ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

ピアノを買う前に(私が個人的に)押さえておきたかったポイント(その③:へバーデン結節について)

 

前回の記事:

ピアノを買う前に(私が個人的に)押さえておきたかったポイント(その②のオマケ) - ピアノ方丈記

の続き。 

 

私が「ピアノを買う前に、もう少しちゃんと考えておけばよかったなぁ...」と後から思う③番目は: 

 

③ピアノを弾く指の健康寿命  

「人生を追われるように生きていて、中高年になってようやくホッと一息つけるようになったのを機に、憧れのピアノを買って、暇に任せて練習をし過ぎたら、指を痛めてピアノが弾けなくなりました...」じゃぁ、【:若い時に本多静六翁直伝の「勤倹貯蓄」で怒涛のように働いて蓄えた貯金】を使って、せっかく用意した【:防音防振ピアノ部屋(不動産)+せっかく買った憧れのピアノ】が、無駄になってしまう! 

高齢者について言われる健康寿命は、中高年になってからピアノを始めたり再開したりする人の手や指についても大いに言えることだ、と最近私は身をもって知った。 具体的には、へバーデン結節だ。 詳しくは後日加筆していくが、ピアノを始めた/再開した中高年シニアが、音大受験の中高生と同じような長時間の激しい練習を続けると、指関節の骨が変形してへバーデン結節になる可能性が大いにある、と私は思う、というか、わたしがそうなったから、そう確信する。 私の場合は、左手の小指の先の関節がへバーデン結節になった時点で、これ以上へバーデン結節が進行しないように対策を取り始めた。 具体的には、へバーデン結節になった小指を使わずに弾いたり、ピアノを弾く時間を減らしたり、ケンバンの弾き方を変えてみたり、演奏する曲をスローテンポの曲メインにして、しかも音数を減らしたり、ハーモニー的にどうしても減らしたくないところは指に無理をかけないように狭い音域内で対応したり...と試行錯誤を始めた。 私は、ジャズ・ポップス・インストをアドリブ演奏するのがメインなので、こういう工夫が可能なのだ。 

 

どうして私の左手の小指がへバーデン結節になったか?その理由を、私は一言で言い切れる。それは: 

自分の身の程をわきまえずに無理をしたから! 

である。 

へバーデン結節の原因は「原因不明」やら「中高年の女性に多い」やら「ピアニストやピアノ教師」に多いなど、ネットでいろいろ出てくるが、 

とどのつまりは、その人が、

その人の身の程をわきまえずに無理をしたから! 

に他ならないと、私は確信している。

「ひどい言い方じゃありませんか! 私は子どものころから、ピアニストになるために、一日8時間も9時間も練習して、音大ピアノ演奏科になんとか合格して、在学中も一日中ピアノを練習しまくって、卒業後は自宅でピアノ教師をしながらピアノ演奏仕事のオーディションのために来る日も来る日も一日中練習する生活を何十年も続けてきたら、へバーデン結節になってしまって、それでも治療をしながら今も毎日毎日練習しているんですよ! それなのに、そんな言い方はひどすぎます!」

と言うピアノ教師さんや永遠の'ワナビー'ピアニストさんもおられるかもしれないが、そもそも、そういう人生であること自体が、プロのピアニストに成れる身の程ではないから、ということではないでしょうか。

私が「この人はスゴイ!」と思う超一流のケンバニスト/ピアニストさんたちは、だいたい20歳前後で既にプロの演奏仕事をし始め、20代のうちに業界の一流へのルートに乗り、その後も山あり谷ありだったでしょうが概して順調にキャリアを積んで、現在も頂点で演奏活動を続ける50代以上の人たちですが、彼らに限って「へバーデン結節になりました!悲愴!」なんてつぶやく人は一人もいません。 30年以上も超売れっ子の引っ張りだこで日々多忙に演奏仕事を続けている超一流のプロのケンバニストさんたちのほうが、へバーデン結節になってもおかしくないんじゃありませんか? もちろん、密かにへバーデン結節を患っている人もいるかもしれませんが、プロに限って正直に公表するのはとても勇気が要るものですよ、だって、自分の仕事を失うきっかけを作ることになるから。 自分の下を見れば、かつての自分の分身のような、優秀な若手のケンバニストたちが、自分の足元に連なっていて、自分がコケれば、自分のポジションにサクっと入ってくるのが、目に見えているから、よほどのことがないかぎり自分の弱みを公表するわけにはいかないと思いますよ。 

と、ここで、今一度立ち帰らざるを得ないのが、あの兼好法師さんの『徒然草』の金言です:

⑥ プロと素人の違い。プロは油断することなく慎重に行うが、素人は「自分は上手いから」と得意になってリスクをかえりみずにやって墓穴を掘る。 

ね、700年前に、すでに明らかになっていた、この世の摂理です。 

プロに限って、プロだからこそ、自分の身体について大変用心深く、無理をしないものなんですよ。 

だから、へバーデン結節で関節の骨が変形するほど練習しなければならないというのは、自分の生まれ持った身体スペックでは到底不可能なのに無理をし続けたから、そうなるのであって、だから、

その人の身の程をわきまえずに無理をしたから!

へバーデン結節になったわけです。 そういう人は、プロではないし、プロにはなれないんです。 身の程をわきまえずに無理にゴリ押しして自らをしくじる行為は、素人がやることなんです。 素人はさ、弾けなくなって仕事に穴をあけて自分のキャリアの信頼を損なうことへの恐怖なんて無いでしょ? 素人だから、弾けなくなっても、他の誰も困らないでしょ? プロはそうはいかない! プロが仕事に穴をあけたら、クライアントの歌手やバンドやその事務所の人たちや興行関係者や、共演者のミュージシャンたちに、時間的+経済的な損失を与えてしまうから。 だから、プロは無理をしない、というか、無理ができない!

今現在、第一線で稼働している超一流のプロも、若い頃は無理をしたと思いますよ、いちばん無理をしたのは20代~30代のころでしょう。 そのころに、指を壊したり体を壊しりメンタルを病むこともあったことでしょう。 でも若い頃の怪我や故障は治りも早いし、それ以後は、いかに無理をせずに高品質の仕事をスピーディーに行うかを、仕事を通じて工夫してきたから、50代になっても淘汰されずに生き残っているのでしょう(こんな私ごときでも、20代の頃に仕事で(パソコンの)キーボードを連日長時間叩きすぎて、タイプすると指先に激痛が走って一文字も打てなくなったことがあったけど、その後30年間(パソコンの)キーボードを叩き続けても、二度と同じようなことにはならなかったよ)。 

そう、

人生とは、世の中の淘汰の滝に打たれながら、淘汰されずに一歩一歩上り続けて生き延びていく道程に他なりません

そして、

今現在、業界の頂点で活躍する超一流のプロ一人の陰には、すでに裾野の段階で、あるいは中腹で、あるいは、頂点まであと少しのところで、音楽の才能が足りなかったり、プロ業界に足りる身体スペックが無いのに無理を続けて指を故障したり、メンタルを病んだり、対人コミュニケーションスキルが不十分だったり等で、淘汰されていった何万人のケンバニストたちがいる。

 

どうしてへバーデン結節になるのはピアノ素人なのか?というのは、へバーデン結節になるような人は、残念ながら、既成の楽譜の正確な再現演奏におけるピアニズムのプロ演奏家になれるレベルの身体スペックが、生まれつき無い人だからだ。 具体的には、その曲を楽譜どおりに正確に再現演奏するには指が短すぎる人だからだ。たとえば、

 

① その曲の楽譜には、10度以上の左手アルペジオの連続や、オクターブユニゾンで高速に動くメロディーや、オクターブの4音や5音の和音の方手弾きの連打が常に出てくる。  

 

② そのような曲の楽譜を、たとえば片手でオクターブしかとどかない人が正確無比に再現演奏することは、そもそも物理的に無理なのだ。だって、楽譜に規定されたその音の幅にマトモに届かないんだもん。

 

③ ところが、あきらめればいいのに、子どもや小さな手の大人たちが弾きたがってやまない。 なぜかって?そういう曲の楽譜が、クラシックピアノ教育業界で「上級曲」の楽譜になっているからだ。 誰だって、「上級曲」の楽譜を弾きたくなるものでしょう? それに、音大に行きたければ「上級曲」に挑まざるを得ない。 で、もともと身体スペック的に無理な人たちまで、無理をして「上級曲」の楽譜の再現演奏に挑むわけだ。 たとえば左手の10度アルペジオを再現演奏する場合は、モミジのような左手をめいっぱいに広げて、常時左手を左右に高速水平移動させながら10度のケンバン域をせわしなく動くことになる。 そのとき、左手の、とくにベースラインを弾く小指の着地はどうなっているだろうか、目標のケンバンめがけて、めいっぱいまっすぐに伸ばした小指の先を右斜め上から目標のケンバンめがけて突っ込んでいく。 つまり、突くように着地する。 つまり、突き指です。 これを、その曲の間中何十回も繰り返す。 つまり、突き指の連続です。 ところが、もともと指が短いから、空中を移動する距離が大きくならざるを得なくて動きがブレやすいので、目的のケンバンに上手くヒットできずにミスタッチが生じる。 ミスタッチは減点対象だ! だからミスタッチをしないように何度も何度も何十回も何百回も、そのパッセージを狂ったように練習する➡それだけ突き指の回数が指数関数的に増えていって ➡ 関節の骨が変形! 

 「関節の骨が変形しやがって!悲愴!チクショウ!」ではありません。 あなたの骨は、長期間の突き指の連続によってあなたの指が壊れることから守るために、あなたの指を守るために、太くなってくれたのです。 「悲愴!」でも「チクショウ!」でもない。 「太くなってくれて、大バカ者の私の指を守ってくれて、ありがとうございました!というか、分不相応な欲望のために自分の身体に無理強いした私はほんとうに大バカ者です。すみませんでした!」と、その節くれだった関節に感謝とお詫びを言うべきです。

 

④ 一方で、このような無理な猛練習を狂ったようにする必要が無い人たちがいます。 生まれつき10度に届く人たちです。 届く人たちは10度のケンバンのレンジ(音域)に左手を広げて被(かぶ)せて、指先を下に動かすだけで、10度のアルペジオを難なく弾くことができます。 彼らの指の動きは、ケンバンの上にあらかじめ乗せた指先を下にちょっと動かすだけですから、突き指になることもありません。 それに、そんな小さな動きだけで弾けちゃうから、来る日も来る日も長時間狂ったようにパッセージ練習をする必要もありません、だって、何にも努力しなくても届いちゃうから弾けちゃうんだもん。 したがって、生まれつき届く人たちには、突き指を数百回も繰り返すような狂気に満ちた不条理かつ不合理な練習は、存在しません。 つまり、届く人たちの練習は、指の消耗と損傷が最小限に抑えられるのです。 仮に、届く人が、練習嫌いで怠け者だったとしても、届かない手で一日何時間一年365日10年間練習し続けるマジメで練習熱心な人よりも、確実に届くのです。 届く人が練習熱心かどうかとか、誠実で良い人とか、届くためには全然関係無いんです。 物理的に届く➡弾ける。物理的に届かない➡弾けない。 それ以上でもそれ以下でもありません。 

 

⑤ クラシックピアノの、とくに「上級」にくくられている曲は、届かない人にとっては器械体操のウルトラC技の連続のアクロバットのような曲ばかりです。 これに対して、届く人にとっては、アクロバティックな要素は各段に少ないのです。 だって、手を素早く動かさなくても、手を置くだけで届いちゃうから。 

 

⑥ 私が「この人はスゴイ」と思う超一流のケンバニストさんたちの中で、音大のピアノ演奏家を卒業した、ガチにクラシックピアノ出身の人が2名おられますが、お二人とも片手で11度に届く人たちです。 お二人の演奏動画を見ると、手元の動きがとても少ない。 理由は、届くから、手を水平移動する必要がないからです。 それでいて、音数の多い高速の左手アルペジオを、ほとんど左手を動かすことなく、何事もないような顔で弾いたり、右手でオクターブの4和音の連打を、かるく鍵盤の上に手をのっけて、どの音もブレることなくキッチリ端正に連打する。 彼らのピアノ演奏は、慌ただしい動きが皆無で、静かに弾いている。にもかかわらずピアノから鳴り出る音数が多い! しかも、音楽業界の第一線で30年以上活躍しているのに、指がまっすぐできれいで、指関節に節くれだったところが無い。 それから、プロとして仕事が軌道に乗ってどんどんキャリアを積んでいくと、実際にピアノを練習する時間はどんどん減っていくんだと思います。 それは、キャリアがアップするとともに、実際の演奏仕事が増えるだけでなく、作曲や編曲や音楽監督の仕事が増え、楽譜製作や打ち合わせ業務が増えていくので、単純にピアノを練習する時間がとれなくなっていくからだと思います。 そして実際に、このレベルの人たちになると、リハーサルや実際の仕事における演奏が練習というか演奏技術のメンテナンスになっているはずです。 もはや一日何時間も練習する暇も無ければ必要も無い。 また、仕事(本番)に向けてベストコンディションを持っていくでしょうから、一日何時間も練習して本番前に指が消耗するようなことを避けているかもしれません。 「休むのも練習のうち」といわれるプロのサッカー選手と同じコンディショニング方法をとっているかもしれません。

 

⑥ クラシックピアノで「上級」のくくりになる作曲家に、ショパンとリストがいます。 ウィキによると、ショパンは、38歳でヴァーチュオソ(超絶技巧)ピアニストとしてのキャリアに陰りが出始め、その1年後の39歳で亡くなったそうです。 リストの英語版ウィキには「By retiring from the concert platform at 35, while still at the height of his powers, Liszt succeeded in keeping the legend of his playing untarnished.」とあります。 つまり、コンサートピアニストとしてまだ全盛期にあった35歳でリストは演奏活動から引退したから、「リストも若い時は演奏がスゴかったけど、齢をとったら劣化したねぇ...」などと言われて老い恥をさらすことがなかったので、リストの伝説的な演奏はケチがつくことなく、永遠に伝説となったわけです。 つまり、ショパンもリストも、40歳を迎えずに、ヴァーチュオソ・ピアニストとしては、死んだわけです。 ショパンは40歳手前で文字通りあの世に行ってしまいましたが、35歳から74歳(に死没)までのリストは、音楽監督・作曲家・ピアノ指導者であって、超絶技巧(片手で12度に届くリストにとってはさほど超絶技巧でもなかっただろう)を軽々と弾きこなすヴァーチュオソ・ピアニストとしてのリストは、35歳をもって死んだのです(←リストは、35歳で超一流ピアニストのキャリアにあっさり見切りをつけて、演奏家としての伝説的なトラックレコードを引っさげて、いわゆる「裏方」と呼ばれる芸能界で最も偉い側にまわったわけで、リストの自分の人生の見切り方は見事!というか、「30代で引退」がクラシックピアニストのキャリアの寿命なんでしょう)。 

 

それなのに、巷(ちまた)のピアノ素人たちはどうだろう?

同時代人たちから超絶技巧ピアニストといわれ、リストにいたっては自作曲を余裕で弾ける長さの指を持っていたのに、ショパンもリストも、40歳以降は、人前でプロの演奏家としてピアノを弾くことはなかったのです。 自作曲を実演した超絶技巧ピアニストのショパンやリストでさえも、コンサートピアニストとしての寿命は40歳まで。 クラシックのピアニストの旬は、プロ野球やサッカーの選手と変わらない。 

なのに、40代や50代になっても、どういうわけかあきらめきれずに、一日何時間も練習して「へバーデン結節になりました」なピアノ教師や自称プロのピアニストが後を絶たない。 クラシックピアノの高等専門教育を受けたことを誇らしげに語る彼らは、彼らが音大で専門的に勉強して今も崇拝してやまないショパンが何歳で死んだかや、リストが何歳で現役ピアニストを引退したかを、当然知っているはずでしょう? にもかかわらず、ショパンやリストよりも指が細くて短い人種に生まれて、そのうえ、この大作曲家たちの超絶技巧ピアニストとしての現役年齢を遥かに超えた年齢になっているというのに、いまだに自分を追い込み続けて指を壊すのは、いったい何の呪いなんでしょうか? そのうえ「へバーデン結節になりました」と公言するこれらの人たちは頭がどこか悪いんでしょうか? だって、「へバーデン結節になりました」なピアノ教師からピアノ演奏技術を習いたい人なんて、いないでしょう? 「へバーデン結節になったピアノ教師からピアノ演奏技術を習ったら、自分もへバーデン結節になるかもしれない」って思うでしょう? 「へバーデン結節になりました」と宣言した自称ピアニストさんに、あえて仕事を頼む気にはなれないでしょう?(←でも、平気でそのように宣言する自称'ピアニスト'さんの生活を心配するには及ばないでしょう。おそらくその'ピアニスト'さんの本業はピアニストではないはずです。)

かたや、無邪気な素人ピアノ愛好家は、「50代からピアノを始めてショパンのあの曲を弾きたい!」「シニアのピアノはどれくらい上達するでしょうか?」 弾けるかもしれないよ、上達するかもしれないよ、その老化で衰え行く指に、年齢不相応の無理をかけて来る日も来る日も狂ったように長時間練習し続ければ。 その代わり、弾けるようになるために、これからの老後の人生で最も死活的に必要な、手指の健康寿命を、ピアノの悪魔と取引しなければならなくなるかもしれない。 私は、左手の小指をピアノの悪魔と取引してしまいました。 だから、今ピアノを弾くときには基本9本指で弾いています。 これによって、左手の薬指の負担が増しています。 薬指までやられてしまったら、8本指で弾くことになります。 左手の小指をピアノの悪魔と取引した結果、物事がどんどん弾けない方向に回り始めました。 これをこの世の地獄といいます。 人生全般ではこの世の地獄のダウンスパイラルにおちいることを何とか避けて今まで生きてきましたが、ピアノにおいてはダウンスパイラル(地獄)が始まってしまいました! 私はほんとうにバカの中のバカ!大バカ者\(^o^)/です! とはいっても、私は悲愴な練習でそうなったのではなく、無理すれば届く、弾ける! 弾けると楽しい! 楽しいからやめられない! ちょっとぐらい指が痛くても、楽しくてやめられない! だって、今回の人生ではもう縁がないだろうなぁとあきらめていたピアノを、中高年になって弾ける時間ができて、嬉しかったんだ、とっても嬉しかったんだよ。 だから、いままでの何十年間を取り戻したくて、夢中で弾いたんだ、一日3時間以上ぶっ続けで。 しかも、子供の頃に演奏で褒められたことが一度も無かったこの私が、5年以上姿勢をよくする簡単な運動を続けるなど工夫してきたら、音は良くなるし、ミスタッチは減るし、弾きたいケンバンをますます高速で弾けるようになって、嬉しかったんだ、とっても嬉しかったんだよ。 だから音数をどんどん増やして、複雑なハーモニーを覚えて、アドリブのパーツになるものを覚えて、リハモもすこしずつできるようになってきて、ぶっ続けで弾きまくって。 嬉しかったんだ。とっても嬉しかったんだよ。 そして、夢に見ることすらなかったピアノを手に入れて、家で弾くことができるようになって、「あと40年弾けるとして、ピアノの値段がいくらだったから、[ピアノの値段÷40年÷365日]で、1日当たりのコストがいくらだから、できるだけ毎日、たくさん弾いて、ピアノ代金のモトをとるんだ!という、生来の貧乏人根性が働いて。

すべては、私が、 

自分の身の程をわきまえずに無理をしたから! 

です。 

私のピアノ演奏の全盛期は、左手の小指をピアノの悪魔と取引したことによって終わりを迎えました。 700年前、吉田兼好さんは『徒然草』のなかで「夜空の月も満月になった途端に欠け始める」と書いています。 私のピアノの演奏技術における満月は半年もありませんでした。 これから先は、無理しないで、全盛期の5割ぐらい弾ければ御の字と思って、ゆるく、のんびりと、なるべく長い間ピアノを弾いていられるように、指の健康寿命を犠牲にしないように生きていこうと思います。 満月の期間が1年➡死ぬまで新月(真っ暗闇)よりも、半月の期間ができるだけ長く続いたほうがいいもんね。 それに、そもそも、手の指は、普段の生活というか生物学的サバイバルのために死活的に大切です。 健康で長生きするために指を大切にしなければと思いました。 

さいごに、ピアノに応用できる金言が満載の『徒然草』から、吉田兼好さんの時空を超えた一言で、この記事をシメます:

④ 自分の身の程を知って、できそうもないことはすぐにやめるのが、分別の有る行いである。 

 


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