おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」の大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

歳をとって音を外しやすくなった原因を探った

 

先日このような記事を書いたが: 老化と絶対音感の喪失(の可能性) - おんがくの彼岸(ひがん)

 

ここ2、3日、ピアノを弾きながら、どういう時に音を外すのかを観察しながらピアノを弾いていた。

そして今の時点で思った、音外しの原因は:

 

絶対音感が失われつつある:

やっぱり、鍵盤と、鍵盤に対応する音のリンクが、頭の中で薄れてきたように感じるよ。 子どもの頃から慣れているキーで、何年も弾き込んだ曲を弾いていても、「あれ~、この鍵盤でよかったっけ?」って一瞬迷って弾いたら見事に全音ズレてる時があるもん。2,3年前までは、一瞬迷うこともなく弾けてたんだけどなぁ。

 

鍵盤と音のリンクの判断や、両手間の連携が、脳内で遅くなってきた:

上記①についてだが、脳内であやふやなままで鍵盤を押すことを止めて、めちゃくちゃゆーーーーーーーーーーっくり脳内で確かめながら弾くと、音外しがほぼなくなるんだよね。 ってことは、鍵盤と音のリンクの判断が、脳内でかなり遅くなったということかな?とちょっと思った。 これに加えて、右手⇔左手間の連携の劣化もあると思う。 左手の動きと、右手の動きと、どっちかにしか注意が向けられなくなってきたように感じる。 だから、左手の動きに注意していると、右手がやらかすんだ。 もちろん、その逆パターンも。 何年か前には無かったような現象だ。 老化のせいだろうけど、お酒のせいもある? 適量だけど毎日呑んじゃうんだよね、嫌いじゃないから...。 

 

ハードル上げ過ぎ

子どもの頃から慣れているキーでの演奏は、ちょっと気をつければ防げる。 大人になってピアノを再開してから慣れようと鋭意努めているキーでの演奏は、かなり気をつけないと、音外しをやらかしてしまう。 とはいえ、私がやっていることは、今の私の音楽レベルに対してハードルが高過ぎる。 ピアノの前で、「この曲を弾こう」と思って、コードを書いた紙も何にも見ないで、慣れないキーのどれかでいきなり即興で弾き出すからだ。 そのうえ、子どもの頃には知る由も無かった、老化が進む脳に覚えたての前世紀のハーモニーを何とか入れ込んだアドリブ演奏に挑むからだ。 そりゃぁ、間違えるよ。 ということは、このまま延々とこのようなことを続けていれば、いつかは慣れないキーや覚えたてのハーモニーにも慣れて、音外しが減るかもしれない、と思って、懲りずに続けていくのだ(ほんとに懲りないヤツなんだよ...)

 

演奏姿勢に注意が行ってしまう:

演奏姿勢を気にしながら弾いているので、よほど決め打ち状態まで覚え込んで自動的に演奏できる曲じゃないと、演奏姿勢に注意が向きすぎているとやらかすよ。 しかも敢えて不慣れなキーで弾いたうえにアドリブ演奏までしようとするからね。 アドリブ演奏も、なるべく決め打ちにならないように、毎回毎回あっちゃこっちゃ果敢に攻めるからね。 果敢に攻めた挙げ句に地雷を踏むんだこれが! ハハハ...。 演奏姿勢を気にするのは、自分が体格に恵まれない女性で、しかも老化が加速しはじめた中高年だから。 私が身長180cmの20代の男性だったら、演奏姿勢なんてこれっぽっちも気にしないで弾くよ(フィジカルと若さで音が出るからね)。 過去5年間の経験から、身体ほぐしを続けながら演奏姿勢を試行錯誤することによって演奏の音が劇的に良くなったという結果を実感しているし、自分の健康寿命のためにも普段の生活から姿勢に気をつけようと思っている。

 

演奏時間の圧倒的な不足:

これが最大の原因だね。 日々の演奏時間が足りてなくて、老化による負の影響をオフセットできていないということだろう。 ところで、私はアコースティックピアノで弾く時は「演奏」をして、「練習」なるものをしない。 音を外したら、外さなくなるように何度も弾き直すが、その行為は、私にとっては「練習」ではなくて、単に曲の段取りを確認して覚えるために何度も「演奏」しているだけである。 私にとっての「練習」とは、電子キーボードで音楽文法を覚えるための行為だが、いつのまにか電子キーボードでも曲の段取りを覚えるために何度も「演奏」していることがある(電子キーボードって本当に偉大な楽器だよ、いつでもどこでも弾けるからね!)。 私は基本的に楽譜を見ながら弾かない、というか、せっかちなのでそんな忠実なことができない。 曲の段取りを覚えるまでは、リードシートや、超一流のケンバニストさんの演奏を自分でトランスクライブした譜面やコード進行のメモを見ながら弾くのだが、まだ覚えきっていない段階で何も見ないで弾き始める。 ほんとうにせっかちな性分なんだよねっていうか、覚えられないんだよね、この人はスゴイ!って心底リスペクトするケンバニストさんの演奏を耳コピした譜面ですら、完璧に覚えられないうちに頭の中で自分なりの音が鳴り始めてしまうんだよね、だったら、苦労して耳コピしたこの譜面は一体何だったのかって思っちゃうんだよ...。 そんな有りさまでも、一日8時間ぐらい何度も弾き続ければ、さすがにコード進行も覚えるし慣れてくるから音外しは無くなるだろう。 そう。つまり、一日中演奏してれば、ね.............................。

 

tokyotoad1.hatenablog.com

 

tokyotoad

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた(←諦めて命拾いした!と、今じぶんの人生をしみじみ振り返って背筋がゾッとしている)「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。