以下は、20220305にアメブロに書いた記事:
ある超一流のケンバニストさんがリツィートしていた
珠玉の名言集:
アーティストの作品と言葉:
心のド真ん中を射ぬく名言がたくさんあった
(以下、上記リンクからの引用):
道を知っていることと
実際に歩くことは違う。(映画『マトリックス』)
↑ほんとうに心からそう思うよ!
理論を知っててもね、実際に弾けないんだよ!
クラシックピアノの場合は、「指の動かし方」を
ピアノのレッスンで先生に毎回注意されて、
頭ではもう呪文のようにわかっていても、実際に弾けなくて、
頭の中が悲愴にグルグルしちゃってる人、たくさんいるでしょ?
出来る奴は実行し、
出来ない奴ほど教えたがる。(山口貴由、漫画家)
↑だから私は、ほとんどの先生を、信用していない。
まあね、いままでの人生、職場で、
実力の無い薄っぺらな輩ほど、掛け声だけは立派。
真の実力者は、何も言わずにすぐやって、結果を出す。
そもそも二月や三月の修行で強くなるなら、
↑だから私は、
「ピアノの先生のためのジャズレッスン」かなんかに
3か月かそこら通った程度で
ジャズを教えようとするクラシックピアノの先生は
全くもって信用ならない、と思っている。 だって、
「私は根本的に音楽オンチです!」って言っているのと一緒だから。
私なんて、ポツリポツリだけど5年以上続けてきて、
まだほんの入り口に片足が入ったか入らないかだよ。
あなたの大きな夢を萎えさせるような人間には近づくな。
たいしたことない人間ほど、
人の夢にケチをつけたがるものだ。
真に器量の大きな人間は
自分にも成功できると思わせてくれる。 (マーク・トゥエイン、作家)
↑私にとっての前者は、
子どもの頃に習っていたピアノのママさん先生。
大人になってもいちど習った時に
「これを練習しているんです」と持って行った楽譜を一瞥するや
「この曲は(あなたには)無理!」って
尊大に手で払いのける仕草をされたよ
無理なのは自分でもわかっているけど、
「無理!」って手で払いのける仕草って必要?
言われたほうは、どう感じる思う? それから、
そういう失礼な言動は、普通の社会人はしないよ。
「あんた一体何サマ?」だよ!
これに対して
私にとっての後者は、
ピアノを再開後に一瞬習った一流のプロのピアニスト先生。
「ここ、オクターブでユニゾン弾きできます? 自信が無い?
いやできるでしょう!」て言われて、できちゃった
一流のプロの演奏家は、レッスンも一流だった!
これに対して、
ドリームキラーには近づくな!というのは、本当だよ。
ドリームキラーは、人の夢を潰すことで
人から気のエネルギーを強奪する泥棒野郎だ。
壁は自分自身だ。 (岡本太郎)
↑その通りだ!目の前にある壁は、自分が作っているんだ。
まずは、なにはなくとも、自分の魂を自由にしてあげるんだ!
ドリームキラーなんぞに、自分の聖なる気を吸い取られるな!
自分の聖なる気は、自分の心の神殿で、
自分のために燃やせ!
魂が自由になれば、もはやそこに壁は無い。
他にも、矢沢永吉の名言や作曲家の言葉もあった。
真の芸術家だ。
*上述の「ケンバニスト」という言葉によって、私は以下を意味しています:
ケンバニスト = 複数の種類の鍵盤楽器を自在に操り、作曲・編曲・即興演奏を自在にこなし、時には演奏現場での音楽監督や、レコーディングのエンジニアやプロデューサーまでもこなす、B-to-Bのプロ音楽業界で活躍する本当の意味でのプロの音楽家のこと。 「ピアニスト/キーボーディスト/作編曲家/音楽プロデューサー....」って書くのが長ったらしいので、僭越ながらすべてひっくるめて「ケンバニスト」と書いています。
tokyotoad
もとの記事@アメブロ:
おんがくの道もすべての道も照らしてくれる名言集 | おんがくの細道
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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。
「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。
tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。
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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。