前回の記事:
大人ピアノと指の健康寿命:「へバーデン結節」(その②) - ピアノ方丈記
の続き。
中高年やシニアといった、
大人のピアノ愛好者がへバーデン結節にならないように弾くためにはどうしたらいいか?
を考えてみたよ!:
結論から言えば:
へバーデン結節にならないようなピアノの弾き方をすればいい。
って、
「なんだよ!?それじゃ答えにならないじゃないか!」
ではない。
同じ曲を弾いても、へバーデン結節になる人と、ならない人がいるのだから、
へバーデン結節にならないようにするためのライフハックの組み合わせは、ピアノを弾く人の数だけ有るわけで、一言でいえば、ピアノを弾く一人ひとりが、
へバーデン結節にならないようなピアノの弾き方をする
としか言いようがない。
具体的には、その人の:
① 片手で届くケンバンの音域
②身長や体格
③年齢
④性別
⑤運動能力
⑥反射神経
⑦1日あたりのピアノ演奏時間
⑧ピアノを継続する日数・年数 と、
⑨その人が物理的に「掌握できる」「手中に収まる」曲を選んで弾くかどうか
などの要因によって、へバーデン結節になりやすいかどうかが決まる。でしょ。
だから、
たとえば、その人が
① 片手で届くケンバンの音域:8度(ドからオクターブ上のド)
②身長や体格:身長155cm
③年齢:50歳
④性別:女性
⑤運動能力(同年代比較):良い
⑥反射神経(同年代比較):良い
⑦1日あたりのピアノ演奏時間:8時間
⑧ピアノを継続している日数:365日
⑨その人が物理的に「掌握できる」「手中に収まる」曲を選んで弾くかどうか:リストの「ラ・カンパネラ」。片手でオクターブ届くかどうかの手では、とても掌握できない、手中に収まらない曲。
と、このような人の場合は、自分の自然的な物理条件では弾けない曲を無理やり弾くことになり、指定されたテンポ内で届くために突き指弾きやぶっ叩き弾きで弾くことになる。 ところが、もともと手の大きさ的に無理な曲だからミスタッチも多くなり、ミスタッチをしないように無理して1日に8時間も必死に練習したら、突き指弾きやぶっ叩き弾きが常態化して、ヘバーデン結節になる可能性が極めて高い。
では、
次の人はどうだろう?:
① 片手で届くケンバンの音域:12度(ドからオクターブ上のソ)
②身長や体格:身長190cm
③年齢:25歳
④性別:男性
⑤運動能力(同年代比較):ふつう
⑥反射神経(同年代比較):ふつう
⑦1日あたりのピアノ演奏時間:1時間
⑧ピアノを継続している日数:365日
⑨その人が物理的に「掌握できる」「手中に収まる」曲を選んで弾くかどうか:リストの「ラ・カンパネラ」。片手で12度届けば物理的に「掌握できる」「手中に収まる」といえる曲。作曲した本人であるリストが片手で12度届く人だったから。
の場合は、同じリストの「ラ・カンパネラ」を弾いても、この人の物理的な身体条件のおかげで、無理して弾くことが無いから、へバーデン結節になる可能性は低いと予想できる。
それでは、
次の人はどうだろう?:
① 片手で届くケンバンの音域:10度(ドからオクターブ上のソ)
②身長や体格:身長170cm
③年齢:60歳
④性別:男性
⑤運動能力(同年代比較):ふつう
⑥反射神経(同年代比較):ふつう
⑦1日あたりのピアノ演奏時間:3時間
⑧ピアノを継続している日数:365日
⑨その人が物理的に「掌握できる」「手中に収まる」曲を選んで弾くかどうか:リストの「ラ・カンパネラ」。片手で10度届いても、12度届く人よりも物理的には「掌握できない」「手中に収まらない」。それに、男性であっても年齢が60歳では、老化によって瞬発力が衰えているから、オリジナルのテンポで弾くと、間に合わなくて突き指弾きやぶっ叩き弾きになってしまって、へバーデン結節になる可能性が有る。
だから、同じ曲を弾いても、へバーデン結節になるかどうかは、人によってまちまちだろう。
ピアノ演奏によってへバーデン結節になった人を詳しく調査すれば、ある一定の傾向が浮かび上がると思われる。 それは:
自分の手の大きさではカバーしきれない曲を、
楽譜どおりの音とテンポで弾こうとして、
突き指弾きやぶっ叩き弾きで、
365日、一日何時間も、ピアノを弾き続ける、
運動能力が衰えはじめた中高年の人
だ。
上記がすべてなんだけど、私の超個人的な体験によって、あえて具体的なライフハックを挙げるとしたら:
⓪ 演奏姿勢:
これについては、よくわからない。私の場合は、演奏姿勢が悪くて指が思ったように弾けなかった時は、指の骨が変形することはなかった。 年々、演奏姿勢が良くなってきて、それに伴って指が動くようになり、弾くのがどんどん楽しくなったことで、調子に乗って長時間しかも無理な跳躍を叩き弾きしはじめたら、数か月で左手の小指がへバーデン結節になった。 演奏姿勢が悪くても、思うように弾けないからミスタッチが多くなって、無理やりの突き指弾きになったり、ぶっ叩き弾きになるかもしれないけれど、演奏姿勢が良くなったらなったで、思うように弾けるようになって嬉しくて、自分の手が掌握できない広範囲を無理して弾こうとして突き指弾きになったり、「弾けるようになって嬉しい!」と調子に乗った勢いでぶっ叩き弾きしがちになるかもしれない。
① ピアノを弾いて指が突き指したように感じたら、1週間はピアノに触らない:
今から思えば、2年ほど前に左手の小指がへバーデン結節になりかけたことがあった。その時は、演奏姿勢が少しずつ良くなってきた中で、左手で10度のアルペジオを弾きまくることを、何日か続けていたら、左手の小指が突き指みたいになったので、その後1週間ピアノを触らなかったら、痛みがなくなったので、その後はあまり無理なことをしなかった。 だから、突き指みたいになったときは、とりあえず1週間はピアノに触らずに、様子を見るとよいと思った。 そして、その後は突き指弾きのクセを直すようにすればよかった...。 医者へ行ってへバーデン結節と診断されたら、できれば1か月はピアノに触らないのがよいのではないか、と個人的には思う。
② 指を目標のケンバンの上に確実に乗っけてから、優しく指を降ろして鍵盤を〈ふんわり〉押すように弾く:
指を斜め横から目標のケンバンに突っ込んでいくような突き指弾きをしたり、
指をケンバンに叩きつけるようなぶっ叩き弾きをしていると、
やがてへバーデン結節になりやすい、と私は経験から感じた。 そこで、
指をケンバンの真上に確実に置いてから優しく下に降ろしてケンバンを〈ふんわりと〉押すように弾く。つまり、ふんわり弾きだ。
という弾き方が、へバーデン結節のリスクを最小化するのではないか、と思って、へバーデン結節になった後はそのようにしている。
このような柔らかい弾き方に変えたことで、ピアノの音色もおのずと変わるだろうが、年相応の「枯れた音」になるということだと思っている。
③ ②ができないような曲を弾かない:
左右の小指が突き指弾きになる人は、例えば手を目いっぱい広げても片手で9度しか届かないのに、左手で10度以上のアルペジオ伴奏がデフォルトの曲を弾くような場合だ。 自分の手が生まれつき、その曲を安全に弾ける手の大きさではないのに、無理やり弾こうとすると、手のひらを常時左右に高速移動せざるを得ず、結果的にベースラインの左手の小指が目標のケンバンめがけて横斜め上から突っ込んでいく突き指弾きになってしまう。
それでもその曲を弾きたい場合は、左手の小指が確実に目標のケンバンの上に到着してから真下に〈ふんわり〉押せるように、その曲のテンポを遅くして弾く。
曲のテンポを遅くしたくない場合は、高速で手のひらを横移動させて、小指が必ず目標のケンバンの上に到着しているように、フィジカルを強化する。
それも無理なのにテンポを遅くせずに弾きたい場合は、ピアノの死神と、自分の指の健康寿命を取引する。
④ 自分の手の大きさに合わせて曲をアレンジして弾く:
ジャズをはじめ即興演奏を伴う音楽の場合は、自分の手が無理せずに届く範囲に、自分の音楽の規模を合わせる。
たとえば、左手でオープンポジションのコードを弾けない場合。 具体的には、左手でドと10度上のミを同時に弾きたくても、左手が9度しか届かなくて弾けない場合は、左手でドと3度上のミを同時に弾くことでガマンする。 もちろん、10度の同時弾きと比べたら、3度の同時弾きのなんとチッコイ響きか。 でも、仕方ないよね、届かないんだからさ。 と、あきらめる。 手が小さいのにピアノを弾こうと思う時点で負け戦(いくさ)なんだから。 自分のピアニズムは、自分の手の大きさに比例するだけなんだから。
「そんなチッコイ音楽では満足できない!」と思う向きは、自らの肉体を極限まで鍛錬して、オープンポジションコードを安全にアルペジエイト(バラし弾き)できるくらいの瞬間水平移動能力を獲得する。 とにもかくにも、突き指弾きだけは避けなければならないから、オープンポジションコードを高速アルペジオ弾きするときに、すべての指、とくに小指が、確実に目標のケンバンの上に到着したことを確認してから優しく真下にふんわり弾きできるような、超人的な水平移動能力を獲得する。
それが無理な場合は、オープンポジションコードはあきらめて、7度やオクターブの同時弾きでしのぐ。 私が超一流のプロと思っているケンバニストさんの一人は、おそらく10度が届かない人だが、左手の7度の2音コードを使い、キレッキレのリズム感と、腕の左右の高速移動と優しく丁寧な打鍵によって、第一線で活躍していると同時に、大きなショウビジネス興行の音楽監督の仕事や、プロデューサー業もして、50歳前後にして、厳しい音楽業界で生き残っている。 片手で12度が届いたリストが35歳でプロのピアニスト稼業から足を洗ってその後は音楽監督・作曲家・ピアノ教育稼業に専念したことを思えば、このケンバニストさんは、50歳になろうという年齢で、いまだにソロピアノライブを続けている。 年齢とともに運動能力が下り坂になるのは人間の自然の摂理だが、それと上手におり合いながらケンバンのプロとして音楽業界の頂点で活躍し続けている、このケンバニストさんを、私は、「これが、ピアニストを含めたケンバン奏者の、理想的な年齢の重ね方だ!」と思う。
あるいは、
片手で9度の同時弾きができる人は、10度の片手同時弾きが無いジャンルの音楽に特化するのもテかもしれない。「そんな音楽あるの?」と言う向きもあるが、有る。 ただし、マーケットが狭いので、プロを目指す場合は、そのジャンルのトップにならなければ食べていけないだろう。 10度の片手同時弾きが意味する世界とは、小さくすれば3度の同時弾き、つまり3度で積み重ねる和音に基づく音楽の世界だ。 それが無い音楽の世界を追求すればいいのだ。 「それで音楽になるの?」と思う向きは、そのように感じるだろうが、世の中には、3度の積み重ねハーモニーの世界を「古臭くてつまらない」思う人たちが存在する。 私が「この人は凄すぎてもはや異常!」と思うアメリカ人のジャズピアニストさんというかケンバン全般を弾くのでジャズケンバニストさんがいるが、その人が片手で10度が届くかどうか、私は確認できていない。 理由は、このケンバニストさんが、片手で10度を同時に弾くことが滅多に無いからだ。 もちろん、片手で3度を単純に弾くようなこともしない。 つまり、いかなるキーであってもそのキーの「ドミ(ソ)」を同時弾くことが無いような音楽ジャンルの人なのだ。 世の中には、そういう音楽ジャンルのケンバニストさんたちが数少ないが存在し、そういう人たちの音楽を好んで聴くスノッブな知識層が、確かに存在する。
⑤ 自分の手中に収まる音楽表現方法を工夫する:
作曲・即興演奏・編曲・リハモによって、自分の生まれ持った手の大きさで無理なく表現できる音楽の表現方法を工夫する。 私は、へバーデン結節になった左手の小指の負担を無くすために、基本的に左手の小指を使わずに弾くようにし始めた。
また、
ツーファイブから I度に解決するベースラインを工夫するようにした。 【ii➡V➡I】のルートのベースラインは【レ➡ソ➡ド】になるが、よく使われるのは【レ↗ソ↘ド】や【レ↘ソ↗ド】の動きで、赤字の部分は完全5度の下降になるが、この下降の目標のケンバンを左手の薬指で弾くか、または、【レ↗ソ↗ド(親指)↘ド(薬指か小指)】と、上のドを親指で押してから、親指に重心を置いてオクターブ下の↘ドを小指や薬指で軽く押す】か、【レ↗ソ(親指)↘ソ(薬指か小指)↗ド】と、親指に重心を置いて↘(下の)ソを薬指か小指で軽く押してから↗ドを人差し指で押す】。
あるいは、ベースラインを【レ↗ソ↗シ(親指)↘シ(薬指か小指)↗ド】と、シを入れて【ii ➡ V ➡ vii ➡ I】と、7度のコードを差しはさんで、上のシを左手の親指で押しながらそこを重心にして、オクターブ下のシに薬指か小指を優しく〈ふんわりと〉降ろすようにして、薬指や小指への衝撃を極力避けるようにする。 または【ii ➡ vii ➡ I】と、はなっから V の代わりに vii を使って、ベースラインを【レ↘シ↗ド】と弾く。「vii !?」と驚く人は、「vii」を 「ルートを省いたV7」と思えば、受け入れやすいんじゃないかな(もっとも、viiはセブンスで使うことが多いと思うけど)。 このように、左手のベースラインの動きをなるべく少なくすることで、加齢で動きがおぼつかない左手の小指や薬指がドッタンバッタンすることを防ぐようにする。 左手ではインナーヴォイス(内声)も弾くので、タイミングが難しいことも多々あるが、タイミングが難しい時は、左手はベースラインに特化する。 それだけ音数が減ってしまうが、仕方がない。 このように、親指に重心を置くオクターブの動きを入れることで、小指が直に小指より外側の低音を焦って突き指弾きすることを避けるようにしはじめた。 右手のメロディや内声の動きもあるので、このように弾いても、あまり気にならない、と思っているし、気になるとしても、左手の小指を守るための動きであり、それが今の私が表現できる音楽なのだから、それでいいのだ!
他の工夫としては、
ベースラインが五度圏でゴロンゴロン移動して左手がアタフタして突っ込み弾きになるのを避けるために、Vにトライトーンサブスティテューションやルートレスヴォイシングを適宜使う。
「弾くのが間に合わない!」と瞬時に感じた場合は、目標のケンバンを無理やり突っ込み弾きしないで、間に合う音域内で対処する。
そのほか、
⑥小指のパフォーマンスを気にしない:
小指の音が弱くても、気にしない。
小指の音がかすれても、気にしない。
小指のケンバンに間に合わなくて突っ込み弾きになりそうなときは、もう弾かない。それによって、メロディが途切れても、ベースラインに穴が開いても、気にしない。
「そんな弾き方じゃ、ピアノのレッスンで先生に注意&指導されてしまいます!」なら、ピアノのレッスンを受けない。
「そんな弾き方じゃ、ピアノの発表会でちゃんと弾くことができません!」なら、ピアノの発表会に出ない。
「そんな弾き方じゃ、ピアノのコンクールで減点されてしまいます!」なら、ピアノのコンクールに出ない。
老いゆく自分の短い指で、末永くピアノの演奏を楽しめるように、自分の指の健康寿命をできる限り伸ばすために、自分の手の大きさにとって無理な音楽は奏でない。
先生に褒められるために、審査員に評価されるために、ピアノを弾くわけじゃない。 自分が弾いて楽しいから、ピアノを弾くのだ。 「上級曲」をマトモに弾ける大きさの手すら持っていないのに踏ん反り返ってそれらを教えるピアノ教師や、濫発するピアノコンクール商法に、自分の大切なおカネを払ってわざわざ自分の指の健康寿命を損なうような犬死に行為は、私はしない。 私は人間になりたい。
結論:
上記の内容を一言でいえば、
自分の掌(てのひら)の中に収まる、つまり
自分が文字どおり掌握できる音楽が、
自分が生まれつき手中に収めることができる自分の音楽であり、
自分の音楽に満足してピアノの演奏を楽しむ。
ということだ。
自分の掌(てのひら)の大きさを超える音楽は、今回の人生では、死ぬまで自分は掌握できない。
自分の手中に収めることができない音楽を無理矢理弾こうとするから、突き指弾きになってしまい、練習の徒労を重ねた挙句に、指の骨が変形してへバーデン結節になってしまう。
「それでは、クラシックピアノ曲の「上級」の曲の多くは弾けないではありませんか!」
そうだね。 でもさ、仕方ないんじゃないの? だって、誰かがそういうふうにクラシックピアノ曲をランク付けしたんだから。 手が小さい人たちがモミジのような手をトンボ返りさせながら決死の覚悟で弾くその曲を作った作曲家は、片手で12度が届いたんだよ。 片手で11度が届く人だって、無理して弾くような曲だってあるんだよ。 ところで、あなたの手は片手でいったい何度届くの? それでも、自分の手をぶっ壊すことなく安全に弾きたいのであれば、細いケンバンのピアノを試すなどして、ケンバンのサイズを自分の手の大きさに合わせるしか、方法は無いんじゃないのかな。
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以下は、以前の記事 ブログの名前を変更しました - ピアノ方丈記
からの引用:
鴨長明(かものちょうめい)さんによる
『方丈記(ほうじょうき)』に、私にとっての
大人の理想の楽器遊びの様子が書かれていた!からです。
そんな鴨長明さんの『方丈記』(出典:青空文庫)に、こんなくだりがあったよ!:
もしあまりの興あれば、
しばしば松のひびきに[琵琶で]秋風の楽をたぐへ、
水の音に流泉の曲をあやつる。
芸はこれつたなけれども、
人の耳を悦ばしめむとにもあらず。
ひとりしらべ、ひとり詠じて、
みづから心を養ふばかりなり
↑[琵琶で]と補足したけど、鴨長明さんは琵琶と琴をたしなんでいた。 平安時代末期の京の都で生まれ育った鴨長明さんは、火災や竜巻や地震の度に都の街並みが無残に破壊され、飢饉や疫病の度に人口が激減し、挙句の果てにお上(かみ)が強行した大阪への首都移転に人々が翻弄される様(さま)を目の当たりにして、「無常だなーっ!この世は無常すぎるっ!」と、激しく無常を感じ続けた末に、とうとう山の中に引きこもって、自然災害が来そうなときにはいつでも分解して安全な場所にどこへでも持ち運べてすぐに設営+居住できる、床が3メートル四方(=方丈)の移動可能な仮設住居で晩年を過ごし始めた。 その際に持ち込んだ身の回りの品の中に、琵琶と琴があったのだ。 そして、ようやく安心して暮らし始めた山中の仮設住居で、気分が乗ると流行りの歌「秋風」や「流泉」を琵琶で弾き語りするのだが、
芸はこれつたな[い]けれども、
[山の中にたった一人で住んでいて
自分のほかに聞く人なんて誰もいないから]
人の耳を悦(よろこ)ばしめむ[ために弾くこ]とにもあらず。
ひとり[で]しらべ[=弾いて]、
ひとり[で]詠じて[=歌って]、
みづから[の]心を養ふ[=充実させる]ばかりなり
と、まさに、
鴨長明さんは大人の理想の楽器一人遊びを800年前に実行していた人だった!
これにいたく感動した私は、このブログの名前を「ピアノ方丈記」に変更しました。
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以下は、前回の記事の内容をいま一度、
自分への戒めとして、歴史的事実の認識(ウィキ調べ):
片手で12度が届いたリストは35歳をもって現役ピアニストを引退した(その後のリストは、74歳で亡くなるまで、音楽監督・作曲家・ピアノ教育者であって、ピアニストではない!)。 ちなみに、
ショパンは39歳以降はお墓の中。
こう書くと、「ジャズなら大丈夫なんでしょ?」との誤解を生むかもしれないので、追加すると、
バド・パウエルは41歳で、ジョージ・ガーシュインは38歳でこの世を去った。 ビル・エヴァンズは51歳で死亡したが、晩年は薬(ヤク)中でマトモにピアノを弾けなかったのではないだろうか。 手の大きさについては、各人のトランスクリプション譜を見ると、この3人は片手で10度以上が届いたと、私は思う。 日本の出版社が出している『ビル・エヴァンスを弾きたくて』という楽譜は、おそらく、ビル・エヴァンズ本人が常用したオープンポジションコードやビッグコードを小さな手でも弾けるように改変した楽譜なのではないか?そのことを、タイトルの「弾きたくて」に匂わせているのではないか?と私は想像する。つまり、「本当はビル・エヴァンズの実際のトランスクリプション譜を弾きたいんだけど、当然のように片手10度が連発するので、小さな手では弾けなくてガッカリ。でも、この小さく改変した譜面なら、小さな手でもビル・エヴァンズをトランスクリプション譜どおりに弾いているかのような気分を味わえます」ということではないだろうか。
セロニアス・モンクは64歳でこの世を去ったが、晩年の10年間は引きこもってほとんどピアノを弾かなかったので、セロニアス・モンクのピアニストとしての寿命は50代半ばだった。 「手が小さかった」と言われるモンクだが、高身長の割には手が小さかったということだろう。 もっとも、モンクのトランスクリプション譜には片手で10度のコードはあまり出てこないけどね。 ただし、
一般的に、ジャズピアノのトランスクリプション譜には、ジャズピアノならではの超絶技巧が存在する。 具体的には、ストライドやラグタイムの左手の大跳躍伴奏。 右手でオクターブユニゾンやオクターブのパワーコードを連打するメロディーライン。 そして、当然のように連発される、5音のビッグコードや、左手のオープンポジションコードを、小さな手でいちいちバラし弾きすれば、クラシックピアノ上級曲の10度アルペジオ(=和音のバラし弾き)と同様の、届かない手での無理矢理弾きになる。 これらの超絶技巧に加えて、ジャズ特有のリズムとパーカッシヴな演奏が、届かない小さな手にさらなる負担を課す。
さて、
私は片手で何度まで届くかな? そして、
私はいま、何歳だっけ\(^o^)/?
ほんとに私は犬畜生レベル\(^o^)/だったよ...。
tokyotoad