ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

「ピアノの死神」と指の健康寿命を取引しないために(その②)

 

ここ1か月、ピアノを弾くのを止めていました。その結果、左手の小指から、へバーデン結節の痛みはなくなりました。 

でも、

左手の小指の関節の肥大は、なくなっていません。

 

今週から、再びピアノを弾き始めましたが、今後は、1日に2時間以上弾くことはないと思います。

 

私は、生涯ピアノを弾いていたいので、ピアノを弾くための指の健康寿命を大切にしていくことを選びました。「ピアノの死神」との取引はしませんよ。

 

奇しくも、最近、自分の身の回りでいろいろな変化が起きました。

 

ひとつは、ツイッターなるものの障害が復旧して「X」なるものになったら、お気に入りのケンバニストさんたちの最新ツイートが見られなくなってしまったことです。

ツイッターに登録すればいいんでしょうけど、私はしないと思います。

それでも、過去にオンラインライブを視聴したライブハウスからの通知が来るので、そのライブハウスでのオンラインライブの情報は知ることができます。 

私ふぜいは、それくらいでいいんだ、と思いました。

もう齢だし、使えるおカネも限られているし、それに、私が「この人は凄すぎてもはや異常!」と驚嘆平伏するミュージシャンさんたちは、音楽産業から十分すぎるほどの仕事を請け負っていたり、熱狂的なコアなファンがついていますから、私ごときがいてもいなくても全然関係ないと思います。

でもライブハウスからのオンラインライブ情報を入手したら視聴チケット買って楽しく視聴しています。 

この間も、凄すぎてもはや異常!な、あるケンバニストさんが出演する有料オンラインライブを視聴したのですが、ある曲の途中で、私の心を妙にザワつかせる響きを出しておられるので、「なんだこのハーモニーは?この響きの組成はどうなっているんだろう?」と気になって気になって仕方がなくなったのですが、カメラの映像で、そのケンバニストさんの手元が映ったときに、わかったよ! 「うへー!この音とあの音と...を、こういうふうにねぇ。基本的な文法なのに、使いどころや調性や他との組み合わせによって、この妙にザワつくハーモニー!うひゃー!」って思っちゃった。 スゴイね。さすがは超一流のプロだね。私が弾く曲の中で使える機会があったら、今度マネしてみよう!

音を聞いただけでわかればいいんだけど、私にはそんな高性能の耳が無いので、映像を見てビックリ仰天したというわけです。 でもこれでひとつ学び、ではありません、「マネ」です。 音楽に限らず、人生は何でも、「この人はスゴイ!この人みたいになりたい!」と思う目標の人物の「マネ」をすることで、成長していきます。

というのが、私にとってのピアノのレッスンです。 こういうことは、市井のピアノ教室では絶対に教えてもらえない。 理由は、こういうことができない人が、ピアノ教師をやっているからです。 といいますか、そもそも、こういうハーモニーのボキャブラリーが脳内に存在しないので、こういうハーモニーを聞くと条件反射的に「正しくない!」と拒否反応を示してしまうのが、ほとんどのピアノ教師です。 ところが、「正しい」ことは、楽しくないことなんですね。 200年前の和声はすでに世の中に飽きられているから、「おカネを払えば誰でも教えてもらえる内容」になってしまっているわけです。 もっと言えば「誰かにおカネを払ってもらえれば買ってもらえる内容」になってしまっているわけです。 そして「誰かにおカネを払って買ってもらったので、今度は自分がそれを別の誰かに教えてモトを取り返そうと思う内容」になってしまっているわけです。 おカネさえあれば誰でも手に入れられる内容は、経済力を味方につけられるような星のもとに生まれれば、才能が無くても手に入ります。 一方、私が有料ライブ視聴したこのケンバニストさんは、おカネを払えば誰でも...といった経済的な世界とは全く別次元の、本人の才能とそれを実現できるフィジカルだけがモノを言う世界で、聴く人の心を妙にザワつかせる最先端の音楽を演奏しているからこそ、演奏家として音楽産業の頂点で活躍しつづけているわけです。

 

それから、この1か月ピアノを弾かなかったにもかかわらず、お気に入りの音楽を聴いていると、以前よりも音が取れるようになっているんです。

そして、先日から再開したピアノ演奏でも、1か月のブランクで指は動かなくなったけど、音楽語のボキャブラリーは退化するより進化していて、ちょっとビックリしたんだよね。

音楽脳を「寝かせた」ことになったのが良かったのかな? 

そして、私がとても参考にしていた、日本人のアマチュアのジャズピアノ愛好家さん(2人)が書いておられることが、ほんとうにその通りだ!としみじみわかる、今日この頃です。 

誰かをあてにして、習っちゃ、学問にしてしまっては、ダメだと思います。

自分で考えて、マネてみて、試行錯誤して、つまづいたり、ころんだりしながら、それでも好きだから、続けていく。

ということだと思います。 

この2人のジャズピアノ愛好家さんのうちお一人は、若い頃ジャズギターでプロ級の方だったようです。 

つまりね、

「ジャズピアノが弾きたい!」とか「クラシックピアノが弾きたい!」とか「ピアノが!」「ピアノ!」「ピアノ!」「ピアノ!」にこだわっていると、

ピアノに「居付いて」しまっていると、

本当の音楽の神様は、あなたの目の前を素通りしてしまっているかもしれない。 

超一流のプロのピアニストというかケンバニストさんの中には、ピアノ以外に他の楽器も弾く人たちが何人もいる。 

ピアノ専業の超一流のプロのピアニストさんは、他の楽器への造詣が深いか、そうでなくても、他楽器とその奏者から貪欲に学ぼうとしている。

そして、調律師さんへの敬意もね(なかには、自ら調律しようとする人もいるもんね)。 

つまり、彼らは「総合的な音楽家」であり、「ピアニスト」という小さな枠をつき破った存在なのだ。

私は、そういう本当のプロのケンバン奏者が実演する音楽しか、信じないのです。

その人が、その場で実際に弾いて演奏できる内容しか、私は信じないのです。 

自分が、仕事で、そのように評価されつづけてきたから、そうなのです。 だから、

自分がマトモに弾けない曲の楽譜を振りかざして、年端もいかぬ子どもに言葉の指導だけで高圧的に教えるピアノ教師を、とてもじゃないけど信用できないのです。 

子どもは、とても弱い存在です。 

子どもは、人生経験もないし、経済的に自立していないから、大人の言われるがままにしかできません。

そういう、弱い存在の子どもに、指導要綱とかカリキュラムに沿って、言葉による指導の砲撃でしか教えられない教師は、有害でありこそすれ、子どもにとって、これっぽっちも有益ではない。

子どもの頃の私は、ピアノの先生の演奏のマネをしたいなんて一度も思ったことがありませんでした。 そのピアノの先生、高圧的な言葉による指導だけで、自分で弾いて生徒のためにお手本を聞かせてくれること、一度もなかったもん。 マネのしようがないよ。 それに、子どもの私は「このピアノ教師、音楽の才能が無いなぁ」って思っていたしね。 私の場合は、親戚に音楽業界の人がいたから、子どもの頃からピアノのレッスンに大きな違和感を感じたので、張り子の虎を見破ることができたんだと思います。

そして、半世紀も経ってしまった今、独学によって、

ようやく、音楽を少しは自分のものにできるようになってきました。 

ああ、これが、半世紀前だったらなぁ。 

でも、私の場合は、これでよかったんだと思います。 

還暦近くになって、ようやく、大人の音楽語でテキトー弾きができるようになってきました。 

心のままに弾く、テキトー弾き。ちゃらんぽらん弾き。

音楽文法を自家薬籠中の物にしたうえでの、ちゃらんぽらん弾き。

これが、いちばん難しい。

ようやく音楽の富士山の1合目です。

音楽の富士山の裾野をグルっと一周してきて、1合目です。 

あと何年生きられるかわかりませんが、とりあえず2合目を目指して、

またグルっと一周、歩き始めます。 

1合目から2合目へは、いままでより少しだけ早く到達できるはずです。 海抜0メートルから1合目までよりも、富士山の外周がすこしだけ縮まりますからね。

私の前を歩いておられる、独学ピアノの先達の方々、私の目標になってくださり、ありがとうございます。

そして、

私が「この人たちは凄すぎる!」と

驚嘆平伏してやまない、今日も音楽業界から引っ張りだこで大忙しの

超一流の真のプロケンバニストの皆様はじめ、他楽器の超一流プロ奏者の皆様の、

今後の益々のご活躍をお祈りしております。  

 

tokyotoad