ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

自分の演奏録音の過去vs現在比較

 

以下は、20220317にアメブロに書いた記事:

 

昨日は、自分の最近の演奏録音を

おっかなびっくり聴いてみたよ!

ピアノを演奏するときは必ずレコーダーをまわして録音している。

ポカした時の「チッ!」なんて舌打ちも録れてるんだけどね。

 

今まで悲しくなるから聴いてなかったんだけど、

意を決して、最新の録音を聞いてみたら、

ぱっと聴いた感じでは、

思ったよりもヘッポコじゃなかった音譜

もちろん、アドリブパートはヘロヘロ えーん

最低でも地雷だけは踏まないようにって踏むんだこれがえーん

で、守りに入ってヌードリング...。

こういうところが進歩を阻んでいるんだね。

アドリブは今日明日すぐに良くなるもんでもないから、

やることやってのんびり続けていくよ。

ただし、ほぼキメ打ちだった2年前からすれば、

ゼロからの進歩だから、「∞(無限大)」の進歩だねゲラゲラ

演奏で走るところは走るけど、

その原因は分かっているので、これもゆっくり改善していくだろう。

打鍵音は改善しているね。

5年近く姿勢の改善を続けているので、

去年あたりから打鍵がシュアになってきて、

右手と左手の音量調節ができるようになったから

音は改善していてよかったよかった...

って思って、参考までに

5年前の録音を聞いてみたら、

やっぱりそれなりに改善してるように思ったよ。

いちばん大きい要因は、

自信が出てきたからだろうねアップニコアップ

自信は、最重要ファクターだ。

自信が無いと、どんなに技術巧者でも、

「何かに怯(おび)えたような音」になったり、

「気の弱い音」になったりして、

「上手い」ようには聞こえない。

 

「上手い」は、ほんとうに主観的なものだ。

誰かが「上手いっ!」と思うものが

他の誰かは「なんだこれは...?」とシラけることもある。

 

大きく向上したのは

キメ打ち部分のボキャブラリーだね。

ピアノを再開した5年前の幼稚園児レベルから

 (↑子どもの頃ピアノを10年以上やって

  某音楽教室で先生ができる級も取って

  中学時代に某音楽教室の選抜クラスに通って

  現実の世界では幼稚園レベルよ笑い泣き!)

今は、ようやく

小学校高学年ぐらいには進歩したかな。

アドリブでは、

キメ打ちのボキャブラリーの10分の1、いや

20分の1も出てこないね。

まあそういうもんだろうね。

とはいえ、

50代のあいだの進歩としては上々!

と思って、

これからものんびり楽しみながら死ぬまで続けていくよ。

 

 

tokyotoad

 

もとの記事@アメブロ

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。