ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

大人のピアノお稽古が続かない理由(その⑦・⑧・⑨)

 

大人のお稽古事が長続きしないことには、ピアノのお稽古特有の要因もあるのではないかと思う。

「理由① コスパが悪すぎ!」

「理由②「おカネ」+「時間」+「満足」の総合的な収支バランスがマイナスだから!」、

「理由③ おカネに関する認識の違い:おカネを払った方が見下される世界、領収書の無い世界」 

「理由④ そもそもピアノが目的じゃなかった」

「理由⑤ ピアノの先生に言われたようにしただけ」

「理由⑥ ピアノ教育界よりも上の世界に入っちゃったから」

 

に加えて:

 

⑦ もはや「ピアノ教師」という素人にカネ払って習う意味が無いから: 

ピアノの演奏方法や音楽理論についてのおびただしい動画が世界中のプロからアップされる今日、かつて「ピアノ教師」が独占していた知識は、すでにピアノ愛好家ばかりか地球上の万人が無料で手に入るコンテンツになってしまった。 つまり、ピアノ教育コンテンツの経済価値が無くなってしまった。 もはや素人がタダで簡単に手に入れられるコンテンツは、素人コンテンツだ。   

そればかりか、

ピアノ教師が指導する内容とは異なるコンテンツや、彼らが持っているよりも遥かに専門的なコンテンツまで、ピアノ愛好家たちは無料で手に入れることができるようになった。 

具体的には、

日本の音大で教わらないような内容まで、ピアノ愛好家たちは無料で手に入れられるようになってしまった。 具体的には、私が参考にして自分流にカスタマイズした音階の呼び方だ。 数年前に私は、その方法と書籍について、どこかの国のホルン奏者のホームページで知り、「便利なものだなぁ」と思ってネットで調べ始め、ホルン奏者が推奨するその本をポチった。 当時、その方法に関する日本語のサイトはほとんど無く、どこかの欧州留学帰りのピアノ教師がティーザーのページをアップしていて高額の月謝で教えているようだった。 私はサーチを続けた。その結果、その方法のキモを説明する動画を2つ見つけて、やり方がわかってしまった。 動画主は二人とも、どこかの国の無名のシンガーだった。 だいたい、呼び方をちょっと覚えたら、あとは自分でやり続けて慣れるだけなので、そもそもが月謝を払って習い続けるような内容ではないのだ。 この方法について、実は、日本のある音大の先生方が欧州の音大を視察した際にその方法に関する授業も視察していた、ということも、ネットで知った(その視察レポートのPDFがネット上で自由に見ることができたので、読んで知ったのだ)。つまり、日本の音大の上層部には、入ってきているのだ。 ところが、実は、もっとずっと、ずーっと前に、半世紀も前に、この方法が日本のとある公立小学校で教えられていたということを、私は知ってビックリした! 日本の超一流ギタリストさんの一人が、小学校(公立)の音楽の時間に、その小学校の音楽の先生から教わっていた、というインタビュー記事を見つけてしまった! あーそうか!当時鳴り物入りでデビューして一世を風靡して今なお第一で現役活動中の、あの超絶技巧インストバンドの、キャッチーでありながら高度に洗練された複雑な音楽の大半を作曲するこのギタリストさんの音楽の基礎になったのは、小学校の頃に、しかも、何度も書くけど公立の小学校で、その小学校に勤めていた音楽の先生から音楽の授業中に教わった、この方法なんだ!と、私はものすごく納得したのだ。 本当に音楽の才能がある子どもは、わざわざ高い学費を払って私立の小学校に通わせなくても、2歳3歳の頃からわざわざ高価なグランドピアノを買い与えて高名な先生様のレッスンに高額の謝礼を払って通わせなくても、自分の家の学区内にある公立小学校の音楽の先生から音楽の授業でこの方法を教わって覚えちゃったら、その知識を盤石の礎(いしずえ)にして、中学生にもなれば、中古のギター片手に音楽理論書と首っ引きで、つまり独学で、いろいろ試行錯誤しながら寝食を忘れて音楽に没頭し続ければ、大学卒業ぐらいにはプロの音楽業界が驚嘆するような音楽を引っ提げて鳴り物入りでプロデビューするんだ。 私がそのギタリストさんが率いるバンドの音楽を聴いたのは高校生になるかならないかの頃かなぁ? クラシックピアノのお稽古に10年以上通わせてもらって、ラジオから流れてきた彼らの音楽が全然解明できないの! 凝ったサビのコード進行とかキメのコードとかがもうぜんぜん解らないの! こうしてね、クラシックピアノっ子は、ジャズ・フュージョン恐怖症を発症しちゃうんだよね。 さらには、当時「解った」と思い込んでいた「単純な」と思い込んでいたコードもさ、ぜんぜん解ってなくて聴いていたことが40年後の今頃になってようやく解った!という悲しさ(トホホ...)。 ピアノのレッスンでやったことのない音楽だからさ、当時中学を卒業したかしないかの私がわからなくて当然といえば当然なんだけど、「だったら、それまでの10年以上のピアノのお稽古で一体ぜんたい何を習ってきたんだろう...」と思ったら当時もうショックでさ、いっぺんにやんなっちゃったというか、バカバカしくなっちゃったんだ。 もっとも、当時はほとんどいなかった数少ないピアノ男子の中には、彼らの音楽に衝撃を受けて「もうピアノのお稽古なんかに通ってられるかっ!」ってピアノをギターに持ち替えてギター道をまい進していくか、すでに教授に憧れていた場合は、当時ようやく出始めたポリフォニックシンセに鞍替えして電子ケンバン道をひた走っていったか、「20世紀も後半になってショパンじゃないでしょ、基本ジャズでしょ!」ってアコースティックピアノ内で路線変更してジャズの茨(いばら)の道に孤高に転がり込んでいったんだろうね、って、ギター道も電子ケンバン道も、この音楽のレベルになるとジャズ和声だから、というか、20世紀後半の音楽は歌謡曲からテレビまんが主題歌からテレビの劇伴から何から何まで20世紀和声つまりジャズ和声だから、どの道に行っても茨(いばら)の道だ。 その超一流ギタリストさんが小学生だった時分は、公立小学校に、おそらくは日本の西洋音楽アカデミアの頂点の出身で、自分の持っている専門知識を子どもたちに惜しげなく教えてくれる、非常に優れた、志(こころざし)の高い音楽の先生がいたんだね。 「この知識は子どもにはまだ難しいから!」と子どもに教えないのは、大人の勝手な想像というか、教える側の「出し惜しみ」なんだよね、っていうか、本音はさ、そんなにどんどん放出しちゃったらさ、すぐに自分のリソースが枯渇しちゃうぐらい、自分のリソースが乏しいからなんだよ。図星でしょ? だから、「〇〇教授法の研修を受講しました!」みたいに、教授法にしがみつくピアノ教師が多いんだ。 言っとくけど、「教授法」なんてぶっちゃけどーでもいいんだよ。 それよりもさ、ピアノは口で弾くもんじゃないんだからさ、口述の指導をマシンガンのように発射し続けるその口をちょっとつぐんでさ、生徒がマネすべきお手本になるピアノを黙って演奏して、目の前で実際に見せてあげなよ! そうすれば、生徒のほうは、貴方の名演奏の姿勢や身体全体の動きや感情表現を、自然にマネるようになるからさ。 貴方のコピーになろうとするからさ。 真の先生とは、自分の知識やノウハウをどんどん放出してもリソースが枯渇することがないし、弟子や生徒がどんなにマネしても絶対に追いつくことができない、生涯その道をストイックに極め続ける求道者なんだよ。 そして今も、真に優秀な音楽の先生たちが吹奏楽部の顧問になって生徒たちに(先生の個人的な趣味の)超絶技巧フュージョンを演奏させているみたいだ。多感な10代の音楽の才能を指数関数的に飛躍させる、たいへんに素晴らしいことだ。 一方で、私は、子どもの頃のピアノの先生からも、音大に行った同級生からも、ピアノ会でご一緒したクラシック通からも、誰からも、私がネットでタダで手に入れたこの方法を聞いたことが、ただの一度も無い。 日本を代表するギタリストさんが、半世紀前の小学校時代に、すべての子どもが受けられる義務教育(公立小学校)の音楽の先生から教わったその方法を、半世紀後に私も、ネットを通じて、タダで手に入れられた喜び! 私はネットですべての情報をタダで手に入れて、自分の目的に合うようにカスタマイズして使ってみたら便利だった。 私のような素人の音楽愛好家が音楽の専門ノウハウを無料で手に入れられる、便利な世の中になったものだ!  ちなみに、今の公立小学校の音楽の先生も、昔のようにレベルが高いのかな? 私も公立小学校だったけど、自分が通った学区内の小学校の音楽の先生にもの凄く感化されたことを、思い出したよ。 その音楽の先生が、背が高くてメガネをかけていつも黒っぽい服装をした女性の先生だったことは覚えているんだよね。 そして、その音楽の先生が、授業でみんなが歌う歌をピアノで伴奏するんだけど、それが、今思っても、その先生が自分でアレンジした伴奏に聞こえたんだよ。 その先生のピアノの弾き方がさ、ノリノリで勢いがあって、ウキウキワクワクするような伴奏なんだよね。 自分の音楽を奏でているって感じなんだよ。 歌のメロディーが途切れる箇所に右手でチョロっと入れる「合いの手」が絶妙で、曲の最後を締めるグリッサンドがビュワーってカッコよくてさ! その先生、女性にしては背が高くて、上背があって腕が長くて、メガネかけていて、白いブラウスに黒いカーディガンをはおって膝が隠れる長さの黒いスカートはいて、みたいな、全体的に黒い服装をして音楽室の黒いグランドピアノを弾くでしょ?なんか「音楽だけで勝負」みたいなプロっぽい雰囲気があってさ。 若い女の先生なんだけど、どことなく名川太郎さんに通じるような雰囲気を醸し出していた人だったよ。 家に帰ると私は、その先生の伴奏を聞きよう聞きマネでピアノで弾いて、最後のグリッサンドまで見よう見まねでマネて、無我夢中でマネてたよ。 もう、近所のピアノ教室のツェルニーのドソミソドソミソなんてやってられるか!ってくらい、小学校の音楽の先生のピアノ伴奏が超イケてたんだよね。 

他にもある。 音大ではふつうは到達しない現代音楽のある作曲方法について、どこかの国の人が解説する動画も視た。 その人は最後に、その方法で作曲した自作曲をギターで披露したけど、アコギの音がマッチした、アンビエントっぽいとてもいい感じの曲だったよ。ピアノでわざわざとんがった音で奇をてらうように弾くよりも、アコギでサラッと弾いた方が合う作曲方法なのかもね。 そして、その人の動画を視ながら、ふと思ったんだ:「これってさぁ、音列を作るのをエクセルで乱数生成させて自動で並べ替えさせたら簡単じゃないの?」って。 ところが、広い世界にはさ、ただそう考えるだけじゃなくて、実際にそれをやっちゃって動画にあげてしまう人が、一人は存在するものなんだね。 どこかの別の人が、その作曲方法で使う音列を乱数生成させて自動計算させるエクセルの簡単なフォーマットの、まさにその作り方を紹介する興味深い動画をあげていたよ! これら、ぜんぶタダ! とてもためになる動画だったよ! そしてさ、もしかすると、そうして生成した音列を自動で組み合わせて、音符や休符を自動で当てがって一曲作ってしまうプログラムを作ってしまった人も絶対にいるにちがいない、いや、既にそうして自動で作った自作品を動画にアップした人が絶対にいるに違いない! 世界は広いよ!

ピアノ再開後の私の音楽探求の基礎になっている内容も、数年前に動画から得た。 当時はまだチャンネル登録者数10万人を目指していた、現在は登録者数300万人超ぐらいかな?の音楽プロデューサーさんが、かつて自分が教えていた音大の授業で学生に教えるために、音楽理論の内容を自分用にまとめた虎の巻というかアンチョコともいえる理論書の内容を動画でたくさんアップしていて、私は圧倒されながらも、なんとか理解したくて英語の音楽用語を調べて覚えながら夢中で見続けた。 そして、あまりにもその内容が包括的かつ簡潔明瞭で素晴らしいので、その人がオンライン販売するその理論書をポチったよ。割引クーポンを使ったからいくらだったかな?30ドルぐらいだったよ。 その理論書を中心にかれこれ3年以上地味なことを続けていたら、去年あたりからようやく、音楽文法に則ったアドリブがほんの少しずつだけどできるようになって、今年の夏頃ついに滑走路から離陸してきたよ! 当時はウザい広告も入っていなかった動画が見放題で、包括的かつ簡潔にわかりやすくまとめられた理論書が30ドル。 つまり、ウザイ広告無し(当時)のためになる多数の動画がいつでも見放題+理論書込みで、30ドルぽっきり! 本当に良い時に優れた内容を知ることができてラッキーだったよ!  

動画の普及は、ピアノのお稽古に関する「?」な点をあぶり出す。 私が「?」と思ったのは、プロのピアニストとピアノ教師の演奏の動きが明らかに違う点だ。 そんなことも、おびただしい動画でつまびらかにわかってしまう。「ピアノは習わないと変なクセがつく!」と言う人たちがいるが、「ピアノを習うほうが変なクセがつく」こともあるのではないか?と思わずにはいられない。 私は、大人になってピアノを再開した直後に子どもの頃の先生に一瞬習ったが、その時に指導されたペダリングの変なクセがいまだに抜けずに困っている。 ペダルを踏みかえるタイミングを指導された時、私は心の中で「そこでペダルを踏みかえるのは絶対にオカシイでしょ!」と叫んだが、口には出さなかった。だって、おカネ払ってるのは私だから、別に言わなくてもいいでしょ。 でも、しばらく習っていたから、そのペダリングのクセがついちゃった...。 そして、つい先日、どこかの国のピアニストが、私が重要視する要素と寸分たがわぬことを言っている動画を見つけてしまったよ! 「そうだ!その通りだ!」って、思わず私は叫んだよ! そして、私が問題視したそのペダリングの問題は、実は、現在手に入るどのピアノでも、どんなに最高級の輸入グランドピアノであっても、MIDI接続した現行の電子ケンバン楽器でも、理想的なペダリングをすることができない、ということも、そのピアニストさんや他のキーボーディストさんの動画を視て知ったよ。 いや、アメリカで作られているアップライトピアノの中には、可能なものがあるだろうね。 アメリカ製のアップライトピアノが欲しいよ、あるいは、電子ケンバンだったら、ペダル用かケンバン用のプログラムをちょっと調整すれば可能になるんじゃないかな? そういうところが電子ケンバン楽器ならではの真骨頂なんだから、楽器メーカーさんに実現してもらいたいよ! いずれにせよ、私のピアノの先生のペダリングの考え方は、西洋音楽の見地から見たら、絶対にやってはいけないことだ。だって西洋音楽の最も大切な要素を殺してしまう方法だもん。ということも、素人がわかるようになったのが、ネット社会の恩恵だ。   

一般の素人にも情報が手に入るようになると、「ピアノ教師」に関する庶民の幻想も崩れていく。 そして、社会で仕事をしていれば、ほとんどの個人ピアノ教室が零細の破たん事業であることがわかってしまう。 サラリーマンの生涯年収は億を超えるが、音大ピアノ科を卒業するまでに親が投資した、ピアノ関連の教育費だけで3000万円ともいわれる莫大な投下資本に対して、個人のピアノ教室の事業規模はあまりにも零細で、売上もあまりにも少なく、巨額の投資を回収できる見込みすら難しい。 バブル崩壊後、こういうケースは一般社会で「ゾンビ企業」と揶揄されて「一刻も早く事業をたたんで店じまいしろ!」と嘲笑されたもんだ。 

これらから推察できるのは、ちまたの「ピアノ教師」はピアノ産業の「最終消費者」つまり「お客様」であるということだ。 「夢は買うもの。仕事は稼ぐもの。」というのが、私の人生訓の一つだが、ほとんどのピアノ教師は、彼らのが買った夢の成れの果てだ。 人前でお金をもらえるレベルの演奏が出来ない素人芸だから、子ども相手にドレミの読み方程度を教えて安い月謝を頂いて、親に投下してもらった莫大な投資額のいくばくかでも回収できればと、薄紙を重ねるように半永久的に補てんを続ける街角の零細ピアノ教師稼業に甘んじているといえる。 にもかかわらず、「この高級輸入グランドピアノを買えたのは、親の支援があったからこそです」って得意げに言う、その意味わかる? 「私は親のゴクツブシの'おこも'稼業です」って言ってるのと同じなんだよ。 

男女雇用機会均等法が施行される(1986年だったかな)、それ以前は、女性が就けるマトモな仕事は限られていた。 良家のご令嬢は、女ばかりの環境で大切に育てられて、そもそも嫁入り前に社会に出て「お勤め」なんかしなかったしね。社会に出したらどんな悪い虫がつくかわからないでしょ?  女性の仕事が限られていた時代、高学歴のお嬢様たちが就いた花形の仕事はスチュワーデス(CA)やアナウンサーだったが、今の若い人たちは、CAや女子アナがお嬢様のお仕事とは想像すらできないはずだ。 数年以上前に、テレビでとある人気作家兼政治家がCAのことを「空中飯盛女(めしもりおんな)」と呼んだのを見かけたが、戦後に日本の航空会社が就航した際の女性の憧れの職業だったスチュワーデスの地位が、地べたの泥水の中に堕ちてしまったことがわかる発言だ。 ピアノ教師もそうだろう。 かつては、裕福な家庭のお嬢様が結婚するまで自宅で近所の子どもたちに教える、つまり大人の男性が不在の女子どもの世界で生きる箱入り娘というイメージがあったピアノ教師も、音大の乱立によって、その価値が大幅に希薄化してしまった。 中には、ピアノメーカーや楽器店が販売する「音大受験支援サービス」を買ってもらって、希望の音大ではないけれど、どこかの音大のどこかの学科に滑り込ませてもらった、演奏家としての実力が伴わないのに学歴の肩書を(親に)買ってもらった人たちも混ざっているだろう。 主にピアノメーカーや楽器店が販売するこのサービスの真の目的が「ピアノを売ること」であるのは、明らかだ。 「お嬢さん/お坊ちゃんが志望される音大の入試には、〇〇社製のピアノが使われます。だから、〇〇社製のピアノを買われることをお勧めします」みたいなことを言えば、確実に1台売れるだろう。 そして、そのお嬢さん/お坊ちゃんが、よほどの音楽オンチでもない限りは、日本中に乱立して定員割れ著しい音大の、ピアノ演奏科じゃなくても教育学科とか新手(あらて)の音楽なんとか科とかいう一体何を学ぶのかわからないような学科にでも、その客の子どもを「受験支援サービス」してねじ込めば、晴れて音大合格&入学の暁には「音大受験で弾き潰したでしょうから」と新品のピアノを売り込めるし、卒業の暁には「音大在学中に弾き潰したでしょうから」ともう一台の新品ピアノを売れるわけだ。もちろん売るのはすべて、アコースティックグランドピアノに決まっている。「音大入試支援サービス」を通して1人の客(=ピアニストを夢見る子どもの夢を見る親)にグランドを3台、つまり1,000万円相当以上を売れば、ピアノメーカーや販売業者としては、その客については「ダン(Done!)」だろう。 その客の子どもがプロのピアニストになろうがなるまいが、ピアノ教室を開いて稼げるようになろうがなるまいが、そんなことはピアノ販売側にとっては関係ない。 グランド3台、トータルで1,000万円を売上げて「ダン(Done!)」。つまり一丁上がり!だ。 音大にしても、4年間で1,000万円の学費を払ってくれれば、その学生が卒業後プロになるがなるまいが関係なく、1,000万円払い込んでもらえればその客(学生の親)については「ダン(Done!)」。つまり一丁上がり!だ。  そのような、ピアノ製造販売業界と音大ビジネスに合計2,000万円「ダン(Done!)」された輩(やから)に、ノコノコとカネ払ってピアノを習おうと思う輩(やから)は、カモのカモだ、ぐらいのことは、こんな愚鈍な私でも想像がつく。 いや、カモではない。夢見る人。ドリーマー。夢追い人だ。 楽器業者や教育機関によるこういう商売が商売として成り立っているのは、夢見る子どもの夢を見るドリーマー(親)たちの需要が存在するからだ。 ビジネスは単に、「夢を買いたい!」という夢追い人たちの需要を満足させるべくサービスを提供しているだけだ。 ただ、それほどまでに高額の夢を買いたいかどうかは、夢見る人それぞれだ。だから、「最低でもアコースティックアップライトピアノを買ってもらわないと教えられないわ!」と叫ぶピアノ教師の背後に楽器販売店が居るかどうかについても、注意深く精査したい人もいるかもしれない。世の楽器販売店には、ピアノ教師に対して生徒にピアノを売ったら何らかのリベートをキックバックするところもあるからだ(ということも、ネットを見てればわかる。だってそう書いてある楽器店のサイトがあるもん)。 「コンクールに出ましょう!」という掛け声の背後には巨大なピアノ教育利権によるコンクール商法が在るかもしれない。コンクールの種類を増やせば増やすほど、参加料の売上が倍々ゲームで増えるし、「審査員」として報酬を得るピアノ教師の収入源もそれだけ増えるから、掛け声の真の意図は、将来「審査員」の地位を得るためにコンクールビジネスの収益に貢献する実績づくりなのかもしれない。 もはや生徒をあまりとっていないのにあまり困っていなさそうなベテランピアノ教師は、全国各地で開催されるコンクールの審査員の仕事から十分な報酬を得ているのかもしれない。 現役の演奏家としての成功経験がほとんど無い、実質的には主婦(夫)や家事手伝いの身分の「ピアノ教師」たちが、人の演奏を審査批評するだけでお金を稼げる商法に、お金を払って参加して一喜一憂することについて、愚鈍な私はどうしても理解できない。 

数が増えればそれだけ価値が下がって「コモディティ化」するのが、世の常だ。 あまたの音大から毎年送り出される卒業生のほとんどが成るピアノ教師の地位も、地に堕ちてしまった。 権威を保っているほんの一握りのベテランのピアノ教師は「音大の入り口の門番」の地位を獲得した人たちだろう。 今日、良家の高学歴のお嬢様たちは、自らが(旦那様がじゃないよ!)、大企業や著名法人の総合職や弁護士や医者になっていて、我が子のお稽古用に、出入りのピアノ教師を「付けている」。 今は、社会のあらゆる場所で、女性たちは会社や組織の中でフルタイムで働き全うな給料を得て、自ら租税公課を納めている。 彼女たちから見れば、自分たちの年収の10分の1も稼ぐか稼がないかの、親から受けた莫大な投資の回収の見込みが極めて薄く、企業社会であれば早々に店じまいして損失処理したほうが傷が浅い、血(カネ)が無駄に流れるばかりの零細業を平然と続ける、事実上は誰かの扶養を受ける被扶養者の身分であるピアノ教師が、尊敬できる存在であるはずが無い。 だって、家庭内職の封筒作りと何ら変わんないんだからさ。いや、封筒作りのほうが格段に上だよ、だって、内職の封筒作りは、初期投資ゼロで即日、自分の家にあるテーブルの上で始められてさ、わずかながらだってお金が稼げてすぐに事業の収支がプラスになるもん。 かたや、個人のピアノ教室なんて、グランドピアノ+防音レッスン室+個人ピアノ教師育成コストという巨額の初期投資が、月謝収入をブラックホールのように吸い込み続けて、いったい何年かかったら事業の収支がプラスに転じるのか気が遠くなっちゃうでしょ? 収支がマイナスであり続ける活動を、素人の趣味道楽という。だから、素人のピアノ道楽と何ら変わらないもん。 カネが出ていくばっかりでいつまでたっても利益が出ないものは、仕事ではなくて、趣味道楽。風流の道だ。 ピアノ教師業は素人の趣味道楽の「素人」って、ピアノ教師ののほうだよ。「我が子をピアニストに!それが無理ならせめてピアノ教師をさせながらいつかはピアニストに!」という親の趣味道楽だ。 じゃあピアノ教師本人は?「お父さんお母さん、ピアノが上手くなるには〇〇社製の高級グランドピアノが必要なの!お願い!」「ピアノ教室を開くには防音のレッスン室が必要なの!お願い!」ってそれじゃぁタカリだよ。 タカリつまりは厄介者だ。 自分のスキルではカネを生み出せなくて、他者にカネをせびることを、タカリという。「今戸の狐」という古典落語の中で名人の師匠に言いがかりをつけてカネをタカろうとする人物と同じ稼業だ。 それとは対照的に、同じ「今戸の狐」の噺の中で、キツネの置物の色塗りの内職を長屋でせっせと続ける、もとは「コツ(骨)」で「勤め」をしていたご新造さんは、今はもう正真正銘の立派なカタギだ。 つまり、現代では、家の食卓つかって黙々と封筒作りの内職してるほうが遥かにカタギだ。 そんな、内職の封筒作りより劣る稼業の者に「電子ピアノでは教えられないわ!」って上から目線で言われても、こっちは苦笑するしかないよ。 「JASRACへの使用料の支払いを個人のピアノ教室は免れた、あ~よかった~」じゃないよ。世間から全うなビジネスと見られてないからお目こぼしされたんでしょ? だって、ほとんどの個人ピアノ教室は、「ピアノ教師」という名の、世帯主から扶養を受ける身分の者の家庭内職だからさ。って言われて反論できないでしょ?でなきゃ、世帯主から扶養を受けながらレッスン謝礼の現ナマを領収書も発行せずに自分のポケットにねじ込むような「あいまい稼業」をやめて、ちゃんと経済的に独立して、そうしたとたんに自分の両肩にのしかかってくる高額の租税公課を毎年納めたらいいんだよ。でもそれをしない。どうしてかって、カタギの大企業のサラリーマンの旦那さんの扶養家族でいる方が、租税公課は払わなくていいし第三号被保険者の身分で年金も多くもらえるし得だからでしょ(今までの時代は)。

素人教育の世界でヘタに長期間習うと、本物のプロの芸とは違う芸風になってしまう傾向は、ピアノやプロ野球や落語の世界で見られる。 「そんなことはない!」と言う向きもあるかもしれないが、ピアノ教育界の重鎮による「模範演奏」のような弾き方をする一流ピアニストが一人も居ないことは、おびただしい動画を視ていればすぐにわかる。 「音大に入ったら今まで習った演奏動作を否定されて、イチからやり直させられた」という内容をどこかのプロ(自称かな?たぶんそうだな)のサイトで読んだけど、だったら、高校時代までの長い期間に親にさんざん散財させて習ったことは、一体ぜんたい何だったの?って人から思われちゃうよ。  落語でも、大学の落研出身でプロの落語の世界に入門する際に師匠から「落研出身者は変なクセがついてしまっているので、ゼロからではない、マイナスからのスタートになる」と言われた、今は超売れっ子の一流落語家がいる。 アマチュア野球の指導者たちの教え方に疑問を呈する、今は少年野球チームを教えるプロ野球のOBが、「そういうやり方をしてたから、プロになれなかったんでしょ?」と言う。 ピアノ教育の世界では、子どもの頃にピアノ教師に「作曲を教えてもらった」「アナリーゼを教えてもらった」「コンクールに入賞した」「検定の〇級を取ったからピアノ教師にだってなれる」と大変な思い違いをした子どもたちが、後になって激しく伸び悩むのではないだろうか。 これらはすべて、ママさん先生に看守られる「公園の砂場の中」での達成なんだけど、当の子どもたちは「自分はピアノができる!作曲ができる!」って思い込んだまま、大学生になっていきなりジャズ研の門戸を叩いて面食らってからは大人の音楽の世界の現実を見ようともせずに、内向き思考の痛いピアノアマチュアになっていくのだろう。あ、そうか、私のことだ! ああ私も小学生の頃に、近所のママさんピアノ教師からの「砂場の中のおままごと作曲もどき」じゃなくて、正真正銘の本物の作曲家の先生から、音楽文法に基づいた本物の作曲を習いたかったなぁ...。中三の時に音大の作曲科に行きたい希望を言ったら「女に作曲科は無理!」ってその先生にビシャッ!て言われて心が閉じちゃったんだよね。でもそう言われて良かったよ。だいたい中三から作曲の勉強じゃ受験には間に合わないだろうし、親にはそんなおカネは無かったからね。私の場合は音楽の道に行かなかったから今になって純粋の音楽を楽しめる境遇にいられて、この人生でよかったんだよ。ていうか、中学の頃から自分でキーボードマガジンなりジャズ雑誌なりを買って研究して、自分でポツリポツリやればよかったんだよね。「自分は3歳からクラシックピアノを10年以上も習っていたんだから音楽ができないはずがない!」って砂場の中で思い込んでばかりで砂場の外に目を向けようともしなかったあの頃の痛すぎる自分に、そう言ってあげたい。 

畑違いの音楽ジャンルのピアノ教師に軽はずみに習ってしまうと、最初の出だしで致命的なハンデを負ってしまう可能性がある。 クラシックは天動説、ジャズは地動説だ。 ジャズのピアノ楽譜をちょっとなぞっただけで「ジャズピアノも教えますよ」と謳うクラシックピアノ教師(天動説)は、地動説が存在することすら知らないで教えようとしている。 そして、誰かによっていったん天動説を刷り込まれてしまうと、後になって、膨大な脳エネルギーを費やして文字通りコペルニクス的な思想&感覚の大転換をしなければならなくなる。 また、同じクラシック畑の中でも、なんとか奏法、かんとか奏法と、言葉の指導ばかり。 音楽を演奏するのに言葉はいっさい必要無い。 音楽を演奏して人を感動させることができるか、できないか、それだけだ。 一流のプロのピアニストは、人前で講釈たれずに、ただ演奏するだけだ。 目の前のピアノ教師は、一流のプロのピアニストのように演奏できるか、できないか。

 

⑧ もう歳(とし)だから: 

ピアノがどんどん下手になっていく」。 数年前に参加していたピアノ会で、60代の愛好家さんから聞いた言葉だ。 わたしも、それがわかるようになってきた。 昨日よりも今日、今日よりも明日のほうが、弾けなくなっている。 とくに、クラシックピアノは、楽譜どおりにミスなく弾かなければ意味が無いから、加齢には残酷だ。 クラシックのピアニストは、野球やサッカーのプロ選手のようだ。40歳前後で引退してあとは指導者の道にはいるのではないか。 

 

⑨ 世の中が見えたから: 

「この世は、すべて夢幻(ゆめまぼろし)だ。だから、さあ狂え!つまり、生きているうちは夢うつつで生きよう」と言ったのは、一休禅師だったろうか(←後記: じゃなくて『閑吟集』でした)。 「この世は劇場の舞台で繰り広げられるお芝居で、人は、舞台役者に過ぎない」と言ったのはシェイクスピアだったか。 歳をとればとるほど、「世の中は無駄なものばかりで回っている」という思いが強くなる。 「若い頃、どうしてワンレンボディコン(女)や、クラッチバックを抱えてイタカジの格好(男)をしてディスコのお立ち台で踊り狂っていたのか?」 今となっては遠い昔の夢のようである。 還暦が近づくにつれて、目に入るものすべてが冗談に見えてくる。 グルコサミン&コンドロイチンやコツコツサプリやイワシ煎餅をほおばる自分のその姿がまさに冗談ではないか! もうどこかのわけのわからない誰かにピアノを習いにいくよりも、超一流のプロの本物の演奏を聴きに行ったり音源を買って聴いたりしながら、家で「自分の友達」であるピアノをぽつりぽつりと弾いて楽しんでいるだけで幸せ。 いやもはや生きているだけで、歩けているだけで、息しているだけで幸せ。 意味不明なものにおカネを使うのがバカバカしくなった今、究極の道楽は、おカネを使わずに暇をつぶすこと。 あれ?ピアノ買うのも無駄かな?  それじゃ俳句でもひねろうか。 さすが日本の文化だ。 日本人はわかっている。

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