音楽の彼岸のピアノ遊び

大人のピアノ道楽を満喫するピアノ一人遊びの日々

大人のピアノお稽古が続かない理由(その①)

 

子どもでもなかなか続かないピアノのお稽古。 大人は更に輪をかけて、なかなか続かないんじゃないかな~って思う。 私も50歳そこそこでピアノ再開したときに一瞬だけ習ったけどやめちゃった! 理由は:

 

① コスパが悪過ぎ!: 

習い事は沼。」と私は、ピアノとギターを演奏する、かつて「自称プロ=実質素人」で現在は「素人」の音楽家(まあつまり昔も今もずーっと素人音楽家)から聞いたことがあるよ。 そして私自身も、自分の経験からそう思う。 つまり、習い事は貴方のおカネを無限に吸い込み続けるブラックホールのごときものだ。 だから、ピアノに限らず、何かのお稽古事をしようと思ったら、貴方の目の前にいる「先生」の「面倒を見る」ぐらいの、「パトロン稼業」「旦那稼業」をする覚悟で腹をくくって飛び込むべきだと、私は思う。 そして、貴方が今後、贔屓(ひいき)にするその「先生」なり「師匠」なりに、何十万円、何百万円、何千万円、いやたとえ何億円つぎ込んでも、貴方の芸が彼らを超えることは絶対に無いということも、じゅうぶんに心してかかるべきだ。 本物の芸術家に限って、自分の生徒や弟子に自分を超えられたいと思うはずが無いでしょ?ライバルは少ない方がいいに決まってるんだからさ。 ましてや、お遊び感覚のシロートにそうやすやすとプロの芸を教えるわけがない。 だから、「大人の習い事」とは、鷹揚なお大尽の道楽の「旦那業」が、本来の有り方なんだよ。 そして、敵のほうは、誰がおカネを持っていて自分に貢いでくれるかを嗅ぎ分ける鋭い嗅覚と、生き馬の目を抜く芸能界で培った手練手管(てれんてくだ)を持ってこちらに向かってくる。 

芸人の晩年は、ご贔屓(ひいき)筋の旦那に面倒を見てもらう日々だ。 落語の神様と崇められる三遊亭圓朝は晩年、たしか青物横丁の青果業者、つまり土地の有力者のご厄介になったと、私は記憶している。 ジャズの巨星セロニアス・モンクも晩年、家族ともども、ロスチャイルド家のパノニカさんの世話になった。 私も何種類かの芸術芸事のお稽古に通ったことがあるけど、ある芸事の「優等生の生徒さん」たちは、実質的に師匠のパトロンだったよ。 ちなみに、そういう、師匠から優遇されている「生徒さん」たちに限って、芸は?????な傾向があった。 でも、師匠からみれば彼らの芸のレベルなんてどうでもいいんだ。 師匠にとって死活的に重要なのは、「生徒」が自分にいくら貢いでくれるかなんだよ。 だから師匠は、自分のための興行イベントを企画開催してくれて客の入りに関係無く確実に定額のギャラを自分に払ってくれる「生徒」や、自分の興行チケットを一度に何枚も買ってくれる「生徒」を、あからさまにエコ贔屓するのが、グループレッスンでミエミエだった。 でも、それが世の中の常だ。 カネは力(ちから)なんだ! そして「生徒」は「生徒」のほうで、自分たちが旦那(パトロン)稼業をしていることを、ちゃーんとわかってやっている。 だから、「先生を応援したいから」「私は先生のサポーター(=支援者)なの」って、事あるごとに言うんだ。 そのお稽古を、私は3年ほどで辞めたよ。 師匠の経済的なサポーターになる前に、自分をサポートしなきゃいけない身分だからね! 私もね、自分なりに頑張ったんだよね。 チケットは毎回1枚だけど買って必ず興行を見に行ったし。 それでも、グループレッスンの教室では、観てもらって5分。ある時には「1分でお願いします」って言われた。 同じ授業料を払っていても、毎回興行チケットを10枚以上まとめ買いしたり、師匠の興行を企画開催して師匠にまとまったギャラを払う「生徒」さんたちは、15分も20分も見てもらえる。 私がどんなに家で練習していっても、どんなに上手くてもヘタでも、そんなこと全然関係ないの。 私なんかまだマシなほうで、「仕事で都合がつきません」と興行チケットを1度も買わない人なんて、私よりあからさまにヒドい扱いを受けていたよ。 その人は、次の課題に進ませてもらえないの! グループレッスン代は払っているのに! 先生がね、いろいろ難癖つけて、その人に「合格」を上げないの。 だから、その人は何か月も同じ課題をずーっとやってるの。 もう見てるのも気の毒だったんだけどさ、グループ教室のレッスン代だけじゃ、マトモに進ませてもらえないんだよ! ふつうは考えられないようなことなんだけど、実際にこんなことが起こるのが、正真正銘の芸能人によるレッスンなんだと、思い知ったよ。 もちろん、芸能人も、人によると思うし、芸事のジャンルにもよると思うよ。 でも、世の中は基本的にそういうもんなんだ。 おカネをたくさん貢いだ人が優遇されるのは、経済原則からいってしごく当然の、フェアなことだ。 「カタギの大人の趣味道楽なんだろ?上手くなろうなんて思う前にカネ持って来いよ。こちとら一生かけて芸を磨いてるんだ。お遊び感覚のカタギでカネ払いが悪い奴にマトモに芸を教えるはずがないだろ!え?持ってない?味噌汁で顔洗ってカネ稼いでから来やがれ!」ってことなんだよ。 

ところが、私のような庶民は、学校を卒業して世の中に自らを放り込んでセコセコ働くうちに、否応なく費用対効果(コスパ)の感覚が染み付いてしまう。 だって、世の中のビジネス(営利事業)は、コスパ命だから。 当然だよ。 じゃなきゃ会社は利益を生めないし、利益が出なかったら、私たちはお給料をもらえないもんね。 長年の会社生活を通して、コスパ感覚を叩きこまれて、骨の髄までコスパが染み付いている、そんな私のような一般ピープルがお稽古事を始めると、「この曲を演奏できるまで何か月(何年)分の月謝の料金がかかるだろうか?」って、無意識に費用対効果の見積もりを立てずにはいられない。 でも、そんな了見じゃダメなんだよ! お稽古事の世界にビジネスプラン(事業計画)を持ち込んじゃダメなんだよ!!! 私はそれで失敗したんだ。 和声を習おうと作曲家のレッスンを一時期受けたけど、上手く行かなくて数か月でやめちゃった。 どうしてか?って、私が貧乏人根性まみれの悲しい考え方をしていたからだよ! 「和声の本1冊を最速で3か月で終える生徒さんもいるそうなので、3冊でトータル1年かかるとすると、月謝は1万円(/月1回通うとして)合計いくら...」と、コスパを意識しまくって習い始めたから。 その試算を念頭に、私は、「レッスン1回につき30ページ分進むとして...」なんて考えちゃって、もう宿題を自宅でやるやる! だってそうしないと、私が当初見積もった「レッスン15回=15万円以内で和声をモノにする!という構想がぽしゃるから。 無理だよ! 目の前の作曲家の先生が、何年も習って体得したものをさ、ふらっとやってきたトーシロが1年かそこらでマスターできるわけないじゃない! でも、その渦中にいると、コスパコスパコスパコスパ!になっちゃって、そういうわかりきったことがわからなくなっちゃうんだよね...。 作曲家の先生にも途中でほのめかされたんだ:「他の生徒のレッスンでは、レッスン中に生徒は宿題をやって添削してもらう。だから、1回のレッスンでできる問題は4~5問ぐらいなんですよ」ってね。 そういう、長く時間をかけて体得していくものなんだ。 何をやるにしても、それをマスターするには長い年月の努力が必要なんだけど、もう「コスパコスパコスパコスパ!」でそういうことが見えなくなっていた私は、「冗談じゃない!1レッスンで4問か5問だって?それじゃぁ1問やるのに2000円以上もかかるじゃないかっ!そんなカメのようなペースだったら、いったい何十万円かかるかわからない!下手すりゃ100万円以上かかっちゃうよ!」って思って、自宅で何十個も宿題をやってね。 先生は面食らったと思うよ。 そしてレッスン中は、先生の言うことを一言たりとも聞き逃すまいと、教科書に書きこむ書き込む! だって、聞き逃したら私が払う授業料が勿体ないでしょ? ←ってねぇ、「おカネが勿体ない」って考える時点で習い事なんかやっちゃだめでしょ! そしたらあるとき先生がさ、「そういうふうに真面目に教科書に一字一句書きこんでいた人たちは一人も上手く行かなかった」って言いやがった! 私は、「私だけは違うぞ!」と意気込んだけど、結局先生の言ったとおり、脱落したよ!! でも、そうなんだよ。 そういう世界なんだよ! マスターするのに月謝の合計金額が100万円台で済めば御の字の世界だったんだと思うよ。 15万円以内でモノにする!と考えた私のほうが、貧乏根性丸出しでバカ丸出しの愚か者だったんだよーーーーーーーーーっ!!!!!

コスパ感覚。 日々生活する上では死活的に大切だ。 でも、芸事の世界では、コスパを考えたら必ず挫折が待っている。 だって、絶対にコスパどおりに行かないから! 芸事の世界に、コスパの概念は無い。 有るのは、神仏や誰かのためにおカネを喜んで捨てる「喜捨(きしゃ)」の心や、見返りを求めずに寄付する「ご報謝(ほうしゃ)」の心だけだ。 でもさ、私のような庶民は、カネが無駄に出ていくと自分が流血しているような感じがしてってその通りだよ! 私のカネは私が働いて稼いだ私の血だ。 だから、ピアノに限らず、庶民の大人のお稽古は続かない運命にあるんだ。 自分の血が無駄に流れ続けることに、耐えられなくなるんだよ! あーすべて私の育ちの悪さだ! でもね、そんな私が今、慎ましくも自分なりのピアノ道楽を楽しんでいる。 だから、コスパ感覚は超大事だと私は思うよ! 私のような下々(しもじも)ピープルは、せいぜいコスパ感覚を磨くことぐらいしか、生きていく手が無い。 貧乏根性丸出しのコスパ感覚を武器に、社会の中で這いつくばってセコセコセコセコセコセコセコセコ働いて、ちょっとずつでも自分の血であるおカネをチマチマチマチマ貯めて、わき目も振らずに仕事のスキルアップをしてちょっとずつ自分の1時間当たりの労働価値を上げて1円でも多く稼いで、「稼ぎに追いつく貧乏無し」を信条に昼夜なく仕事して、中高年になってようやっと息ができるようになった時に、夢に見ることさえも叶わなかった、自分にとって理想のピアノを買うことができて、細々とでも弾いて楽しむことができるようになるかもしれないからね。(ただし、人によっては、そうなる前に働き過ぎが祟(たた)ってあの世に行ってしまうかもしれないから、まずは健康に生き延びることが大切だと、心の底から思うよ!) 

それからね、わたしが「この人はスゴイ!というかスゴすぎてもはやオカシイ!」と驚嘆する、音楽業界の頂点で稼ぎまくっているミュージシャンの多くが、お稽古事に殆ど無縁か、子どもの頃にレッスンに通っていてもほんの数年かそこらなんだよね。 プロの中のそのまたプロ中の更にそのまたプロしか居ないガチにシビアな音楽商業界では、「2歳からずーっとピアノを習っていてわき目も振らずピアノ漬けで〇〇音大を卒業しました」って人のほうが希少人種なのは、一体全体どういうわけなんだろう?って、いつも不思議に思っています。

 

あーここまで発作的に書いて疲れたので続きは次回になるかどうか... 

⑤⑥

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