おんがくの彼岸(ひがん)

大人の独学ピアニストtokyotoadのブログ

レインボーマンの替え歌にみる、子どもの音楽&即興能力【その①】

古いブログに書いた記事です:

 

===20180213===

前回の記事のつづきです。

クラシックピアノの即興演奏について前々回の記事で書きましたが:

クラシックピアノ即興演奏の動画(ポップス&ジャズの参考にもなる) - おんがくの彼岸(ひがん)

繰り返しますが、私は、私と同じ大人の素人さんの参考というか話のネタのつもりで書いたもので、子どもについては、すべての子どもが生来もっている即興能力の芽を摘むような音楽教育をする一方で、無能化した子どもに即興演奏を教えてお金をとるようなことは、人間としてたいへん罪深いことだと思います。

 

人間にはだれでも、生来、即興的な活動の能力が備わっています。子どもは、わざわざ大人に手とり足とり教わらなくても、自然に即興しています。子育てをした人なら毎日、驚きと喜びをもってそれを目撃してきたはずです。

 

即興演奏ばかりか、ピアノを習っていなくても、いや、むしろピアノを習っていないほうが、かえって子どもが音楽の天才でい続けられることを示す作品があります。私が小学生のころ地元の小学校で流行った替え歌です:

 

レインボーマン」の替え歌

〽インドの山奥でんでんでんろく豆うまいまメダカの学校は川のな帰ってきたぞ帰ってきたゾウさんゾウさんお鼻が長いのねぇムーミン、こっち向いてるてる坊主てる坊主あした天気にしておくレイーンボーマン!

 

なんだ、くだらない。

 

と、ピアノの先生方は思われるでしょうね。クラシックの方々が自慢なさるアナリーゼなるものをやる価値もないと笑うことでしょうね。ですから、僭越ながら素人の私が、見よう見まねで及ばずながらこの替え歌の構造をなんとか解明できればと思います。

 

この替え歌を、モトになった歌の単位で分解すると、こうなります:

①インドの山奥(で)

➁でんでんでんろく豆うまいま(め)

③メダカの学校は川のな(か)

④帰ってきたぞ帰ってきた(ぞ)

⑤ゾウさんゾウさんお鼻が長いの(ね)

⑥ねぇムーミン、こっち向い(て)

⑦てるてる坊主てる坊主あした天気にしておく(れ)

⑧レイーンボーマン!

 

ホームキーをCメイジャーとして、この①~⑧に音をつけると:

①インドの山奥(で) C AA GG AA (C)

➁でんでんでんろく豆うまいま(め) C C CCCAG AAGA (C)

③メダカの学校は川のな(か) C D E E D DC D E G A A (G)

④帰ってきたぞ帰ってきた(ぞ) GB DDDDD AC EEEE(E)

⑤ゾウさんゾウさんお鼻が長いの(ね) E C# B E C# B E F# G# B G#G#F#E (F#)

⑥ねぇムーミン、こっち向い(て) F# E C# E、 F# E C# (E)

⑦てるてる坊主てる坊主あした天気にしておく(れ) AAAA A G AAAG E D EE AAGG AAAA(A) 

⑧レイーンボーマン! CC A C A C

 

ここで、⑤と⑥にシャープがついているのが目につきます。シャープのついた音から察するに、ホームキー(C△)から、その平行調同主調(A△)へ転調が起こっているようです。そして、⑧の最後の音は「C」なので、①の歌い出しと同じホームキー(C△)にちゃんと戻って、歌がきれいに終了しているようです。

 

実際には、C△⇒A△&Am⇒C△ よりもっと細かい転調が、④と⑤で起こっています。

④と⑤は両方ともトニックで歌い出すため、④のキーはG△、⑤のキーはE△です。ですから、

実際は: C△⇒G△⇒E△⇒A△&Am⇒C△ と転調します。つまり、この替え歌は、

前半部分のキーが Cメイジャー(C△と、その属調のG△)

後半部分のキーが Aメイジャー&マイナー(A△&mと、属調のE△)

にきれいに分かれて作られています。 具体的には、

C△ ⇒ G△(属調) ⇒ E△(G△の平行調同主調で、A△の属調) ⇒ A△&Am(A△の同主調でC△の平行調) ⇒C△(Amの平行調でホームキー)

と転調して、ホームキーにちゃんと戻ってきて終わります。

 

このキーの移り変わりを鍵盤で弾いてみると

C→G→E→A→C となり、

これらのキーが鍵盤Dを中心に線対称に美しく配置され、整った構成の曲であることがわかります。

なぜなら、子供たちが採用した歌の絶妙なチョイスと天才的なメロディーのつなげ方によって、ホームキーとその属調、ホームキーの平行調同主調とその属調という、前半部分(キーC)と後半部分(キーA)が、ミラーイメージで転調する構造になっているからです。とりわけ、珍しく歌い出しが第6音からはじまる曲「⑥ムーミン」を選曲したことで、「⑤ゾウさん」の歌い終わりの第2音からピタっとA△に転調して、最後にホームキー(C△)に帰還するための下地をつくっています。

(2020年3月に追記: 上記の C→G→E→A→C を並べ替えると、A⇒C⇒E⇒G。その真ん中にDを加えると、A⇒C⇒D⇒E⇒G、つまり、マイナーペンタトニックスケールになる。 このスケールは、地球上の音楽の最も根源的な音階といわれている(←Dを中心にパーフェクト4th(または5th)おきに存在する音で構成される)。 子どもたちがふざけて作った替え歌が、どうしてDを中心にマイナーペンタトニックの中で対称的に整然と転調していく構成なのか? ここに、人間性の表現である音楽に関するDNAレベルの根源的な何かがあるのではなかろうか?   ←というこの追記は、半分間違いでした。レインボーマンのオリジナルキーはEbメイジャーだったので、最も根源的なマイナーペンタトニックスケール(ACDEG)ではありませんでした。ただし、マイナーペンタトニックスケールの3rd degree音を中心にミラーイメージで転調する構造は変わりません。)

 

また、前半(キーC)から後半(キーA)へミラーイメージで反転する転機となる「⑤ゾウさん」で、まるで曲の潮目の変化を暗示するかのように三拍子になり、さらに、「⑥ムーミン」⇒「⑦てるてる坊主」で、同主調であるAマイナー(=ホームキーの平行調)になって、しかもメロディーを強引ながらもコードトーンであるAに6度も跳ね上げて意外性を与え聴く人の笑いをとるのですが、このような上への大きな跳躍は曲を通してここ1か所しか使われておらず、まるで対位法を知っているかのようです。

 

そして、「⑦てるてる坊主」のリズム的な緊張感と、6度の跳躍によるマイナーキーへの大きな転換によって、聴く人に「いよいよ大詰めか?」と緊張感を与えながら勢いはそのままで駆け抜けるように「⑧レイーンボーマン!」とメイジャーキー(のホームキー)に転じて、歌い出しの「①インドの山奥で」から1オクターブ上のトニックで高らかに歌い上げて、曲の最後でカタルシスを与えるという、聴く人を飽きさせない非常にストーリー性のある展開になっています。また驚くべきは、月面宙返りのように転調を繰り返したあと、最後にホームキーにピタッと戻ってきて歌が終わることです。

 

①~③は同じキー(C△)ですが、選曲の妙でスピード感に変化をつけ、ゆったりしたペースの「③メダカの学校」で聴く人を油断させておいてから、③⇒④で属調に転調する時にいきなりメロディーがドラマチックに9度も落下しますが、この落下はバッハが使ったのとまったく同じレンジ調整法です。この9度落下からジェットコースターのようにどんどん転調していく強力なストーリー展開、そして、曲中で拍子が変わる現代音楽的な要素も感じられて、小学生のガキどもがふざけて作ったとは思えない、エンターテインメント性の高い洗練された作品に仕上がっています。

 

この替え歌を歌い始めた男子たちは、ピアノを習うような坊ちゃんではなく、どこの公立小にもいる、野球帽をかぶってふざけたりじゃれあったしていつも先生に怒られているようなヤツらです(当時ピアノを習う男子はとても少なかった)。「レインボーマン」の替え歌は当時どこの小学校でも流行っていたと思いますし、「でんろく豆」から「めだかの学校」につながるところは共通みたいですが、そのあと「帰ってきたウルトラマン」につなげた例が他にあるかは知りません。もちろん、この子たちが作ったかどうかはわかりませんが、どっちみち同じような悪ガキたちが学校の帰り道などでおもしろおかしく歌いながらこしらえて地域に広がったものだと思います。

 

こいつらがこの替え歌を学校で歌って、みんな笑い転げて、面白がって歌い始めて流行したのですが、小学校の音楽の授業では、男子たちは、音楽室の黒板の上の肖像画を指さしながら「バッハッハ」や「ベントーベン」はいうにおよばず「シューマイベントー」「チャイロウイスキー」などと呼んではゲラゲラ笑い転げていました。そして「チャイロウイスキー」作の「くるみ割り人形」を聞く音楽鑑賞の時間が無法地帯と化したのを今でも覚えています。

 

では、そんなピアノを習わない、「チャイロウイスキー」を聞こうともしない、音楽を聞く耳のないような子どもたちが、どうしてこのような完成度の高い替え歌をつくれたのでしょうか?

 

いえいえ、彼らは、ちゃんと音楽を聞いて育っていました赤ん坊のとき聞いた子守歌や、「おかあさんといっしょ(当時)」で歌った童謡や、テレビマンガや特撮ヒーローの主題歌や、「八時だよ!全員集合」の「ババンババンバンバン」や、ラジオ体操や、歌謡曲や演歌や、TVコマーシャルソングや、「ゲバゲバッ、ピー!」や、それこそたくさんの音楽に囲まれて、それらを真似して歌いながら毎日すごしていたわけです。

 

これらの音楽は、当時の最も進んだ音楽でした1970年代のテレビやラジオから流れていた音楽は、ジャズや現代音楽やビートルズなどの洋楽を吸収した気鋭の作曲家たち(の多くは音大作曲科出身)が、そのエッセンスを注入して作った音楽です。西洋音楽の父や楽聖の時代から、ヨーロッパ音楽は進化を続けてゆきづまり、とうとうインドやインドネシアの音楽をとりこみはじめた一方で、アフリカ由来のジャズのリズムによって激変し、その後ラテンのリズムがダメを押して、大幅な進化をとげた、その最先端の音楽がとりこまれた音楽でした。教育ママたちが「そんな低俗なものを見てはいけません!ちゃんとピアノのお稽古をなさい!」とさげすんだ「低俗な」テレビ番組を、幸運にも見ることができた子どもたちの柔軟な脳に、これら最先端の音楽がどんどん吸い込まれていきました

 

とくれば、ジャズ好きの方はピンとくるかもしれません。この「レインボーマン」の替え歌は、実は、ジャズの即興演奏をするかのごとくに作られたということを。テレビで聞いたり幼稚園で歌った名曲を、子供たちはそうとは知らずに脳内に耳コピして、たわいもなく繰り返し歌うあいだに、そのメロディーを完璧に覚えて、いつでも取り出して使える自分のボキャブラリーにしていたのです。あたかも、マイルス・デイビスコルトレーンのリックを耳コピして繰り返し練習するかのように。だからこそ、絶妙な選曲を脳の引き出しからホイホイとりだせたのです。しかも、ジャズの即興に求められる、コードチェンジにあわせてシームレスにメロディーをつないでいくことも、また、突然9度も急降下したり、メロディーラインを跳ね上げたりして、聴く人の予想を痛快に裏切って楽しませることもやってのけています。 

 

そんな子どもたちが中学に入ると、ギター片手にコードを覚えはじめ、フォークやロック、はてはジャズやフュージョンといった、複雑な音楽に親しみ始めて、青臭いポエムに自分で曲をつけた、今から見るとこっぱずかしくも懐かしいソングを作ってシャウトしたり、ジャズやフュージョンのアドリブを土手の上で吹いたり、バンドサークルで仲間とライブをするなど、最新のボキャブラリーとリズム感でクリエイティブに音楽を楽しんでいきます。

 

一方、ピアノを習って「音楽ができる」こどもたちは、親の影響で歌謡曲やテレビの「低俗な」音楽をさげすみ遠ざけながら、200年以上も昔の西洋の「正しい」音楽を先生に教わってまじめに練習しているうちに、その音楽が脳内にしみこんでゆきます。

 

それはまるで、新幹線の時代に蒸気機関車に乗るようなものです。蒸気機関車は今でも観光用に走りますし、乗車券も数秒で完売するほどの人気です。でも、蒸気機関車に乗って会社へ通勤する人はいません。

 

なぜかって、蒸気機関車は現代の人間の経済活動にはノロすぎるからです。蒸気機関車はすばらしい偉大な乗り物ですが、それは、鉄道の発展の遺産であり、その人気のベースは人々の懐古趣味です。

 

だから、いくら観光用の蒸気機関車の乗車券が数秒で売り切れても、新幹線の乗車券の売上総額からみたら、その規模はゼロです。

 

さてピアノを一生懸命習う子どもたちは、200年も前の西洋音楽で純粋培養されるうちに、耳も200年も前の西洋音楽の最も単純なコードしか聞き取れないようになり、1拍を4等分や3等分の単位で細分化した単純なリズムの速弾きばかりが上達していきます。

 

一日の大半を「低俗な音楽」を聞く暇も気持ちもなく、古典的な音楽を忠実に再現する練習に費やして音大に入ってさらに練習するうちに、古典的な耳とリズム感が完全に固定してしまいます。

 

はれて卒業しても、クラシックのような、現代の人間の経済活動にはそぐわない懐古趣味の音楽を演奏する仕事がとれるのは、ごく少数の選ばれた人たちでも大変でしょうから、ならばポップスでも、と今まで見下していたものを軽い気持ちでやったとたんに、最大の経済規模を誇るポップス業界の連中から「クラシックのヤツラはリズム感もないしコードも知らない」という言葉を浴びせられます。ジャズの人のほうがよっぽどリズム感があるし、オツなコード(=20世紀のハーモニー)も知ってるし、アドリブもできるし、ずっと使えるわけです。こうなると、もはや、日本人の脳内だけに存在する「幻の西洋」への無邪気な憧れにあやかるような仕事の口しか残っていません。 

 

(素人相手のピアノの先生になっても、今はポップスやジャズの楽譜を持ってくる生徒さんもいるでしょうが、さて教えようとしても、元来リズム感覚が違いますからクラシック弾きのヘンテコなノリの演奏になってしまいます。ポップスが得意と評判の「先生の先生」の講座を受けて、練習用に良いと言われた曲を譜面を見ながらピアノに向かって練習しますが、そもそもリズム感は練習するものではありません。そのジャンルの音楽が大好きで大好きで、たくさんのミュージシャンを浴びるほど聞いて無意識に身体をノリノリで動かしているうちに、自然にリズム感ができてくるものです。)

 

「低俗な音楽」を自由に聞いて育ったピアノを習わない子どもたちがふざけて作った「レインボーマン」の替え歌が非常に洗練されている理由は、複雑なリズムや20世紀の和声や作曲法を使った最先端の音楽を聞いて歌って育ち、そのセンスが身についていたからです。授業以外ではサッカーボールを始終離さずに蹴ったりこねくり回しながら過ごすように、「〽っやめろっとっいわれてもっ!」とか「〽もおどおにもとっまっらっないッ!」とか、テレビから流れる「低俗な」音楽をしじゅう聞いてマネして歌い踊っていた彼らは、当時最も進化した音楽とリズムを吸収して自分のものにしていったのですから。

 

また、どうしてそんな子どもたちが、対位法やバッハが使った作曲技法を、知るよしもないのに単なる思いつきで使えたのか?という点ですが、音楽は、ふつうの人間が快感を感じるように、そして歌いやすいように、本能的に歌えば、おのずとそういう形になるってことでしょう。音楽は、人間の喜怒哀楽の原始的な表現であり、もともと本能的で猥雑なものです。前頭葉でクヨクヨ考えたごたいそうな理論は後付なんです(バッハやベートーベンは、カウンターポイントで作曲していた。I とか IV とか V とかを使う楽曲分析は、後世になってから)。ジャズでいわれるアボイド・ノートも、だれもが生理的にちょっとイヤだな、と思っていた音に、後付けで理論をくっつけたものではないでしょうか。そして、バッハやベートーベンの時代に生理的にNGだった音がどんどんOKになっていったのが西洋音楽の進化の歴史ですから、今では、アボイド・ノートも「注意して使おうノート」とMark Levin氏のジャズの理論書に書かれています。だって音楽は規則を固守するのではなく、まだ規則になっていないことを果敢にやることによって進化していくんだものね。それは、人間の進化そのものなんだよね。

 

はたして、ピアノのレッスンでバッハやモーツァルトやベートーベンといった「正しい」音楽ばかり練習している子どもたちと、ピアノを習うこともなくテレビの「低俗な」音楽を口ずさんでふざけた替え歌を面白おかしく作ってクラスの笑いをとる(=聴く人を感動させる)子どもたちの、どっちが本当の音楽の落ちこぼれなんでしょうか?

 

それから、さっきの「レインボーマン」の替え歌の洗練性を解明するために、メロディーを便宜的に音に起こしましたが、自分でやって言うのもなんですが、子どもの替え歌を現代の12平均律に押し込んで分析したり意味づけしたりすること自体が大変野暮な行為であります。子どもは、ピアノの鍵盤の音程を遵守しながら替え歌を歌いませんからね。そのような、音程が「外れた」歌声を、ピアノなど「正しい音楽」を習っていない子どもたちの「音痴」と呼ぶのか、いやいや、実は子どもたちは無意識のうちにマイクロトーナルで歌っているのであーる!子どもの天賦の才能というものはまったくもって素晴らしいものであるのであーる!と感心するかは大人の勝手ですが、当時の私たちは音程のことなんてこれっぽっちも考えずにふざけて歌っていただけです。子どもの生来のクリエイティビティに大人が変に意味づけしたり、大人の価値観でお節介をやきはじめると、きまって不気味でおかしなことになっていきます。「子どもの作曲能力を伸ばすために、さあ替え歌をつくるレッスンへどうぞ!」と先生が音頭をとってヤイノヤイノやったところで、どうせロクなもんは出てこない、というか、ロクでもないシロモノが出来上がることでしょう。

それは、あたかも、母親の胎内で、髪の毛と歯しか育たなかった死産の胎児のように(芸大で教鞭をとられていた三木成夫氏に関する著作を参照 ←2019年11月に加筆)。 

 

 前回の記事にひき続き、小島美子氏の『歌をなくした日本人』(音楽之友社、1981年)から引用させていただきます:

 

「 しかもいまの世の中の動きは、ヨーロッパの近代化を憧れる時代を過ぎてしまっている。いま私たちは何か新しいことを知りにヨーロッパに行こうとは思わない。それは2、30年前とはすっかり変わってしまった。ヨーロッパの芸術音楽自体が新しいスタイルを生み出す力を、もはやほとんど持たなくなり、非ヨーロッパ諸民族の音楽をあさる時代になってきているのである。ヨーロッパの先進的な作曲家たちは、もう100年も前からモーツァルトやベートーベンのスタイルを乗り越えるように努力してきたというのに、音楽感覚が何もかも違う日本人が、あの200年前のモーツァルトやベートーベン時代の音楽を、あらゆる音楽の基礎であるかのように錯覚していて、いまだにいっしょうけんめい追いかける必要はもうあるまいと思う。」 

 

外れた粗忽者の長文をここまでお読みくださり有難うございました。今後は、私の書いた記事が都合のいいように解釈・利用されてとくにお子さんたちの害になることがないように、クラシック音楽とピアノに関する記事はアップしないことに決めました(アップするとすれば、メタルがらみか、この記事のように反面教師に取り上げる場合だけだと思います)。ジャズピアノやポピュラーピアノについてはどうしようかなとも思いましたが、ジャズやポピュラーもまともに知らないのに「ジャズやポピュラーに子どもの時から触れることも大切です!ですから私のレッスンへ!」と利用する先生もいるかもしれないから、やめることにしました(もっともしょせん素人が書くブログですから大した内容ではありませんよ)。というわけで、このブログは只今より土星に向けて大きく舵を切りますので、この素人ブログをネタ元として利用していた読者先生の方々や、ご興味の薄れた読者の方は、読者登録を取り下げていただいて一向にかまいませんので、そうしていただければと思います。今まで読んで下さいまして大変有難うございました。

 

さいごに、小さなお子さんには、日本語に加えて英語を自由に使えるように育ててあげるとよいと思います。そうすれば、日本のコンテンツに加えて、世界中の英語の膨大なコンテンツをネットで無料or安価で視聴できて、結果的に大変お得になると思います。とくにクラシック音楽は西洋が発祥ですから、本家の人たちが発信する生の情報に触れることができます(いろんな国のひとたちが、世界中に発信するために英語でコンテンツを作っている)。英語をマスターする方法はジャズの即興練習と同じ、つまり「レインボーマン」の替え歌をホイホイつくれるようになるのと一緒だと思います。

 

続きの記事は:

tokyotoad1.hatenablog.com

 

もとの記事:

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