たちの情報交換サイトを見る限りだが、それでも、英米のピアノ愛好家たちはアコースティックピアノという楽器を本能的に知っている、と私は感じる。 現代のピアノは、産業革命を主導し19世紀に地球の半分を持っていたイギリスで発展した、と読んだことがある。 だから、現代のピアノは彼らの文化の中から生まれたものであり、彼らはナチュラルにアコースティックピアノという楽器を文化的にモノにしているのだ。 アコースティックピアノは日本で生まれたものでは無いので、外来西洋文化の「お勉強」を通してアコースティックピアノを日本がモノにするのはこれからも難しいだろうが、日本人はそれを恥じ入る必要は全く無い。 そもそも宗教観の土壌が全く異なる文化を完璧に複製できるはずがないではないか(複製できると思うほうがオメデタイ)。 日本におけるアコースティックピアノ文化は、基本的には、国策による「借り物の文化」だが、日本の電子キーボード文化を生むための土台として立派に機能したのだ。 国家経済の隆盛あっての、文化繁栄である。 その国や地域の経済の最盛期に、その国を象徴する楽器が生まれるのだ。 日本が文化的にモノにしたケンバン楽器は電子キーボードである。 20世紀後半に家電大国として世界を席巻した日本の文化的象徴は、エレピやシンセといった電子ケンバン楽器なのである。 ヨーロッパ最盛期の文化遺産はモダンピアノ(アコースティックピアノ)であり優れたクラシックピアノ曲が生まれる起爆剤になった。 第一次大戦後のアメリカの最盛期にスタインウェイピアノが発展して、ジャズの進化を強力に後押しした。 日本の音楽人は、日本の最盛期に日本で発展した電子ケンバン楽器と、電子ケンバン楽器を使って戦後の日本人によって日本の大衆が聴くために生み出された最新の日本固有の音楽を、日本の文化遺産として大切に守り継承し、その価値を守っていくのが、ナチュラルな道なのである。

とある、ベーゼンドルファースタインウェイヤマハのピアノ弾き比べ動画を視たら、ある人が「ベーゼンはクラシック、スタインウェイはジャズ、ヤマハはロックやポップスが合う」とコメントしていたのが興味深かった。 もちろんその人の個人的な感想だが、日本人がピアノを文化的にモノにして誰に気兼ねすることなく自由に自己表現しはじめたのが日本の大衆音楽からであることと符合するコメントだなぁと思った。 「ヤマハのピアノの音は、ロックやポップスのレコーディングでも他の楽器に音負けしない」という記述もどこかで見かけた。 ヤマハのピアノの音は、良く言えばシャープで明るい音、悪く言えばキンキンした金属的な音と一般に評されるが、日本に限らず英米でもそのような印象を持たれている。 私も子どもの頃からそう思っていて、私はカワイの良く言えばまろやかな、悪く言えば暗い音の方が好きだが、「最近のカワイの音はヤマハっぽくなった」と感じる人もいるようだ。 カワイの音は変わってしまったのだろうか? それとも、海外の有名ピアノブランドと同様に、ヤマハもカワイも近年はスタインウェイに音を寄せてきているのだろうか?

日本の音楽産業において、子どもの頃に電子オルガンやシンセに慣れ親しんだキーボーディストや、子どもの頃にピアノのお稽古から早々に落ちこぼれてバンド(キーボード&シンセ)やジャズピアノに「転んだ」キーボーディストのほうが、アコースティックピアノ演奏の仕事でも音楽産業の中で引っ張りだこで幅を利かしていることも、大変興味深い。 子どもの頃から純粋にクラシックピアノ一辺倒で育ったピアニストが日本のピアノメーカーの枠の中に宿命的にとどまり続けるのに対して、「電子ケンバン組」や「ピアノのお稽古落ちこぼれ組」は、ピアノメーカーの「レーダー」からも「落ちこぼれて」い続けたために、ある意味で音楽的に自由に育ったことが皮肉にも奏功しているのかもしれないなぁ、そして、電子ケンバン組や落ちこぼれ組出身の売れっ子ケンバニストに限って、新品や中古の海外高級ブランドのピアノを自宅に持っていたりするもんなぁ、と思ったりする。 これに対して、クラシックピアノのお稽古一辺倒で音大まで卒業させてもらった、ピアノ演奏に関して技術的に最も優れているはずの圧倒的大多数の演奏専門家たちは、いったい全体どこに消えてしまうのだろうか。

とここまで書いてきたが、さいごに、

国家主導の文化政策が「噛ませ犬」のような役割を担って、その脇で土着の民衆から自然発生した民衆文化が大いに発展して圧倒的な強さを見せるのは、何も日本に限ったことではない アメリカのジャズもフォークも、発生当初は警察から目をつけられた「危険な音楽」だったのに、今やジャズはアメリカの誇るべきアイデンティティ音楽であり、ボブ・ディランは(嫌々ながらも)ノーベル文学賞をもらっちゃった(ほんとは権威的な賞なんてもらいたくなかったはずだ)。 アメリカの画壇で見向きもされなかったアメリカのモダンアートは、フランスで高い評価を受けた途端に地滑り的にアメリカで称賛されるようになって逆輸入された。 ビートルズやディープ・パープルがイギリスの音楽権威の肝入りでデビューしたはずがない。 国策とは関係ないけど、ジャーニーは日本で人気が出たのを後追いして本国アメリカで人気に火がついた。 外国の評価に影響されるのは、どの国も同じようなものだ。 だから、日本人なのに、何かの呪いに憑りつかれたように日本のことを自虐的に「異質蔑視」する必要は、全くない。 子孫末代まで永遠に自虐的なサイキに浸かり続ける限り、日本が喉から手が出るほど欲しい「国際的な評価」は手に入らないよ、いやもう手にしてるんだけどどういうわけか当の本人たちが気がついていないんだよね、まるで「青い鳥」のように。 だから、

日本の民衆から生まれた力強い日本文化を卑下したり、自虐的に否定したり、安売りしちゃ、ダメだよ。

 ↑ みたいなことを書こうとしていました。

 

 

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tokyotoad

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた(←諦めて命拾いした!と、今しみじみ振り返って背筋がゾッとしている)、「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。