ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

ピアノを弾く男性が多くなることの恩恵

以下は、20211203にアメブロに書いた記事:

 

私が子どもだった戦後の昭和の高度成長期~バブル期には、

ピアノを習うのは女子ばかりだった。

小学校の低学年のうちは男子も見かけるのだが、

高学年になると、自然消滅していた。

 

私が習ったピアノ教室では、

小学校高学年以上は、すべて女子だった。

だから、

ピアノの世界は、女の世界である!

と、

思っていた。

音大生のお姉さんたちが、

か細い腕を振り回し、

モミジのような手を鍵盤の上でトンボ返りさせながら、

リストやラフマニノフを決死の形相で弾くのが、

クラシックピアノの有るべき演奏だと、思っていた。

 

ところが、

動画が普及して、

世界的に著名なクラシックピアニストたちの演奏を視る機会が増えると、

彼らのほとんどが男性で、

しかも

ほとんど腕や手を動かさずに演奏している!

ということに、

こんな私でも気がついた。

 

だから、

昨今、

男性がピアノを弾くようになったことはとても良いことだ、と思うのだ。

 

モミジのようなお手ての指の根元を切って、指の間を広げる、

という、2021年から見たら拷問のようなことをして自分を傷つける前に、

「身体スペックの差による優劣は、どうすることもできない」

ということを、悟ることができるからだ。

 

女性の皆が皆、男性に比べて手が小さかったり体格が小さい、というわけではない。

 

身長170cm以上の女性は、指も長いだろうし、腕も長いだろうから、

男性並みにピアノというかケンバン楽器を弾ける可能性がそれだけ高い。

女性で身長180cm以上あれば理想的だろう。

そういう長身の女性は、

バスケットボールやバレーボールをするのも良いが、

本物のファッションモデル(身長175cm以上が必要)になるのも良いが、

ピアノなどのケンバン楽器をやってみてはどうだろうか?

「ピアノのお稽古は高くつく」

というのは、昭和の時代の話だ。

今は、

世界的な日本の楽器メーカー各社による

高性能の電子ピアノやキーボードが

手ごろな価格でポチれる時代で、しかも

ヘッドフォンで昼夜関係なく弾ける。

それに、

ギターと違って

ケンバン楽器は音の配列が単純だから、

すぐに覚えられるし、

ホーンと違って

頭の中で楽譜のキーを変える必要もないし、

尺八やチェロと違って、

ズブの素人でもケンバンを押せば簡単に音が出る。

長身の女性は、

プロにならなくても、趣味であっても、

クラシックピアノでも、ジャズでもロックでも何でも、

ケンバン楽器の演奏において圧倒的な優位性をエンジョイできる。

はっきり言えば、

身長が高い(=指が相対的に長い)人たちは、

ケンバン楽器の演奏に関しては、

生まれ落ちた時点で「すでに勝った!」人たちなのだ。

モミジのようなお手ての小柄なピアノの先生に習った瞬間に、

すでに「先生に勝っている!」人たちなのだ。

 

ピアノにおいては、

「届く」イコール「絶対有利」だ。

どんなに練習しても、

どんなに高名な先生に師事しても、

どんなに著名な音大に入学/留学しても、

どんなに高価なグランドピアノを買ってもらっても、

届かなければ、届く人たちのように演奏することは、

絶対に、できない。

片手で10度以上に届くことは、

クラシックピアノのレパートリーを世界標準レベルに広げ、

ジャズや即興演奏のハーモニーの幅と深さを大きく広げる。

こればっかりは、お金で買うことが、できない。

 

10度に届かない、身長も平均並みの私からみたら、

とてもうらやましいことだ。

だからこそ、

背の高い女性は、

その恵まれた体格をぞんぶんに生かして、

ケンバン楽器を自在に弾いてほしい。

それが、背の高い女性が

世間にもたらすことができるプレシャスな価値なのだから。

 

 

このように書いたのは、先日の記事

旧ブログのアクセス数

で、

下記の内容を書いたことに関連する:

 

「指の根元を切る!」 意味が解らない若い人もいるかもしれないから、補足説明すると、戦後昭和の頃は、リストを弾くには小さすぎる、モミジのようなお手てのお嬢さん方が、音大に入ってピアニストになりたいがために、指の根元の「水かき」の部分を切って、指の間を広げることが、しばしば行われていたのである! ちなみにリストは12度が届いた、つまり、片手の親指と小指を使ってドとオクターブ上のソを同時に鳴らすことができる手を持っていた。

 

 

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

ピアノを弾く男性が多くなることの恩恵 | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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