ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

ツェルニーとブルース(その2)

 

以下は、20210801にアメブロに書いた記事:

 

クラシックピアノにおけるツェルニーは、ジャズピアノにおけるブルースである!と直観した。 

 

と、先日書いたが、

 この記事:ツェルニーとブルース - おんがくの彼岸(ひがん)

 

クラシックピアノ経験者がジャズピアノをかじってなかなかうまくいかない数多くの原因のひとつに、ブルースに近づこうとしない、ということがあるのではなかろうか?

 

「ブルースとは、洗練されたジャズ音楽ができる前の、黒人奴隷の泥臭い音楽」というイメージを持って嫌ってはいまいか?

 

だが、あるジャンルの音楽の原点が泥臭いのは、当然のことだ。 その音楽を生んだ民族の念が渦巻く、原点なんだから。

 

クラシックピアノの演歌は何だろう? と思ったとたんにツェルニーだ!と直観したのである。 

ここで言う「演歌」とは、長い歴史のなかでその民族の文化に深く刻まれた、その民族に特有の節回しやリズム感を有する、シグナチャーな音楽のことである。 

であれば、クラシックピアノの演歌はツェルニーでしょ!

 

と先日書いたが、ツェルニーなんてクラシック音楽を生んだ民族の念が渦巻きまくっているではないか! 

あまりにも渦巻きまくっているから、その呪いが脳にグッサリ刺さっちゃっていて、クラシック訛りが絶望的に抜けないではないかっ!

 

クラシックピアノではツェルニーをせっせと練習したくせに、ジャズをかじってみたくなるとブルースに見向きもしないでいきなりビル・エヴァンズやチック・コリアに飛びつくクラシックピアノ経験者が多い気がする。

 

おおむね、クラシックピアノ経験者は、白人ジャズピアニストに飛びつきがちな傾向がある。 

さもなければ、「演奏技術」でオスカー・ピーターソンである。 

その一方で、セロニアス・モンクを聴いて顔をしかめ、モンクの「演奏技術」を嘲笑うのだ。

 

セロニアス・モンクが、スタンダードナンバーを誰よりも多く作曲した、ジャズの大作曲家であるにもかかわらず、である。 

若いころのセロニアス・モンクが超速演奏超絶技巧ピアニストだったにもかかわらず、である。

 

このあたりに渦巻く先入観も、クラシックピアノ経験者がジャズピアノでつまづくあまたの原因のひとつである、と感じる。

 

モンク大師は、超絶技巧だけの演奏は凡庸でつまらないと思って、あのようなインパクトのあるハーモニーを駆使した唯一無二の演奏を確立したのだと、私は思う。

 

クラシック音楽で、セロニアス・モンクに相当する存在は、ベートーベンであると、私は確信している。

その後の訂正記事!「ツェルニーはブルースではない!」 

tokyotoad1.hatenablog.com

 

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト 

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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