以下は、20210813にアメブロに書いた記事:
クラシック音楽とジャズは、どちらも既に死んでいる音楽という共通点がある。
死んでしまった/死んでいる音楽の見分け方:
① その作曲理論が、理論家らによって既に研究され、体系的に解明されていて、音大などのマス(大衆)向け教育機関で、授業料を払えば教えてもらえる。 つまり、今この瞬間に音楽の最先端を走っている音楽ジャンルでは、ない。
② 演奏してもカネにならない。 理由は、音楽の最先端を走っている音楽ジャンルではないから。 ほとんどのジャズミュージシャンは、ポップスやロックなど、幅広いジャンルの商業音楽を演奏することで生計を立てている。 クラシック演奏家のほとんどは、経済的には家事手伝い/主婦/主夫である。
③ 「素人音楽のプロ」という職業とビジネス制度が誕生ずみである。 ②の実質的な家事手伝い/主婦/主夫たちが、「習いごと」「お稽古事」の先生として、素人相手にレッスンをするバイトをしている。 ツェルニー、ブルグミュラーなど、最初から素人向けに作られた楽譜が多数存在する。 「子どものための○○」といった、お稽古事の子ども向けに書かれた曲が多数存在する。 また、素人から利益を吸い上げる「検定」や「コンクール」や「教室チェーン」といった制度事業が濫立している。
④ 「素人音楽のプロ」から利益を吸い上げるメカニズムが存在する。 たとえば、`プロの`出演者に「出演料」や「チケットノルマ」を払わせて主催する、無名の音楽家たちを集めたコンサートイベントなど。 主催者が儲かり、出演者は「こんな広い会場で演奏できる私ってプロ!」と満足するが、出演者の活動の収支は「持ち出し」になる、つまり、お金を払って演奏するアマチュアと実質的には何ら変わらない。 あるいは、検定合格者にバックオフィス的な仕事を安い報酬で請け負わせるシステムが存在する。 検定合格者に「資格を維持するための研修」を受講させて利益を永続的に吸い上げるシステムが存在する。
ジャズはクラシックほどは上記のようにはなっていませんが、いずれはそうなっていく可能性があるという予感がします。
tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト
もとの記事@アメブロ:
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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。
「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。
tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。
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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。
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