おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」の大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

大人のピアノは、レッスンを受けるべきか?独学か?_002

★ピアノの先生などへ: このブログに記載されている内容を、レッスン目的(レッスン等で使用・販売する教材、レッスンで教える内容、宣伝等のためのブログ記事での使用等を含む、営利目的につながる可能性のある使用)やその他の目的のために、このブログの作者(原作者)であるtokyotoadへの事前の承諾なく無断で使用(コピー・利用・転用・流用・編集・加工等)することは、原作者の権利や人格を保護する著作権法に対する違反行為です。くれぐれもご注意ください。

==========

 

前の記事001(↓)の続きです。

tokyotoad1.hatenablog.com

 

子どもの頃に習っていたピアノのレッスンのことを書いていました。

 

子どもの頃にピアノを習っていたことが、いろいろなトラウマのもとになることがある、ということがうかがえたと思います。

 

子どもの頃からやっていると絶対に有利だと思う点は、「先生に習った」ことよりも、

自分で楽器を手にして、自分が興味がある曲をマネようと、何度も繰り返し聴いて耳コピしたり、音楽雑誌と首っ引きでコードを覚えたり、クラスの音楽好きの仲間たちと教えあったりしながら、夢中で練習する、その、夢中さを、伸び盛りの10代のころに体験したことだと思います。

ギターやベースをやっている人たちに多いパターンだと思います。

そういう人たちのなかから、野呂さんやナルチョさんみたいな現人神が出てきます。

鍵盤楽器では、ジャズピアニストやキーボーディストに多いパターンです。

 

(ところで、1960~70年代は、ギターには、時代特有のスティグマ(ネガティブなイメージ)が憑(と)りついていたような気がします。 団塊の世代の方々がお詳しいと思いますが、ギター、とくにフォークギターは、浅間山荘事件でアンティクライマックスを迎えた学生運動と、切っても切れない関係があったような気がします。 だから、「ギターを弾くのは不良!」みたいな風潮が、当時の大人たちの中にあって、自分の子どもたちには「ギターよりもピアノ!ピアノざますよっ!」みたいなサイキがあったのかもしれません。 この「ギター冬の時代」がようやく薄らいできた70年代後半から、かぐや姫さだまさし、アリスといったフォーク系や、渡辺香津美野呂一生(カシオペアカシオペア3rd)、安藤正容(スクエア⇒T-スクエア)といったジャズ/フュージョン系の人達が現れて、ギター全盛時代が到来した印象があります。 鍵盤楽器においては、冨田勲 - 松武秀樹を追って登場した坂本龍一や、第1~2期カシオペア向谷実(ヤマハDX7)によって、デジタルシンセが一般の音楽好きの間に急速に広まり、鍵盤楽器は、日本経済の最盛期に乗って、それまでの「深窓のご令嬢が弾くイメージに憧れる庶民の上昇志向に訴求するアコースティックピアノ」から、「誰もが気軽に買って自由自在に音楽を作り表現するツールとしてのキーボード」へと、大きく流れが変わっていったと思います。) 

 

話を戻しまして:

レッスンで教わる曲がつまらなくて、テレビから流れてくる音楽ばかり見よう見まねで弾くばかりで、ツェルニーをはじめレッスン教材の練習をあまりしなかった私は、不器用で身体が固いこともあったのでしょう、早い段階でピアノの先生から「ピアノが下手」と判断されました(子どもだって、先生の表情をみれば先生の考えていることぐらいわかります)。 でも、なぜかピアノのレッスンに通い続けました。 ピアノというよりも、音楽が好きだったからだと思います。

 

私のすぐ年下に、Dさんという生徒さんがいました。

Dさんは、私より年下だけど、とてもピアノが上手で、先生に気に入られていました。

 

そして、

私が小学校高学年だった時、あるピアノ発表会を境に、私とDさんの演奏順が、入れ替わりました。

幼稚園から音大生まで、年下から順番に演奏していく発表会。 それまでは、年上の私は年下のDさんの後に演奏していました。

その順番が、入れ替わって、私は、Dさんの前に演奏する順番になりました。

発表会に出演する全員のなかで、私とDさんの演奏順だけが、年齢順ではなくなりました。

「私は、Dさんと演奏の順番を入れ替えられるほど、ピアノが下手」というメッセージが、他の生徒さんや親御さんたちの前で、明らかにされたわけです。

 

私は何も言いませんでしたが、やはり傷つきました。

そして、母親は、それに対して、先生に掛け合いませんでした。

とはいっても、この世はすべて、こんなものです。

一浪二浪して大学に入る人もいるし、さらに、大学入学後に受けた試験の成績順にクラス分けする学科もあります。 就職すれば、年月とともに出世にバラツキがでてきて、年下の上司に仕えることもあります。

親だって、いつまでアテにできるものでもありません。

世の中なんて、そんなもんです。

だから、私は子どものうちに、世の中を知ることができて、よかったと思います。

 

もしかすると、Dさんと順番を入れ替えられたのは、

「あなたはピアノに向いてないのよ、そろそろピアノをあきらめて、他の道を考えたら?」

という、先生のやんわりしたメッセージだったのかもしれません。

でも私は鈍感なので、中学卒業まで習い続けました。

 

それに中学に入ると、私は「演奏と初見はカラキシだが即興と変奏は他の子どもよりもなぜかできる」ということが、先生の知るところとなって、おままごとみたいな作曲のマネごとをやらせてもらったいました。 

(ここでのポイントは、私は、先生から即興や変奏を教えてもらわなくても、すでにそれらが得意だったということです。 当然です、だって、幼いころから、アニメの主題歌や歌謡曲をピアノで見よう見まねで弾いたり、くだらない曲を面白おかしく即興で弾いてばかりいたんですから。 遊びで夢中でやっていたことが、その人の最も強い武器になると私が信じているのは、そのためです。 誰かに言われて勉強したものは、その人の強みにはならない。だって、遊びで夢中でやっている人にはかなわないから。

 

大手音楽教室の選抜グループレッスンも受けることができました。 グループレッスンでは、みんなで電子オルガンで室内楽を合奏したり、バッハの曲の構造を教わったり、楽しく通いました。 やはり、ピアノではなく、音楽が好きだったんだと思います。 

 

ここからは、後日談です:

 

大人になって、先生と再会した時、先生がDさんと私の年齢の順番を入れ替えて認識していることを知りました。 先生は、私がDさんより年下だと、心から信じ込んでいたのです。

先生は、どこかの時点で、私とDさんの年齢を入れ替えて記憶してしまったらしい。

どうしてそうなったのか?

もしかすると、先生は、発表会のときに私とDさんのところだけ、ピアノの巧拙が年齢の順番と逆になるのが、どうしても許せなかったのかもしれません。

私とDさんの年齢を入れ替えて認識してしまえば、先生の心は安らかになります。 だから、無意識に、そういう思い違いをしたのかもしれません。

 

ところで、Dさんはもうこの世にいません。

何年も前に私が病気を患ったのと同じ頃に、私が患った病のもっと重篤な症状で、亡くなったそうです。

あんなにピアノを完璧に弾いて、いつもコンクールに入賞していたDさんの人生は、その時点でこの世から消えてしまいました。

「ピアノが下手」のレッテルを貼られた私は、今も生きています。 病気も治って、人間ドックの結果も良好です。

そして、就職してから仕事に家庭に追われた末に、病気を患って、ある意味で人生を明らめ(あきらめ)たときに、ささやかながら、子どもの頃にやりたかった音楽を、細々と趣味で楽しめるようになりました。

自分でいろいろ試行錯誤しているうちに、子どもの頃に動かなかった左手も動くようになってきました。 本やサイトや動画を見て、子どもの頃には知るよしもなかったモードやテンションコードも弾けるようになってきたし、黒鍵恐怖症も薄れて、移動ドも育ってきました。 ピアノを習っていた子どもの頃には想像もできなかったコードも聞き分けられるようになってきて、オツなコードを使ったポップスや、ジャズやフュージョン耳コピもできるようになってきました。

音楽の趣味を楽しめるのは、生きているからこそです。

落語に「死神」という噺があります。

長いロウソクと短いロウソクが入れ替えられてしまうことにより、二人の人物の寿命の長さが入れ替えられてしまう、という噺です。

発表会でDさんと私の順番を入れ替えたとき、先生は、Dさんと私のロウソクも入れ替えてしまったのかもしれない。 

そうであれば、私は、先生に感謝します。

先生、ありがとうございました。

 

(もうひとつ、先生に感謝することがあります。 人生とは数奇なもので、以前の出来事が倍になって戻ってくることが本当にあるのだなぁ、と半世紀以上生きてきて思うことがあります。 大人になってから、市井(しせい)のピアノの先生たちも生徒として通うプロのピアニスト(先生)主催の発表会に出たとき、私は第2部(プロの部)に入れられ、私の出番の前に現役のピアノの先生(生徒)が2名演奏しました。 子どもの頃に経験した「貯金」に利子が付いて倍になって戻ってきたように感じました。 実は、そのプロのピアニスト先生を紹介してくれたのが、子どもの頃に習っていたその先生でした。 子どもの頃の先生は、私に対して「あなたはできる」と言うことはできませんでしたが、先生の代わりに、先生が紹介してくれた、現役のプロのピアニスト先生が、私に対して「あなたはできる」というメッセージを、つまり、人生で何をするにも最も死活的に重要な自信を、発表会の演奏順という最も強力な事実という形で与えてくれたのです。 時給ベースに換算すると、ピアニスト先生のレッスン代は、子どもの頃の先生が大人になった私を教えてくれたレッスン代の、10倍でした。 子どもの頃の先生がこの時給ベースの価値の差を認識していたかどうかは、私は知りませんが、結果として、先生は、ご自分の10倍の価値があるピアニスト先生を私に紹介してくれた、という事実によって、私に「あなたは、私の10倍の価値がある、市井の(しせい)ピアノの先生たちを教える現役のピアニストに習うのがふさわしい人です」と言ってくれたのです。)

 

2020年8月に追記:

事故や災害といった不運が原因ではなく、人が若いうちに病気が進行して亡くなるのは、その人が自らを死に追いやるのかもしれない。 Louise Hayが「がんは激しい自己嫌悪や自己否定が病気となって現れたもの」という内容のことを言っていたと思う。 よく、「がんは遺伝する」ようなことが言われるが、これは、生物学的な遺伝というよりも、社会的(環境的)な遺伝なのではないか?と思う。 自己否定感が強い親に育てられた子どもは、自己否定感が強い人間になると考えられる。 これが、親から子へ、子から孫へ、「遺伝」していく。 昔の人は、これを、「先祖代々の呪い」とか「親の因果が子に報い」と呼んだのではないか? この負の連鎖を断ち切るには、毅然とした強い気持ちで自己否定マインドセットを粉砕・消滅させて、ネガティブな要素を心から徹底的に排除し、自分を大切にして笑顔で生きることだ。 

人生は、いろいろなストレスとなんとか折り合いをつけながら、なるべく健康に生き延びていくことだ。 そのためには、心が健康であることが必要だ。 焦燥や挫折といった精神ストレスが一定レベルを超えると、心が休まる暇がなくなり、「忙」になって、追われるような気持ちで生きることになる。 「忙」は、心が地獄の状態だ。 心が地獄になると、身体も地獄になっていく。 死んだ後のことはわからないけれど、この世には、確かに、地獄も、天国も、存在する。 生きているうちに、心を天国にする。 イエス・キリストは、「天国はあなたがたの心の中にある」と説いた。 これは、仏教でいう三昧(ざんまい)の境地、極楽浄土だ。 世界三大宗教をはじめ、まっとうな宗教は、心の中をパラダイスにして生きることが幸せな人生につながる、ということを説いているんだと、私は思う。 同時に、人間の世界に宗教が存在することは、現世で心をパラダイスにして生きることがいかに難しいかを、示しているんだと、私は思う。

 

つづき:

tokyotoad1.hatenablog.com

tokyotoad