ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ道楽の日々

「自称プロ」

 

以下は、20220318にアメブロに書いた記事:

 

「プロ」という言葉は、とても便利な言葉だが、

「プロ」のなかには、

「自称プロ」が、

かなりの割合で混じっているから、

私は注意している。

 

「自称プロ」は、「実質素人」だ。

素人仕事にお金を払うと、

払ったお金に見合わない経済価値(バリュー)しか得られないので、

こちらが損を被るハメになる。

だから、社会では、

素人仕事は厳しく見極められ、

仕事の要求レベルに届かない経済価値しか提供できない者に、

次の仕事は来ない。

 (↑唯一の例外は、若者だけだ。 理由は、

       まだ伸びしろが残っているかもしれないので

       あとしばらくは鍛えてみる経済的な価値が有りそうだから。)

 

「自称プロ」を見破るのは、とても簡単だ。

彼らから「素人臭さ」がプンプン匂ってくるからだ。

「素人臭さ」は、「仕事に対する甘え」の匂いだ。

「素人臭さ」は、

どんな大学を卒業しているか否かにまったく関係無く、

一流大学出身者でも、

匂う人は、匂う。

別に音楽業界に限ったことではない。

実社会のあらゆる業界に共通することだ。

 

 

昨日も、

そんな「自称プロ = 実質素人」のピアニストの動画を、図らずも視てしまったよorz...。

私が中学時代から弾くのが夢だった曲の演奏動画で引っかかってきたので、

プロはどんな演奏をするのかな~と思って、試しに視たのだが、

あれ~~? この程度ですか...?汗汗汗 

これで、「プロ」ですか...汗汗汗

見事にひっかかってしまったよ...汗ゲホゲホ汗

嗚呼、人生の有限な時間を損してしまったorz...オバケ

そうでもないか。

この「プロ」さんの演奏動画のおかげで、

私は、自分の音楽的バックグラウンド(の無さキラキラ)と、

大きくもなく指の長さがいびつな手えーんと、還暦近い年齢王冠1にしては、

自分のアレンジと演奏はイケてるじゃないのっクラッカーゲラゲラゲラゲラゲラゲラ って、

メチャクチャ自信がついたよアップアップアップ ありがとう。

 

そのピアニストは、典型的な「自称プロ = 実質素人」だ。

ピアノ演奏で有名な音大出身と謳っているが:

 

汗一流のプロでは有り得ない、非効率な弾き方

  ↑仕事が少ない(つまり売れてない)から、

       手の疲労が溜まらないので、

   弾き方を効率化する死活的な必要を感じないんだね。

   クラシック出身者によく見られる弾き方だが、

   あの弾き方で何十年も生き残っている

   クラシック出身の一流のプロのピアニストは、居ない。

   ましてや、

   プロの音楽産業で何十年も第一線で

   大型案件を次から次へと請け負い弾き続けている

   超一流のケンバニストさんたちは、

   あのような弾き方は、絶対にしない。

   あんな非効率な弾き方では手を壊してしまうほど、

   演奏仕事で年がら年中忙しいので、

      長年のキャリアの間に

      弾き方が鬼のように効率化していったからだろう。

   ↑音楽業界に限らず、

    どんな業界・職業でも

     一流人は、

         仕事のあらゆる側面が鬼のように効率化している。

    早い+高品質+しかも省エネ が、

    一流人の仕事だ。

    (↑事務的な仕事をしていた私も、そこそこそうだったと思う。

      だから仕事が途切れなかったんだと思う)

 

汗演奏中の表情

  ↑会社員だって、取引先の前ではあんな顔しないよ。

       あんな顔した時点でアウト 爆弾

       会社の信用が損なわれちゃう。

   学生気分が抜けていない証拠。

   目の前のお客さんの存在がアタマに無いからなんだよね。

      いわゆる、自己中丸出しの表情。

       「本当のプロ」には有り得ない表情。

       

汗ツメの甘い演奏

  ↑「本当のプロ」では絶対に許されない、ツメの甘さ。 

       「細部に宿る」はずの「神」が不在。

    素人の発表会じゃないんだから、

    観てる客の方がハラハラ心配するような

       「いっぱいいっぱいですっ!」な演奏するなよ...

    ツメが甘々の演奏で平気な原因は、

       自分本位のアマチュアメンタリティ。 すなわち、

       お客さん軽視というか無視!

       お金を下さるクライアント(顧客)の存在が、

       毛頭アタマに無いから、

       演奏のツメがアマチュアレベルになってしまう。

    ↑これも、あらゆる業界・職業に共通する。

     一流人の仕事には、細部に「神」が宿る。

          ぶっちゃけ、一流人じゃなくても

     並みのプロであれば、仕事にそこそこ「神」が宿っている。

          「神」とは、その仕事をしていない人には

     能力的に、または、時間が無くて、出来ない、

          その仕事のバリューのこと。 だから、

     顧客は、その「神 = バリュー」に対して、お金を支払う。

       「神」が宿らない仕事に払うお金は、チャリティー。つまり、施し。

 

汗凡庸なアレンジ/アドリブ力

  ↑聴いている途中で飽きるアレンジ。 この動画、

       私は2ndコーラスの「アドリブ演奏」が始まってすぐ消した。

    聴く人を惹きつけるストーリーテリング能力が、無い。

      音楽理論の貧しさと、ボキャブラリーの凡庸さは、

     編曲の内容と、キメ打ちとわかる"アドリブ演奏"に

      如実に出てしまう。

      演奏技術がどんなに高くても、

      曲の途中で客に飽きられ去られる音楽コンテンツは、

      時間のエンターテインメントとしての経済価値が、無い。

      こういう人、ピアノ科出身の「自称プロ」にいがちだ。

    何年か前に、「日本のメジャーな唱歌を「アレンジ」しました」

      と謳う動画をつい視てしまったときも、そうだった。

      音大ピアノ科卒と謳っているから、

      どんな「プロの仕事」を聴かせてくれるのかな~ワクワク

      と思って視はじめたら、

      え~~汗汗汗、 これが、「プロの仕事」...汗ゲホゲホ汗(絶句)

      速攻消したよ。  あえて救いを述べるなら、

   打鍵の音だけは「正統派」だったよ。

   打鍵音のクオリティと、

      デリバーする創作物のクオリティの間に、

      驚くほどギャップが有り過ぎるのが、

      このテの人たちの典型的な特徴だ。 その際に、   

   このテの「プロの仕事」動画は

   時間の無駄になるだけだから、もう金輪際視ないぞっ!

    と固く心に誓ったのに、

      今回は中学時代からの憧れの曲だったので、

      ついツラれて視てしまった自分がバカでしたorz...

 

汗そのような「実質素人コンテンツ」を動画に上げてしまう点

  ↑自分の演奏キャリアにとって

       ネガティブパブリシティになるという自覚の欠如。

    見る方は、ピンからキリまで見て比較できるご時世だから。

 

↑上記が、「自称プロ = 実質素人」の典型的特徴だ。

  こういうことを、本人が全く自覚していない点が、

   本人にとって最も恐ろしいことだ。

   子どもの頃から褒められ続けて

   音大ピアノ科に入ったんだから「自分は上手いはず」と

  脳に刷り込まれてしまっていて、

  もはやそれを疑うこともないから、 逆に、

  いつまでたっても素人芸の域を出られない

  ということが、わかっていない。

 

子どもの頃~成人するまでの自分の「成功」経験が、

自分の可能性にフタをしてしまう。

子ども時代の「成功」経験は、

大人の社会(実社会)では、ハンデになる。

大人になって、

守ってくれていた親の庇護から外れて

実社会に飛び込んでから、

自分との本当の戦いが始まる。

 

裏を返せば、

音楽業界の第一線で活躍している

一流のケンバニストさんたちに

音大ピアノ科出身者が何故これほどまでに少ないかが、

わかるような気がする。

音大ピアノ科出身で音楽業界で立派に見世を張っている

数少ない一流のピアニストさんたちは、

音楽業界というシビアなビジネス界で、

彼ら特有の辛酸を舐め、

彼ら特有のハンデを何とか克服すべく、

粉骨砕身し続けて生き残っている人たちに違いない。

 

じつのところ、

大学に行くことがハンデになる職業が存在する。

プロスポーツや芸能の世界では、

ヘタに大学に行くと失われてしまうものが、有る。

大学在学中、学生として変に「守られて」しまうからだろう。

かえって、

大学在学中にロクに大学に寄り着かず

変わり者の劣等生だった人のほうが

実社会に出てから成功しているのではなかろうか。

 ↑プロ野球もそのひとつだ。

   たとえ早大野球(経済学部などではなく)に入っても

   大学4年間の間に、

   いち早くプロの世界に入った高卒ドラフト選手との間に

   かなりの差が生まれてしまうのではなかろうか。

もうひとつ:

とりわけプロスポーツや芸能では、

才(センス)と能(実力)が物を言う。

いくら著名な大学に滑り込めたとしても、

いくら箔(ハク)のつく海外校に留学できても、

才(センス)と能(実力)だけは、カネで買うことはできない。

才(センス)と能(実力)を伴わない箔(はく)は、時間とともに剥がれ落ちる。

 

まあどっちみち、箔(はく)だけでは

実力主義の実社会から相手にされずに、退場を余儀なくされる。

学歴の箔(はく)に見合った実力も無いのに

ふらふら実社会に飛び込むと、

実力を伴った大人たちが構成する実社会から

冷笑&嘲笑され、やがては

「お呼びでないよ」 「お出口はあちらですよ」

と排除される。 なぜなら、

箔(はく)だけで実力が伴わない者にのこのこ居座られては、

実社会の主役であり経済的な価値を日々創出して

実社会の繁栄の原動力となっている

真の実力者たちの学歴や地位の価値が

著しく傷つくからだ。

彼らが子どもの頃から人の何倍も努力を続けて

人生を賭けて戦い続けて勝ち取ってきた

高い学歴や著名な地位の信用価値が、

著しく棄損するからだ。

経済で回っている実社会は、それを許さない。

実社会の中で黙々と働いている地味な人たちを舐(な)めないことだ。

 

前述のピアニストさんは、

演奏の質も姿も素人に毛が1本生えたぐらいなので、

じきにプロの音楽業界から消えるだろう。

残念ながら、

この人が持っている才能は、

「生物学的な若さ」だけだ。

才能が「生物学的な若さ」だけの人は、

それを失った後の損失を補てんできる資金源のアテが無ければ、

自分の価値が落ちる前に

すこしでも早く、自分の人生を「売る」ことだ。

 (↑なんて還暦近い私が老婆心から言う前に、

   そうなる人は、誰に言われなくても、

   自然にそうなる。

   自分の人生のサバイバルのために、

   そうならざるを、得ない。)

 

20240520に追記:

上記を呼んで、「経済的な価値イコールカネのことだろう?何かにつけてカネ、カネ、カネと言う者は、下賤な人間だ!」って思った「自称プロ」さんがいたとしたら、私はその人に尋ねたい。「それでは、あなたが、今ここで、これまで、息をして=生きてこられた、そのためにかかったおカネは、いったいどこから湧いてきたのですか?」と。

人間、この世の中で生きるためには、どうしたっておカネが必要です。 そのおカネを、あなたは一体どこから手に入れているんですか? そのおカネの出どころが、あなたの本当の仕事ですよ。 仕事とは、稼ぐものです。 仕事とは、仕事をして稼いだ売上から経費を差し引いた収支が必ず黒字になる必要があります。 でなければ、あなた、自分で自分を食べさせることができずに、お金がどんどんどんどん無くなって、挙句の果てに借金まみれになって、社会の底の底の底のずーっと底まで、堕ち続けてしまいますよ。 では、もう一度尋ねます、あなたの本当の仕事は、一体何ですか?

 

*上述の「ケンバニスト」という言葉によって、私は以下を意味しています:

 ケンバニスト = 複数の種類の鍵盤楽器を自在に操り、作曲・編曲・即興演奏を自在にこなし、時には演奏現場での音楽監督や、レコーディングのエンジニアやプロデューサーまでもこなす、B-to-Bのプロ音楽業界で活躍する本当の意味でのプロの音楽家のこと。 「ピアニスト/キーボーディスト/オルガニスト/作曲家/編曲家/音楽プロデューサー....」って書くのが長ったらしいので、僭越ながらすべてひっくるめて「ケンバニスト」と書いています。

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむ風流への道を歩くピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

「自称プロ」 | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。