ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

ピアノのお稽古のパラダイムシフト

 

以下は、20211021にアメブロに書いた記事:

 

何か月か前に日経の雑誌か何かのネット記事で、

ピアノのレッスン動画のサブスク&添削サービスを提供するスタートアップ企業があることを知った。

 

まだ若い創業者は、

高校時代にピアノで芸大を目指していたが進路変更して東大に入学、

東大在学中にこの会社を立ち上げたという。

会社の強みとして強調していたのが、

独自の教育カリキュラムとのことだった。

 

その記事を読んで私が感じた、

レッスンを受けたい側からの、この会社のメリットは:

 ①いつでも好きな時に、こちらの都合で動画を視聴できる(先生の都合に合わせる必要が無い。教室に通う必要が無いので、レッスンを受ける側の時間コストや電車賃を節約できる)。

 ②どこからでも視聴できる(創業者さんは、日本最大の大都市圏出身ではない。かつては「東京のある首都圏や大阪のある阪神圏で育つこと」は、質の高い教育を受けられて社会で有利に生きられる大きなアドバンテージだった。 オンラインレッスンによって、地球上のどこに生まれ育っても、同じ質のレッスンコンテンツを享受できるようになった)。

 ③動画の「一方通行性」が、かえって煩わしくない(先生との双方向のやり取りや、先生を替えたい場合などに、要らぬ気を遣う必要が全くないので、人間関係の気遣いで脳のパワーを消耗することが無い)

 ④コンテンツが均質(統一カリキュラムによって、先生ごとによる質的なバラツキを無くしている)

 ⑤サブスク料金が安い(気軽に始められて、続ける金銭負担が少ない)

  

サイトを見たら、講師陣は皆が皆、海外の音大の卒業者または芸大卒だ。

日本国内でハクが効く海外の音大や権威ある国内音大の卒業者を講師陣に据えて、サブスク客を一気に集めて事業を急拡大して、

できることならどこかの教育系企業に事業を売ってイグジットするのが、経営陣の目標なんだろうね。

「独自に開発したカリキュラムが強み」とのことだが、どこまで強みとなるのかだけが、不確定な要素だろう。 

 

創業者さんは、芸大に行かずに東大に行って、芸大レベル以上の音楽家を雇って使う身分になった。 これは、極めて合理的な人生の道筋である。 自分が音大に入るために、親がどれだけの富を手放すか。 そして、親が手放した富を、音楽の仕事で一体どれだけ回収できるだろうか。 そのようなギャンブルを自分と親に課すよりも、すでに「出来上がった」音楽家フリーランスで雇って使えば、名門音大卒業の音楽家を仕立てるためのコストと、仕立てられなかった場合のリスクは、全部向こう(の親)持ちで、彼らを育成するために会社は一銭もカネを投じる必要が無い。 一人あたり、子どもの頃からのレッスン代や楽器代や、音楽で食える日が来るまでの扶養費込みで数千万円、海外の音大の場合は(かの地での生活費を含めて)億近くにもなるであろう、一人一人の音楽家の育成費用とリスクについて、会社は一切、関知する必要が無いわけだ。 会社の売り上げに貢献できない音楽家は、フリーランス契約を打ち切ればいいだけの話だ。  代わりに雇える、海外音大卒や芸大卒の音楽家は、掃いて捨てるほどいる。 このようにして、ビジネス経営で最もコストを食う人件費の負担を極限まで軽くして、その分、割安の良心的なサブスク料金でコンテンツをお客さんに提供する。 

ピアノで芸大を目指していた創業者さんとしては、憧れの音楽家になってフリーランスという不安定な立場で使われるよりも、東大に行ってスタートアップ起業し、知名度を上げて会社の事業を一気に拡張して、晴れて会社をどこかの大手企業に売却した暁には、その売却益による富と有り余る自由な時間で大好きなピアノを思う存分弾いた方が、人生の精神的な満足度は高いかもしれない。 もちろん、今どきの東大生だから、スタートアップ⇒イグジットの展望を当然持って起業したはずだ。

 

ところで、

私が「この人だったら教わりたい」と思うミュージシャンは、どういうわけか、音大卒ではない人ばかりで、しかも、このご時世でも、超有名アーティストのコンサートのサポートや作編曲やレコーディング案件や自らのライブ活動で、人に教えるヒマがぜんぜん無さそうな人たちばかりだ。 ないしは、第一線で仕事をしながら音大や専門学校のスター先生になっている人たちだ(スター先生たちの中には音大卒の人も散見される)。 演奏活動100%の音大卒の演奏家の方がひとりだけいるが、教わるよりもチケット買ってライブを観るほうが、得るものがずっと大きい、というか、一般ピープルが何か得ようにも取りつく島がないよ、音楽にエッジがありすぎて! 私が教わりたいと思う人たちの誰もが、その圧巻のライブ演奏こそが最も充実したレッスンコンテンツだ。 演奏家は、現役演奏家兼スター先生の立場になることを除いて、できることなら先生業にドップリ浸からずに、純粋に演奏や作編曲活動だけで生計を立てていきたいのではなかろうか。

 

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

ピアノのお稽古のパラダイムシフト | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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