おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」の大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

大人のピアノは、レッスンを受けるべきか?独学か?_001

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現在、ピアノ、というか音楽を独学している私ですが、子どものころや、中年になって再開した当初は、ピアノの先生に習っていました。

 

はじめのうちは、音楽のことをわかっている誰かに基本的なことを習った方が何かと便利ですが、自分で「こんなもんかな」とわかってきたら、動画や音楽が気軽に視聴できる環境があれば、趣味でやる場合は自分が楽しければいいわけですから、無理してレッスンに通う必要はあまりないんじゃないか、と感じています。

 

大人なので、何も考えずに譜面どおりに弾くよりも、音楽の背景にある理屈や文法に親しみながら楽しんでいくと、脳に残る経験も多くなると思います。そのプロセスの着火剤として、だれか詳しい人に教えてもらうのは、ひとつの方法だと思います。

 

ピアノだからといって、何が何でもピアノの先生に習わなければいけない、ということもないと思います。 音楽のことは、作曲家/編曲家やジャズ/ポップスのミュージシャンのほうが、よくわかっていると思います。 作曲家/編曲家やジャズピアニストはもちろん、ギタリストやベーシストやサックス奏者も、ピアノを弾ける人が多い、というのは、子どもの頃にデフォルトの楽器としてピアノや電子オルガンを習っていたり、他の楽器もマルチで演奏できたり、音楽理論の勉強や作編曲を鍵盤楽器で行うことが多いからです。 そして、むしろ彼らの方が、はじめてピアノを習う人に対してやさしい可能性がある。 彼らは、音楽の知識のバランスが取れている上に、手の形はどうとか指はこうとか、あまり細かいことは言わないと思うので、初期段階で演奏の「型」の情報に圧倒されて「緊張」という呪いに縛られる、ということが少ないんじゃないかと勘ぐっています。 これに対して、鍵盤楽器のなかでもピアノしか弾けなくて、しかも、クラシックの限られた曲を楽譜どおりに演奏することしか教えられないピアノ教師は、楽譜どおりにピアノを弾くことの訓練しか受けていなくて、肝心かなめの音楽の知識が乏しい傾向がある。 だからなおさら、手の動かし方などの「ピアノの弾き方」だけしか教えられないので、そればかりに異常に重点を置いて指導するようになっていってしまう、という可能性がある。 

 

ピアノなどの鍵盤楽器をはじめ、あらゆる楽器の演奏のための要諦は:

「楽器のどこを押さえたらどの音が出るか」と、音と音の間の関係や組み合わせの意味を知っている(←音楽の最小単位と、自分の楽器における音の位置関係を把握していることは、「楽譜どおりに音を出す」以前の基本だと思います。)

音楽語の文法を知っている(音階(スケール)の種類、コード、コード進行などの音楽理論①と②を本当に把握しているかどうかのリトマス試験紙は、音楽語の文法を踏まえた即興演奏ができるかどうかですが、誰かが作った楽譜どおりに弾けるだけのピアノの先生や、音楽語の文法に疎いアマチュア即興演奏レベルのピアノの先生が大半なのが、現実だと思います。) 

であり、これに加えて、

楽譜を解読できる(←少なくとも①ができたうえで、さらに楽譜が読めれば、バンドなどのグループ演奏で便利だし、アウトサイドのメロディー展開やテンションコードやポリコードを聴き分けられるレベルの耳が無くても、楽譜が存在する曲は弾ける。 楽譜は、大変に便利な媒体です。 音感がたいして無くても、音楽理論をぜんぜん知らなくても、書いてある通りに弾けばいいのですから。 ところで、初見演奏の能力は、作曲家の先生から投げられた楽譜を、スタジオのレンタル時間やメンバーの拘束時間といった経済的な制約のなかで、音合わせ1回本番1回ぐらいで録音するといった、職業演奏家にとっては必須のスキルだと思うが、素人は、ゆっくり1音1音、間違えても給料が減るわけではないので、楽譜を解読できればいいのです。 私は子どもの頃から、どういうわけか、楽譜どおりの音を間違えずに弾くのが苦手なので、ゆっくりと、1音1音拾うように譜読みしますが、べつに誰に批判されることもありません。 初見演奏ができるからエライわけではないし、音楽を知らない人でも初見演奏はできます、というか、音楽を知らない人に限って、初見演奏ができることを自慢する。そういうふうになる習い方をしたんだな、と思います。 ①や②ができないままに子どもの頃から楽譜どおりにピアノを弾く練習だけをしていると、楽譜がないとピアノが弾けない役立たずな人になってしまいます。

 

作曲家/編曲家やジャズ/ポップスのミュージシャンは、上記①②③のバランスが取れている、つまり、音楽を本当の意味で知っているので、教えてもらうのに良い条件を持っていると思います。

 

現役のプロの演奏家に習うと、現場のプロならではの実地のノウハウや演奏のウラ話が聞けて、それを自分の社会経験や価値観とリンクさせることができます。 その場合は、いつもきれいな衣装を着てスポットライトを浴びてソロ演奏しかしない、他人との共同作業の経験が全く無い演奏家よりも、伴奏やサイドマンやサポートミュージシャンといった裏方の演奏の経験もある人に習うのが望ましいと思います。 私はごく短期間ですが、CDを何枚も出している現役のプロのピアニストに習ったことがあります。 そのピアニストさんは、今でこそソロコンサートを開く人ですが、駆け出しのころは、あるベテランの有名歌手の伴奏者としてツアーを回っていたそうです。 クライアント(歌手)の意向に沿った編曲&伴奏に骨身を削り、伴奏者として常にクライアント(歌手)を引き立てて、ステージで歌手の魅力を最大限に引き出す仕事をした経験があるので、ピアノのレッスンの提供でも、クライアント(=生徒)の良さを引き出そうとする姿勢が有りました。 生徒が気分良く演奏できるように図らってくれる(それが生徒のベストの演奏に直結すると知っているから。習う方の人間だってその意図がわかります)。 演奏に関するアドバイスも、「あなたはそれができる」という信念のもとに行われた。 こういう図らいは、長い演奏キャリアで世間様(せけんさま)に揉まれてきた、苦労人ならではです。 「主婦or家事手伝い兼いつまでもお姫様気分が抜けない、自分より劣った生徒に教えてあげる目線の指導やダメ出しばかりでクライアント(生徒)からお金ばかりか彼らの自信までも吸い取るピアノ教師」にはできない芸当です。

 

大人が何かを習う場合は、ある程度音楽業界でキャリアを積んで、世間に揉まれた、大人の社会の常識をわきまえた大人の先生を見つけるのが良いと思います。 大学を卒業したばかりは、まだ子ども。 社会人経験のある人なら、新卒社会人だったころの自分がいかにガキだったかを思い出して冷や汗が出ることがあるでしょう。 私の経験ですが、ピアノの先生に良い作曲の先生を紹介してもらおうと頼んだら、音大を出たか出ないかぐらいの自分の教え子を紹介されて、しかも「時給は1万円は取るわよ」と凄まれた挙句に、良かれと思ったんでしょうが、こちらが頼みもしないのに、ピアノのレッスンに行ったら突然引き合わされ、しかも、社会の怖さを知らない子ども同然ですから、「こんなガキに時給1万円も払えるか!」と内心憤慨したのですが、先生の手前、断るのに大変気を遣いました。 最初の時点できっぱり断れなかった理由は、その生徒さんを断ることは、その生徒さんを仕込んだ先生の実績つまりは先生の存在を否定することになり、先生に失礼になるのではと考えたからです。 今の自分だったら、「その生徒さんの将来性は素晴らしいと思われますが、自分は大学を卒業して社会人として何十年もやってきましたので、自分と同じようにある程度生きてきて、社会で実績を積んだ方に習います」と、最初からきっぱりと断ります。 先生に失礼になるかしら、とかは、そんな不要な気は遣いません。 だって、私が仕事をして一生懸命働いて稼いだささやかなお金を、誰かの「将来性」という未知数の対象に投機するほど、私はお金持ちではないし、それに、仕事で結果を出し続けて社会からスキルを求められて長年働いてきた人間が、そのお金を払う相手にそこまで気を遣う必要は無い、と思うからです。 どうして、その先生が、50代の人間相手に大卒そこそこの弟子を紹介することに何の迷いもなかったのか、というと、それは、世間では新卒ですぐに先生になれる場合があるからです。 でもそれは、子ども相手の世界の中でのことです。 新卒ですぐになれるのは、子ども相手の先生だけです(高校生までは子どもです)。 新卒ですぐに大学で教えることはできないでしょ? ましてや、どんなに優秀でも、新卒ですぐに社会人を教えることはできないんですよ。 社会とはそういう場所です。 ピアノ教師にそのあたりの社会的な常識が欠けていることを、こちらは想像だにしませんでしたから、こういうことが起こったのです。 主婦業のかたわら子ども相手に先生をしてきた人は、世界がそうなっちゃうんですね。 結局、自力で、もっと経験のある50代後半の先生を探しましたが、実績のある人で、月謝も時給1万円には程遠いお手頃な値段で、こんなことなら最初から自力で探せばよかったんです。 ええ、ぜんぶ、私のせいです。 私がバカだったんです。

(と書きましたが、実は、バカに思えた私は、バカじゃなかったんです。 この先生は、私が子どもの頃に教わった、その先生でして、大人になってその先生の門を叩いた結果、私は、最終的に、子どもの頃から私が渇望していた「あなたはできる!」という自信を得ることができたのです。 ええ、ぜんぶ、私のせいです! 私は自らを助け救ったのです。)

 

私が独学に至った経緯を記そうと思いますが、

 

私が独学に切り替えた理由は:

内田樹氏が著書『そのうちなんとかなるだろう』の中の「師弟システムのダークサイド」という項で述べている内容と、全く同じことを感じたからです。 

 

 

私は、3歳からピアノを習わせてもらっていたようです。というふうに書くと、いかにもピアノが上手そうに聞こえますが、子どもの頃にピアノの演奏で褒められたことはありません。 それに、よく「私は2歳の頃からピアノを習っていました」みたいに言うアマチュアがいますが、2歳や3歳でいったい何が弾けるんでしょうかね?  鍵盤を手のひらや指でバンバン叩く以外は、ほとんど何もできやしませんよ。 それよりも、何の示威行為でそんなことを言うんでしょうかね?  8歳ぐらいで習い始めた(それも2年ぐらいでその後は独学&武者修行)、演奏が人間離れした世界最強のピアニストもいますよ。 ですから、トンチンカンなアマチュアの示威行為は、その人の何かの哀れさの裏返しですから、賢明な大人は憐憫の情をもってスルーしてあげるとよいでしょう。

 

話はそれましたが、物心ついた時は、家でテレビから聞こえてくる音楽を見よう見まねでピアノで弾いてばかりで、ピアノの練習は嫌いでした。 というのは、ピアノのレッスンが、ツェルニー地獄だったからです。 ツェルニーツェルニーまたツェルニー。 一冊終わると、新たな敵じゃなくて新たなツェルニーが現れる。 40番までやって、もうないだろうと思ったのもつかの間、50番を買えと言われたとき、私の脳内のシャッターがシャーっと下りて、私は静かにピアノのレッスンを去りました。 もうコリゴリですよ!(中学を卒業して大学受験が地平線に表れたこともあったけどね。) だから、半世紀以上も生きてきたのに、「ツェルニー」と聞くと、脳内のシャッターが下りはじめる。 トラウマとは恐ろしいものです。

 

ツェルニーのほかは、いわゆる古典と呼ばれているバッハ、モーツァルト、ベートーベン。 バッハは嫌いではありませんでしたが、世の中はテレビのブラウン管から、ありとあらゆる音楽が、めくるめく聞こえてきた頃。 テレビやラジオから流れる音楽のほうが圧倒的にカッコイイんですよ(当然だ。最も進化した20世紀の音楽なのだから)。 そのうちにショパン...。ショパンは、なんていうかね、ベートーベンとは違った、あのおセンチな深刻チックさがね、なんか笑えちゃって、それに、「ショパンが好きなんです」って言葉に、なんというか、ある種のあざとさ、そう、バブル時代に大学のテニスサークルで女子のテニスルックのスカートの下から見え隠れする、フリルがいっぱいついたアンダースコートと、同種のあざとさが、透けて見えるような、そんな気がしまして(このあざとい感じについて、以前ピアノ会でご一緒したショパン嫌いの人が、コピーライター顔負けの見事な一言で形容してくれたので、ウケました)。 いや、ショパン好きさんの全てが、そうじゃないと思うんですよ。思うんです、思うんだけどね、中には、そういう感じの人もいるような気がしてね。

 

でも、私が習ったピアノの先生は、クラシック原理主義者というか、世の中の動きや、テレビ世代の子どもの感性を感知するアンテナが無い人だったと思います。 そして、バイエルツェルニーブルグミュラーカバレフスキー子どもの情景バッハモーツァルトベートーベンショパンリスト....という鉄の道を絶対的に順守して教える人でした。 このフォーマットに申し訳程度に差し挟まれたのが、湯山昭ですかね。 ピアノ会で、「子どもの頃に習った湯山昭がいまだに好き」という人とご一緒したこともあります。 やっぱり、みんな、湯山昭だけが救いだったんだね。 あとの救いは、ドビュッシーアラベスクぐらい。 「エチュードアレグロ」は不評みたいですね(私も子どもの頃、この曲のいったい何がいいのか、ぜんぜんわからなかった。AパートからBパートに行く直前の、転調へのヘンにタメた移行プロセスや、Bパートの終わりあたりのディミニッシュのヤツ(【vii7°(または ルートレスのVb9) of V(= [I(カデンシャル64)-V7])】)とか(←右手のメロがクサく♫タラァ~ンてなるところ。その♫タラァ~ンを思い入れたっぷりに弾けと言われてもねぇ...笑っちゃってとてもシラフじゃ弾けませんよ...)、Cパートの最後のグリッサンド(もなんだかねぇ...)の前に一瞬マイナーになるところとか、めくるめく次から次へと、手垢がつきまくった使い古された陳腐な展開が現れる。それから、最後のクライマックスに向かってだんだん盛り上がっていくように企図された、あの長々しいプロセスのイライラ感とか(←ヤシの木が倒れたらサンダーバード2号が出てくるのはもうわかってるんだよ!長々と引っ張らずに早く出せ!)、そして、そのクライマックスに何が出てくるかと思ったら両手3和音の乱れ打ち(トホホ...).....。もういやはやなんとも、〽し~らけど~り~と~んでゆ~く~、ですよ....(←シラケました?)。 「サンダーバード」や「ウルトラセブン」や「ゲバゲバ90分」や「Gメン75」や「太陽にほえろ」や、〽アッコちゃ~ん、アッコちゃ~ん、スキスキ~~~、あっどしたっアッコッちゃんっ!(←ブルース構成の名曲) や、アニキがクイ気味に熱唱する〽そぉらに~そびえる~くぅろがねのしぃろぉ~や、同じく永井豪原作の〽あっれっはーデビッルッ、デビッルッマーン、........ デ ビ ルマーン!のほうが、音楽として何百倍もドラマチックでカッコイイ! でしょ?(← 当時テレビから聞こえてきた音楽を今改めて思い返すと、大変に優れた曲がいかに多いことか!) ピアノ教育業界における何の事情でどの子もこの子も「エチュードアレグロ」をやらされたのかは知りませんが、当時の子どもは、あの曲、ダサイと思っていたと思いますよ)。 

( ↑ おそらく、「様々な弾き方を網羅的にカバーしており、和声も基本的なのであるからにして、子どもの練習曲に適しているのであーる!」なんだろうが、そういう網羅的な曲っていうのは、裏返すと、どっちつかずの曲。そのどっちつかず感と、「ガキにはガキ仕様の曲を作ってやらせておけばよかろう!」的な大上段目線が、五線譜の間から漂ってきて、イタイケな子どもはそれを感じ取っちゃうんだろうね。)

 

ここまで書いてきたが一向に本題に入らないうちに書くのが疲れたので、続きはまたにします。

 

つづきは:

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