ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ道楽の日々

「フレイルピアノ」な大人のピアノを弾く姿勢は「モディリアーニ首」を目指す

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以下の内容は、ピアノ演奏において、他の誰かが作った楽譜を完璧に再現するための運動能力に関するものです。

作曲・即興演奏・編曲・リハーモナイゼーションなどの創作表現活動は、下記の内容とは全く関係ない領域に存在します。

 

前回の記事で、ピアノを弾いていて指が回らなかったり、指がすべったり、左手が動かなかったりするのは、「老化による身体機能の衰え(フレイル) + 身体の左右の捻じれと歪みによる全身の固形化」が原因ではないかと書きました:

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少子化による国内市場の縮小を受けて、ピアノ教育業界が、今まで目もくれなかったシニア市場に食指を伸ばしています。 ところが、今まで子ども相手だった同業界には、中高年向けの指導ノウハウが確立していない印象を受けます。

 

一方で、なかなか死ななくなった中高年が、これから相当残っていそうな人生の時間を埋めるために、限り有るお金をささやかに使う趣味のひとつとして、ピアノ(キーボード)演奏を選び始めています。

 

ところが、先に書いたように、身体的にフレイルが進行する中高年がピアノを弾くと、ピアノの演奏もフレイルにならざるをえません。 

つまり、

中高年のピアノ演奏は、「フレイルピアノ」です。

「フレイルピアノ」という言葉は、私が作った造語(日本語)です。 英語にするとチャンチャラおかしいですが、「ブラック企業」と同じように、いかにも英語と英語文化に無邪気に疎い日本人の感じが良く表れていると、自賛しています(「ブラック企業」とか「ブラックバイト」とかいう言い方、いい加減やめませんか!? 八村塁選手をはじめ、アフリカ系の(混血の)人たちに対して無礼極まりない! おなじ有色人種の私たちイエローが使う言葉じゃないよ!)。(「フレイルピアノ」を英語にすると、 frailty pianism (←frail friendly pianism; frailty oriented pianism)とか、もっと広義にするとinclusive pianism; universal pianismみたいになりますかね)

 

今までのピアノ演奏指導においては、「フレイルピアノ」な演奏は、「下手」の代名詞みたいなものですから、決して許されない演奏でした。ところが、ピアノ演奏に関する商品やサービスを、フレイルな人たちに訴求しはじめれば、明らかに大きな矛盾が出てきます。

 

そこで、「できなくてもいいんですよ」とか「ピアノで手指を動かすことはボケ防止になるんですよ」とか、「片手がマヒてしまっても大丈夫、片手でも弾けるんですよ」などのキャッチコピーで訴求しているようですが、

 

ちょっと安直(あんちょく)すぎやしませんか?

このようなキャッチコピーの本当の意味は:

「ピアノは身体がフレイルでも、ボケていても、片手でも、弾けるんですよ。ええ、もちろん、あなたたちには、ショパンやリストは到底弾けませんけどね

です。 

 

そういうマインドセットには、老人ホームで「む~すぅん~で~ひぃ~ら~いぃて~」を入居者になかば強制的にさせる行為がお年寄りに対して大変失礼であるのと同様の、人生の先輩たちに対する、非礼無礼さが、内在しています。

パラリンピックと同じ、ダブルスタンダードな「隔離」のニオイがします。

 

それに、団塊の世代より年下の中高年は、戦後の日本の経済的な繁栄の中で生きてきた人たちなので、生まれながらに相当な文化教養人です(文化は、その国の経済力と正の相関関係があります)。 

また、彼らは、日本の経済成長を支えた「日本株式会社」を勤め上げた人たちです。 企業社会で一般常識や社会常識をたたき込まれており、職務遂行のための高い責任能力を発揮してきた、「勤勉で信用できる日本人」という評判を築いた人たちです。 社会人としての信頼性が高いため、これからの日本で、ますます求められていく、高度に優れた人的資源です。

そんな人たちに、老人を子ども扱いするような薄っぺらなテは、通用しないどころか、かえって、バカにされてしまいます。

 

今後は、このような人たちが主役の「フレイルピアノ」がメインストリームになっていきます。 

彼らは、子どものスポーツ競技になり果てたピアノ演奏を、いま一度、自己表現という文化芸術活動に回帰させる、原動力になるかもしれません。(スポーツをやりたいのであれば、野球でもサッカーでもテニスでも、スポーツをやればいいんです。そっちのほうが、本当のスポーツですよ。)

 

じつは、中高年がけん引する「フレイルピアノ」は、ユニバーサルデザインのピアニズムです。 身体や頭脳が原因で社会でハンデを負っている人や、身体的にフレイルな子どもや若い人が、堂々と参加してはばからないピアニズムなのです。

 

そして、昨今は、子どもや若い人でも、すでにフレイルで身体が捻じれたガチガチ人間が多いと思います。 

猫背、スマホ首、ストレートネックであれば、動きがフレイルな傾向があります。

そういう子どもや若者は、今までのスポーツ競技的なピアニズムにおいて、大きなハンデを負わされて、ひどい場合は門前払いされ(るかのごとくに否定され)てきました(ピアノの発表会で演奏させてもらえない子どもは、その最も残酷な犠牲者です)。

でも、ピアニズムが、本来の、自己表現という芸術活動にもどれば、彼らは個性を自由に炸裂させることができます。

 

とはいっても、陸上動物として、身体のフレイルは治した方が良いと思います。 フレイルな状態は、重力を受けて骨格が捻じれ歪み、そのまま固まってしまって、身体を柔軟に動かせなくなっている状態です。 濡れた雑巾を絞って干し忘れたら乾いてバリバリになってしまったみたいなことになっているのです。

地上動物にとって、フレイルな身体は、サバイバルにたいへん不利です。 とくに、災害などの極限の状況では、素早くたくさん動けるかどうかが生死を分けます。 「いや私は、念力で海水を止めることができるっ!」と言う人は、旧約聖書のモーゼのような、いろいろな意味で特別な人です(しかもあの時のモーゼは神っていた)。 ふつう物は移することがサバイバル戦略ですから、素早くたくさんけることが死活的に重要です。 災害で残念ながら寝たきりの人たちが犠牲になってしまうのは、寝たきりだからです。いてけないからです。 「命を守る行動をとってくださいッ!」とアナウンサーが何度も声高に叫んでも、その行動がとれないからです。 

 

フレイルな身体を治して、身軽な身体になりたい人は、まずは、身体操作の優れたお手本の動きを見て、それをマネる、イメージトレーニングから入るのがよいと、自分の経験から思います。

 

理由は:

① 人間は、脳に取り込む情報の4分の3を、視覚(ビジュアル)から入手する、といわれているからです。 百聞は一見にしかずです。 そして、

② 人間は、環境の影響を、視覚情報を通して受けるからです。 朱に交われば赤くなる。 好ましくないお手本ばかりに囲まれていると、それに似てきますし、良いお手本ばかり見ていれば、しぜんにそうなります。

 

それでは、動作のビジュアル情報を参考にしたい、優れたお手本をさがそう!

でも、優れたお手本を、どうやって見つけるか?

私は、その人の胸部から上の姿を見て判断しています。

(注:この基準は、その人の身体操作能力を判断するものであって、作曲・即興演奏・編曲・リハーモナイゼーションといった、頭脳によるクリエイティブな自己表現能力とは、全く関係ありません。)

 

胸部から上の姿を見る方法は、あらゆる人の根本的な身体操作能力を類推する基準として、有効だと思います。

 

私が使っている基準は、

「身体操作で手本にすべき人は、胸から上が、画家モディリアーニが描いた肖像画のようである」

つまり、モディリアーニ首」の人です(←これも私が作った造語です)。

 

 

モディリアーニ首」の人は:

①なで肩、

②まっすぐ上に伸びた長い

③頭は、まっすぐ上に伸びた長い首の上にちょこんと乗っているだけに見える。

 です。

 

 

このようなモディリアーニ首」の人の上半身の正面写真は:

 〇 首が長くて真っ直ぐ上に伸びている。

 〇 アゴと首の境目がはっきりしていない

 〇 首全体が影で暗くなっていない

という特徴があります。 なぜなら、

頭が前方に傾いていないからです。アゴが前に突き出していないのです。

 

逆を言えば:

身体操作で手本にしないほうがよい人は、頭が肩よりも前に出ている人です。具体的には:

 ✖ 正面から見ると、首が無い(=見えない)、あるいは、首が短く詰(つ)まって見える(顔が首に覆いかぶさっているから)。 

 ✖ アゴと首の境目のラインがはっきり見える。写真を撮ると、顔が胴体よりも大きめに写る(アゴが前に突き出ているので、顔だけがカメラに近いから)。

 ✖ 首全体が暗く陰(かげ)になっている(突き出たアゴが首に大きな影をつくるから。首全体がアゴから鎖骨ラインまで、真っ暗に写っている人もいる)。

照明の当たり方よってはわかりづらい場合があります。 たとえば、照明が頭の真上から当たっていれば、どんな人でも首全体が真っ暗に陰ります。 でも、モディリアーニ首」の人は、首がまっすぐ上に伸びているので、それとわかります。 

頭が前に出ている人は、横向きや斜め横向きの写真を見れば、はっきりわかります。 いわゆる、猫背の首、ストレートネックです。

とくに、小柄で華奢な人で頭が前に突き出ている場合は、自分の頭を支えるために、背中も肩も上腕も常に緊張して固まっているので、自分では気がつかなくても動作に相当な支障がでているはずです(人間の頭の重さは、体重の1割といわれているそうです。体重50kgの人の頭は、2リットルのペットボトル2.5本分の重さがあります。それを16時間両手にかかえ続けてみてどう感じますか?背中と肩と腕の筋肉がバリバリに張って硬直してしまって、まともに身体をうごかせないことでしょう。つまり、常にそういう状態で生きているわけです)。

 

ただし、運動不足から猫背になりがちな人は、もともと頭でいろいろ考えることが好きな人で、創作活動で優れた才能を発揮することが多いとも言えます。

 

でも、アコースティックピアノの演奏において、大作曲家が作った楽譜を完璧に再現するような、文化財の再現行為に限って言えば、

モディリアーニ首」の人を姿や動作を、良いお手本としてマネるべきです。

なぜなら、モディリアーニ首」の人は、自分の頭の重さを身体の内部で変に溜めることなく、上手に地球に逃がせている(アースできている)ので、身体の操作効率が良いからです。 身体が変にこわばっていないので、全身の動きを柔らかく制御できています。 それに、体軸あるので身体がブレず、力の伝達力に優れているため、キーの芯をとらえて叩くことができます。

 

モディリアーニ首」は、ヒトとして理想的に身体構造が整っていることの表れです。 だから、ヒトとして最も理想的に動くことができ、その結果として、ピアノの先生に言われなくても、自分で意識しなくても、自然に手のひらがアーチ型になって、親指も手首も柔らかくなって、肩の力も抜けて演奏できます。 よく言われるこれらの状態は、「できていない人の努力目標」ではなく、「努力も意識もしていないのにできちゃっている人に見られる結果を形容した表現」なのです。

 

できない人に、「肩の力を抜いて、手は卵をつかむように、肘をすこし身体から浮かせて、手首を柔らかく、親指を固めないで、.... 肘を無理やり回さない!」と言うと、金縛りにかかったような動きになってしまうのは、このためです。 実際に、ある種の金縛り状態です。 これらの呪文を前頭葉で同時に処理しようとして頭はパニック & もともと動けない身体の動きはさらにマヒしてしまいますから。

できない人は、できなければできないほど、受ける呪文の数が増えますから、ますます金縛り状態になって、ますますできなくなる。 先生はそれを見て、「やっぱりこの子(人)はできない」と結論づけてしまい、それが口調や目つきや態度に表れると、生徒はますます「自分はダメなんだ」と自信を失っていくという、この世の地獄のようなモノスゴイ状況になっていくわけです。

 

話をもどしまして、

 

モディリアーニ首」の人は、当然ながら、スポーツ選手やダンサーに多いと思います:

 〇 最も顕著な例が、坂東玉三郎さんです(←伊藤昇氏の『スーパーボディを読む』で解説されているが、見事なモディリアーニ首」です)。 

 〇 E-girls佐藤晴美さんもそうです(地下鉄車内の化粧品の動画広告で目にしますが、首が長くて真っ直ぐです)。 

 〇 ダルビッシュ投手もそうです(首が真っ直ぐ上に伸びている)。 

 〇 もちろん、発声と踊りの両方が必要な歌舞伎役者や宝塚女優にも多いと思います。 スポーツや芸能の世界にたくさんいます。 

 〇 当然、身体操作のプロにも多く見られます(各方面で実績を上げていたり評判が良かったりする先生やトレーナーは、身体操作の探求を欠かさず、自分の身体で試行錯誤しているからでしょう、身体操作に関して自分の言葉を持っているだけでなく、モディリアーニ首」が多い印象を受けます。 逆に、授業料(お金)でお免状を買っただけみたいな人は、モディリアーニ首」をしていないと思うので、先生やトレーナー選びの判断基準に使えます)。  

 〇 楽器に関係なくミュージシャン(演奏家)にもいます。疲れにくく、故障しにくいんじゃないかと思います。 パッと思い浮かぶのは、ドラマーの神保彰さんです。私は、神保さんのドラム演奏が「スゴイ、スゴ過ぎる!」と感じますが、具体的にどうスゴイのかを知る術を持ちません。ただ言えるのは、神保さんのドラム演奏を観ていると、こちらまで身体がほぐれて健康になる気がするということです。 拝んでいると健康のご利益がある演奏は、神仏的な演奏だと思います。 神保さんは話し声も大変に良い声です(身体操作が素晴らしい人は、声も素晴らしい)。 同じくドラマーの則武裕之さんも、地上の者ではないような姿勢だと思いますし、やはり話し声が大変に良い。 数年前にライブハウスで則武さんの演奏を聴きましたが、首が長くて背筋がきれいで、タンチョウヅルがドラムを叩いているようでした。 ふつうに座っている姿も、則武さんのところだけ地球の重力が無いように見えました。 重力を上手に地面に逃せているから、ふんわり座っているように見えるんだ、と思いました。 「その人のところだけ地球の重力が無いように見える」ピアニストで思い浮かぶのは、クレイグ・テイボーンさんとジェイソン・モランさんです。数年前に、二人とも実際に見たことがありますが、普通に立っているテイボーンさんは巨大なマシュマロみたいに見えました。 モランさんの立ち姿は、まるでダンサーのようで、「頭のてっぺんを空から糸で吊られている」立ち姿とはこのことだなぁ、と思いました(下手なダンサーよりも力が抜けている、ほれぼれするような姿勢でした)。

 

 モディリアーニ首」には、性別による特徴があるような気がします。  モディリアーニ首」の女性には、馬のような首をしている人がいます(適度な筋肉がついているから太く見える?)。 男性には、後ろからみると首の後ろが頭に向かって細くなっていき、うなじが女っぽい首の人もいます(首が長いから、それだけ細く見えるのかも?)。

 

 モディリアーニ首」の人たちの写真や動画をみたり、舞台やコンサートや試合を観に行ったり、ボディーワークセッションに参加したりすると、その人たちの良い姿勢や動きが自分の脳内に転写されていって、好ましい影響を受けることができます。

 

ピアノ演奏のための身体的な運動技術に限っていえばモディリアーニ首」のピアニスト(先生)を選べば、先生の模範演奏の動作を自分の脳に刷り込むことができます。

 

もっとも、アコースティックピアノの演奏において モディリアーニ首」をお手本にする必要のない人もいると思います。 このような人たちです:

①背が高い

②体格がゴツい・太っている

③手が大きい・指が長い

④スポーツが得意

⑤左利き

こういう人は、アコースティックピアノを弾くための理想的なフィジカルを持っているので、身体操作や姿勢に気をつけなくても、やれてしまうと思います。

身長が2メートル40センチのバスケットボール選手と同じように、運動能力以前に、持って生まれた体格が絶対的な優位性となるケースです。

ピアノは、椅子に腰かけて演奏する楽器ですから、上背があれば、位置エネルギー(重力)を味方につけられます。 また、鍵盤の端から端まで幅があるので、腕が長いほうが有利です。 「一台でオーケストラ演奏ができる」と謳う楽器ですから、オープンポジションのコードをふつうに弾ける大きさの手があってはじめて、一度にたくさんの音をを広い音域にわたって弾くことができ、ダイナミックで豊かなハーモニーを奏でることができます。 また、「ピアノフォルテ」という楽器の最大の売りである、フォルテを出すために十分なパワーを行使できる筋肉と長いレバレッジ(てこ)があれば、当然有利です。

(a) 身長が180cm以上あれば、その大きな体格で地上で生きるための骨格と筋肉量がありますから、「手弾き」でも十分に音が出ると思います。指も長く、腕もリーチがあるので、上体を曲芸のように動かして弾く必要がありません(が、そういうプロのピアニストが曲芸のように動いて弾く場合には、もうピアノのほうがフレイルになるような、ものすごい音がします。あ、これがホントの「フレイルピアノ」だね!)。

(b) 身長が180cm未満の場合、(a)並みになるためには、体重や筋力や太い骨格が必要になってくると思います。

(c) 身長が170cmに満たないと、座っていながら全身を総動員しなければ(a)(b)並みには弾けないと思うので、アスリート級の筋力・運動能力・体軸・柔軟性が必要だと思います、そのためには、モディリアーニ首」が必要になると思います(身体機能が自然低下する中年以降は、ますますそうだと思います)。

ほとんどの人が右利きのなかで、左利きの人は、右利きが苦手な左手を動かせるので、とても有利です。

 

フィジカルに恵まれていない素人が、アコースティックピアノで、作曲家の作品の忠実な再現を追求したいと思う場合はモディリアーニ首」のピアニスト(先生)の模範演奏や演奏動画をお手本にすると、「教科書どおり」の演奏を目指せると思います。

  

もっとも、「教科書どおり」が良いのは、素人レベルの話です。 プロの演奏家の世界は、「教科書どおり」を破って表現する、その人ならではの雑味が、経済的な価値を生んでいます。 

だから、一流のプロになるほど、モディリアーニ首」かどうかは、あまり関係なくなってくるかもしれません(ふつうに立っている姿は素晴らしいのにピアノを弾く姿勢が「あれ?」なピアニストもいます。音楽ジャンル的に、教科書どおりの(キャラが立たない凡庸な)音になるのを避けているのかもしれない、と勘ぐります)。

本来、アコースティックピアノの演奏技術で成功している演奏家は、もともとアコースティックピアノの演奏に適した身長や体格を生まれ持った人が多い気がします(だから大男が多い)。

あくまでもアコースティックピアノの演奏技術にこだわるのであれば、楽譜どおりの優れた演奏のためにはフィジカル(物理的な寸法や重量)が絶対的な必要条件であることを、当然わきまえていて然るべきです。

 

体格や姿勢や動作の影響をあまり受けない音楽のジャンルもあります。

 

ジャズやポップスは、自分の音楽言葉による表現が必要です。 母国語を話すかのごとく音楽語で自由に表現できることが必要です。 「創作の要素が存在しないジャズやポップス」は、ジャズやポップスではないからです(そして、かつては、西洋クラシック音楽も即興演奏が必要だったのですが...)。

前衛的な音楽では、いろいろな音の素材を使って自分の世界観を表現します(坂本龍一においては、一般ピープル系のファン(おや私だ!)が「最近の教授の音楽はわからないよぅ...」と、途方に暮れてしまうような音楽のことです)。

  

中高年に限らず、身体がフレイルな人、身体・メンタル・頭脳が原因で社会からハンデを課せられている人は、自分の個性を発揮したクリエイティブな芸術活動が向いています。

 

この世のあらゆるものは、もろ刃の剣です。

 

一見ハンデに見えるものは、その人に特有の強烈な個性です。

 

個性の世界では、ミスタッチも、宝です。 ミスタッチによるディソナンスのほうが、かえって価値が高いことがあります(典型的な例は、セロニアス・モンク大師です。凡庸を嫌うモンク大師は、確信犯的にミスタッチを起こしていたかもしれません)。 音楽の進化の最前線に響いているのは、「ミスタッチ」や「音程が外れた音」や「ノイズ」とされてきた音だからです。

 

型どおりの仕事がAIにとってかわられる中、定型的な結果を出すことが求められる没個性の時代から、その人その人の強烈な個性が最も尊ばれる時代に移っていくように感じます。

 

(ところで、「フレイルピアノ」って、習う側だけの問題なのかな?)

 

2020年9月に追記:

モディリアーニ首」とは正反対の、悪いピアノの演奏姿勢の典型的な例が、この絵画です:

ピアノを弾く二人の少女 ルノワール

ピアノを弾いているお嬢さんの姿勢は: 首が前に出て、アゴが上がってしまっている。 猫背で、巻き肩。 腕が窮屈に曲がり、胴体の横にはりついている。 きれいな栗毛に隠れているお嬢さんの背中の上部が猫背になっていて、身体の内部で肩甲骨が肋骨の上に覆いかぶさって、巻き肩を形成していることが、よくわかる。 楽譜のメカニカルな再現演奏能力をことごとく阻害する演奏姿勢だ。 ピアノをメカニカルに巧みに弾きたい人が、この絵を見続けると、悪い姿勢が脳に転写されて、このお嬢さんのような姿勢になってしまうだろう。 (ただし、このお嬢さんが持っているかもしれない、潜在的な作曲能力やアドリブ能力は、この絵からはわからない。)  

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