ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

超一流ミュージシャンたちの対談

以下は、20220322にアメブロに書いた記事:

 

超一流ミュージシャン兼経営者ふたりの対談動画を視たよ!

 

対談の内容が深過ぎ!

音楽だけなんてもんじゃない

人生全体の学びになりまくり!

 

ケンバン界の重鎮中の重鎮、武部聡志さんと、

いきものがかり水野良樹さんという、

音楽業界における超成功者二人の対談。

 

対談を通してさりげなく常時繰り出される珠玉の金言に加えて、

二人の、全然エラぶらない

謙虚で人当たりの良い話しぶりが、

厳しいビジネス業界における成功者であることの

わかりやす過ぎる証(あかし)だ。

 

本物の実力者、成功者ほど、

謙虚で、人にイヤな感じを与えない。

大人の社会の超常識。

 (↑上記の正反対の非常識な人のケースを、

   このリンク先の記事に書いたよ。

   超一流のプロと、素人稼業の、大違いが、

   絶望的にわかるよ...

 

私がキーボーディストの凄みを肚(ハラ)で感じたのが、

武部聡志さんのキーボード演奏だった。

30年以上も前の、ユーミンのコンサート。

巨大ホールでのコンサートで、私の席からは、

ユーミンもバンドやコーラスの人たちも

豆粒ほどの大きさにしか見えない。 その中で、

大きな存在感を放つ、武部さんのキーボード演奏。

他の皆さんの存在感もそうだったろうが、

ケンバン好きの私にとっては

武部さんのキーボードを、ひときわ凄く感じたのだろう。もちろん

巨大ホールだから、音の鳴りとか、

音響スタッフの人たちの仕事もあったとは思うが、

ステージ後方上段に「コの字型」に据えられたキーボードに

囲まれて座って演奏しつつの大きな存在感に、

キーボードってほんとにスゴいな、カッコイイな~!と思った。

それから何十年後に、あるピアノ会で、

キーボード男子さんとご一緒したことがあるが、

その人いわく: 「武部聡志さんは、神です!」

やっぱりそうなんだ~! って思った。

 

水野良樹さんが、 動画の中で、

小田和正さんと一緒に仕事をした時の話をしておられるが、

ロスコー・ミッチェルさんと仕事をした時の話をするクレイグ・テイボーンさんが

寸分たがわず同じ内容を語っていたのを、思い出して背筋がゾクッとしたよ。

洋の東西を問わず、

超一流って、同じなんだね...。

一流の若手にダメ出しするポイントが、まったく同じ! そこが、

一流以上と二流以下を分かつ、決定的な分水嶺なんだね...。 

そして、

超一流の大御所から一流の若手への渾身のダメ出しは、

一流の若手にとって、超一流への切符なんだね。

 

超一流の本物のご本人たちの言霊に満ちた言葉を

ご本人たちの口から直接聞けるようになった世の中になって、

ほんとうに有難い:

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむ風流への道を歩くピアニスト

 

*「ケンバニスト」という言葉によって、私は以下を意味しています:

 ケンバニスト = 複数の種類の鍵盤楽器を自在に操り、作曲・編曲・即興演奏を自在にこなし、時には演奏現場での音楽監督や、レコーディングのエンジニアやプロデューサーまでもこなす、B-to-Bのプロ音楽業界で活躍する本当の意味でのプロの音楽家のこと。 「ピアニスト/キーボーディスト/オルガニスト/作曲家/編曲家/音楽プロデューサー....」って書くのが長ったらしいので、僭越ながらすべてひっくるめて「ケンバニスト」と書いています。

 

もとの記事@アメブロ

超一流ミュージシャンたちの対談 | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。