ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

クラシックピアノは天動説、ジャズピアノは地動説 (その⑤)

 

以下の記事:

クラシックピアノは天動説、ジャズピアノは地動説。 - ピアノ方丈記

クラシックピアノは天動説、ジャズピアノは地動説 (その②) - ピアノ方丈記

クラシックピアノは天動説、ジャズピアノは地動説 (その②の続き) - ピアノ方丈記

クラシックピアノは天動説、ジャズピアノは地動説 (その③) - ピアノ方丈記

クラシックピアノは天動説、ジャズピアノは地動説 (その④) - ピアノ方丈記

クラシックピアノは天動説、ジャズピアノは地動説 (その④のつづき) - ピアノ方丈記

の続き。

 

これまでの一連の記事で、

ピアノに限らず「クラシック音楽は天動説」「ジャズなど20世紀以降の音楽は地動説」と私が思う理由は:

 

①「クラシックは固定ド(=絶対音感)の宇宙」vs「ジャズなど20世紀以降の音楽は移動ド(=相対音感)の宇宙

②「クラシックは I→IV→V→I の宇宙」vs「ジャズなど20世紀以降の音楽は II→V の宇宙だから。

③「クラシックピアノは、楽譜絶対主義vs「ジャズは、即興演奏絶対主義だから。 

④「クラシックは、ド-レ-ミ-ファ-ソ-ラ-シ-ド(1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8) の宇宙」vs「ジャズなど20世紀以降の音楽は、1, b9, 2, #9, 3, 4, #11, 5, b13, 6, b7, 7, 8 の宇宙だから。

について書いてきました。 

 

 

今回は、⑤: 

⑤「クラシックピアノは、アコースティックグランドピアノ絶対中心主義なのであーる!vs「ジャズピアノは、ピアノの種類よりもさぁ、即興で何か弾けないと、なんにも始まらないんですけど...。

 

です。 

これは、そう思うでしょ? 

クラシックピアノ教師は、例外なく、自宅にアコースティックグランドピアノを持っているはずです。

だから、クラシックピアノを本気でマスターしたければ、アコースティックグランドピアノ(と、それを置けて気兼ねなく弾ける部屋)を持っていない場合は、必ずどこかで行き詰まるはずです。

だって、クラシックピアノの先生が例外なくアコースティックグランドピアノを持っているということは、彼らは本気でクラシックピアノを習ったはずで、その結果として、ピアノの先生になっているはずだからです。 

本気でクラシックピアノを習ってピアノの先生になっているはずの人たちが、ほぼ例外なくアコースティックグランドピアノを持っているということは、本気でクラシックピアノをやりたければアコースティックグランドピアノ(と、それを置けて何不自由なく弾ける防音室)を買(ってもら)わなければ、必ずどこかで行き詰まるはずでしょ? 

現行のピアノ教育制度では、ね。

アコースティックのアップライトピアノでは、アップライトピアノの構造上、ショパンやリストあたりになると、高速連打などがしにくくなる、とどこかで読んだことがあります。また、たまにしか使わないけど、ソステヌートペダルを使うように指導される曲が出てくるからだと思います。

(もうひとつの「裏理由」は、アコースティックグランドピアノは、ピアノの中で最も販売価格が高い(つまり、楽器会社の企業業績の売上高(トップライン)への貢献度が最も高い)楽器だからなんじゃないかと思います。 そして、楽器会社にとって利益率も高いんじゃないかな~?なんて想像しちゃいます。 そんな楽器を、一生のうちに何台も買い替えてもらってきた「ピアノ教師」という存在は、楽器会社にとって最も価値の高いお客さんなんだろうな~、なんて想像しちゃいます。)

 

そもそも、「クラシックピアノとは、その格好でバスや電車に乗ると浮いてしまうような格好をして、舞台の袖から登場して、お客さんに深々とお辞儀をして、舞台に置かれたアコースティックグランドピアノでクラシックピアノの名曲を一音たりとも間違えずに、しかも、感極まった表情で腕ばかりか身体まで揺らしながらオーバーな動作で弾く」という、曲芸の見世物芸人になることを習うわけです。 だから、「マナー」なんていうものまで教わるのです。 「マナー」とは、客席の貴人たちの見世物になる芸人のマナーのことです。 客席の貴人たちは、人前で芸を披露しておカネを投げていただくことなんてしません。

「なんだと!クラシックピアノは見世物芸ではない!」と激怒するクラシックピアノ人さんもいるかもしれませんが、だったら、どうして女性のクラシックピアニストは、女王様でも王女様でもない、単なる芸人なのに、いや単なる芸人だからこそ、あんな格好してピアノを弾くんでしょうかね? ね、見世物芸じゃありませんか?

 

一方、ジャズピアノは基本的に、ステージ上で演奏する「聞かせ物芸」で、クラシックピアノとは、かなり様子が違ってきます。

「クラシックピアノ」といえば、たった一人で演奏するソロ演奏ですが、ジャズピアノの場合はたいてい、トリオやカルテッドといったチームによる即興演奏のやりとりが基本です。

ほら、クラシックピアノは「たったひとりで演奏するソロピアノ演奏」つまり、ピアノ中心主義、つまり、ピアノを中心に世界が回っている天動説です。

これに対して、ジャズピアノは、「通常、コンボ(バンド)形態で演奏する」ので、ベースやドラムなどの他の楽器演奏者との音楽のやりとりや連携を常に求められる。 つまり、各プレーヤーたちがまるで惑星のように動き合って音楽を作る。 たとえば、仮にピアノが地球だとしても、音楽の世界観を決定するドラムス(土星)やベース(木星)や、メロディを決定するサックス(金星)などの華やかなフロント楽器と連携し合い影響し合い協力し合いながら動く。 ね、ジャズピアノは、地動説でしょ? 

 

もう一つの意味合いは、

クラシックピアノでは、宇宙の中心はピアノという楽器であり、演奏者のほうからピアノに出向いて「練習させていただく」感がある。 「ピアノが中心!弾く人は弾きたければピアノの元に来い!」です。 

だから、クラシックピアノ人にとっての「練習」とは、ピアノに出向いて、ピアノを弾いて練習することに、他ならないでしょ?

 

これに対して、ジャズピアノ人にとっての「練習」は、だいぶ様子が違ってくると、私は思います。 

まず、ジャズピアノ人にとって、ピアノ、とくにアコースティックピアノは、無くてもさしたる問題にはならない、という面があります。 

いやむしろ、最初のうちは、アコースティックピアノ(アコピ)で練習しないほうがいいかも?とも思います。 

ジャズピアノのベテランのアマチュア先達の方がブログに書いておられましたが、ジャズピアノの練習をアコピでやると、最初のうちは、けっこうつらいかもしれない、と、私も思います。 

なんせ、アコピは、音が大きいから、反復横跳びのような単純練習で間違いまくっているあいだは、「あ、間違えた」「また間違えた!」「また間違えた!」のショックが大きいかもしれないからです。 

ジャズピアノは、自分でリアルタイムに即興演奏していく音楽ですから、最初の段階における「音楽ボキャブラリーの仕込み作業」に、相当の年月を費やす必要があるからです。 

その「仕込み作業」というのは、けっこう音楽以前の内容だったりして、それを、わざわざ、アコースティックピアノでやる必要があるのか?ということです。 

だって、音楽になる以前のものをアコピでやってもさ、音楽以前のものが鳴り響くわけで、近所迷惑にもなるし、調律代だってかかるわけでしょ? 

だから、この、かなりの年月を費やす必要のある「仕込み段階」では、アコピである必要はあまりない、というか、むしろ、音量を小さくできる電子ピアノや、究極的には、どこにでも持ち運びできて、自分の部屋でも、ベッドの上でも、どこでも始終弾いていられる電子キーボードのほうが、よほど長時間練習できる優位性があると、私は思います。

そして、音楽のノウハウが脳内に溜まってくると、別にケンバンが無くても、練習ができるようになってきたりします。 たとえば、布団に入って寝る前に、目をつぶって、思い出して記憶を強化することができるようになったりします。 私がオンライン講座をいくつか買ったベテランのジャズピアニストさんは、「ライブハウスに出勤する電車の吊り広告に書いてある数字を見ながら頭の中でシミュレーションする」みたいなことを話しておられました。

「そんな架空の練習では、指が動くようにならないだろう!」

とクラシックピアノ人さんは嘲笑するかもしれませんが、 

そもそも、そんなに指が回るようにして、いったい全体、自分の何を、表現したいのですか? 

百年以上前のどこかの誰かの自己表現を楽譜に落とし込んだものを表面的にコピー演奏して、先生に言われたとおりに弾けるように、先生に「合格!」をもらうために、悲愴な表情でピアノと格闘して、いったい全体、自分の何を、表現したいのですか? 

もちろん過去の名作品を弾くこと自体は、楽しいことだと思いますよ。 

でも、クラシックピアノ人さんの多くが、楽しんでピアノを弾けているんでしょうかね? 

どちらかというと、レッスンで先生の言葉の鞭(むち)におびえながら、先生からマル(合格)を頂くためだけに、ハァハァしながら何かに追い立てられるように練習する、サーカスの玉乗りの子熊みたいになっている人が多いんじゃないでしょうかね?  

 

 

それから、ジャズピアノ人さんたちの中には、一般大学や専門学校に入るための受験勉強のようなことをし始める人がいるんじゃないでしょうか? 

つまり、理論書や参考書で読んだことを自分の脳内で整理して、自分なりのチャートや図表を作り始める人がいるんじゃないでしょうか。 

これを、国内外の複数のジャズピアノ愛好家さんたちがやっていることに、私は気がつきました。 

みなさん、ジャズを独学するうちに、ある一定水準の知見の規模が蓄積されてくると、A4~A3ぐらいの紙1枚に、コードやスケールの表をまとめてみたり、なかには、「ジャズをマスターするためにやる必要があったこと」を簡潔に図表化したり、と、それぞれ自分なりの知見を紙面にアウトプットしはじめるんだなぁ、と思いました。

私は、ジャズというよりも、自分の心のままに即興演奏するのが夢なので、20世紀のハーモニーをマスターしたくてジャズ文法を参考にしているのですが、そんな私ですら、自分の頭に蓄積した内容をまとめて、自分なりの簡単な表を作りましたよ。 

 

とても簡単な表なのですが、表にまとめるに足りる知識と理解が積みあがるまで、3年ぐらいかかったかな?と思います。 そして、それから2年ぐらい経ちますけど、齢(とし)も齢だし、その表の内容を、まだ完璧には覚えられていません\(^o^)/し、完璧に覚えられたとしても、それをベースに自由かつ縦横無尽にアドリブ演奏できるようになるのは、その次の段階になります\\(^o^)//。今回の人生でどこまでできるようになるかな~(^~^)...。

 

この記事シリーズもそうです。 こうやって気ままにタラタラと書いていますけど、たとえば、この記事シリーズを気ままにタラタラ書けるようになるまで、5年以上はかかっています。 

読むと何てことない内容かもしれませんが、本を読んだり、動画を視たり、ネットを読んだりしながら、覚えようとして全然覚えられなくて、それでも覚えようとして、間違いながら試行錯誤してきて、その結果として少しずつ脳内に蓄積して少しずつ弾けるようになってきて、そうすることで蓄積してきたものを整理して自分の言葉でアウトプットできるまでに、何年もかかっています。 

涼しい顔をして楽しそうに即興演奏している人たちの舞台裏には、私なんかのレベルよりもはるかに巨大な、何年もの、何十年もの、思い出すのもおぞましい年月の蓄積があるに違いないのです。

 

だから、私は知っているのです。 このブログを読んだ無知なピアノ教師が、このブログの記事の字面(じづら)だけをコピーしてオウムが復唱するように生徒に教えようったって、おいそれとできるはずないってことをね。 たちまちボロが出ますよ。

 

音楽に限らず、何でも、そういうもんですけどね。 

 

 

続きはまた...

 

元の記事:

tokyotoad1.hatenablog.com