ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

ピアノ教師によって壊れていくピアノ愛好者

 

いやなブログを見てしまった...。

「いやな」というのは、そのブログ主さんのことではなく

そのブログ主さんが書いている記事の内容、というか、

そのブログ主さんが、ピアノ教師たちによって壊れていく様子が

あまりにもおぞましかったからである。

 

ひどいよ!

一人のピアノ好きの人間を、

どうして、よってたかって

平気でぶっつぶしていくのか!

 

そのブログ主さんのブログの記事を、

私はマトモに読めなかったよ。

マトモに読んだら、こっちのメンタルにまで伝染するような、

邪気に満ちたレッスンの内容が綴られていたからさ。

 

子ども時代にピアノのレッスンでピアノ教師から体罰さながらの仕打ちを受け、

すっかりピアノ嫌いになってしまったのに、

大人になってから、ピアノを再開したブログ主さん。

本当は、ピアノが大好きだったんだよね!

それなのに、子ども時代のピアノ教師に、

ピアノへの思いをぶっつぶされて、

心に傷を負ってしまったのだろう、

そのブログ主さんは、

大人になってピアノを再開すると、

ピアノが上手くなりたい、その一心で、

「正しい奏法」を求めて、

ピアノ教師からピアノ教師へと、

ピアノ教室を転々とする。

 ( ↑ まるで、子どもの頃に受けたピアノレッスンの呪いに憑りつかれたように。)

そして、あるピアノ奏法を教えるピアノ教師による最初のレッスンで、

ダメ出しの集中砲火を受けたあと、

ピアノを練習したいという気持ちが無くなってしまった。

習うピアノ教師ごとに、

前の教師とは全然違う指導の言葉を浴び続けて

頭の中が混乱してばかりだったところに、

新しい教師から、レッスンの間じゅう厳しいダメ出し攻撃を受け続けて、

とうとう、張り詰めていた糸が、切れちゃったんだよ。

そして、ついには、

ジストニアになってしまったブログ主さん。

ひどい、ひどすぎるよ!

子どもの頃に習ったピアノ教師を筆頭に、

ピアノ教師たちがよってたかって

このブログ主さんのピアノを弾きたい気持ちを踏んづけて、

ブログ主さんを、潰してしまった!

私は泣いている! 両目から怒りの涙があふれている!

このブログ主さんのブログは、

数年前の記事以来、更新されていない。

最後の記事には、

ピアノ教師たちによる指導への強烈な不信感が、

行間から溢れている。

だから、「ピアノ教師」という名の

事実上家事テツor主婦/夫に習っちゃダメなんだよ!

彼らは、演奏のプロじゃないんだ。

習うなら、本当の意味でのプロのピアニストに習った方がいい。

そりぁあ、お金もかかるし「お客様扱い」されるかもしれないけど、

音楽業界で演奏の仕事で立派に見世を張っているプロから習う方がはるかにマシだよ!

だって、

生徒(=お客様・パトロン)を持ち上げてくれるから。 

自信を持たせてくれるから。

 

自信は、上達のための、死活的な基盤だ。

ダメ出しの集中砲火は、この最も死活的な自信を強奪する。

自信を強奪された、虚ろな魂で、何をどんなにやっても、駄目だ。

 

ジストニアイップスも、メンタルが原因だよ。

ダメ出しの集中砲火によって自信を強奪されたら、

どんなに悲壮に練習しても、心は地獄だ!

心がこの世の火炎地獄で燃やされながら練習を続けたら、

ジストニアでもイップスでも精神病にでも何でもなるよ!

悩み過ぎてノイローゼになって、最悪自殺だってするかもしれない。

というのが、私の実体験による結論だ。

このブログ主さんが、いまはジストニアから回復して、

ピアノを楽しんで弾いていることを、

心の底から願ってやまない。

 

クラシックピアノ教師たちは、

クラシックを弾きたいと渇望する

このブログ主さんのような人の、純粋な音楽への憧れを、

踏みにじった挙げ句にジストニアにさせてしまうような、

罪深いことを、やめるべきだ!

 

tokyotoad

 

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。