ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ道楽の日々

ブログの名前を変更しました

 

今日、このブログの名前を「ピアノ方丈記(ほうじょうき)」に変更しました。

 

 いままでは「音楽の彼岸のピアノ遊び」でした。

 そのまえは「おんがくの彼岸(ひがん)」でした。

ブログの名前を変えただけなので、いままで書いたコンテンツも、これから書くかもしれないコンテンツも、すべてこのブログ主である私(tokyotoad)のものであることは、これまでもこれからも変わりません。

 

どうしてブログ名を「ピアノ方丈記」に変えたかというと、

 

鴨長明(かものちょうめい)さんによる

方丈記(ほうじょうき)』に、私にとっての

大人の理想の楽器遊びの様子が書かれていた!からです。

 

日本で義務教育を受けた人ならだれでも知ってる鴨長明さん(1155~1216年)が書いた、これまた誰でもタイトルは知っている鎌倉時代初期の随筆『方丈記』。そして、

これまた誰でも暗唱できる、この随筆をとおして一貫してさく裂する「この世って無常だなーっ!無常すぎるっ!」というテーマを一言で言いきった出だしのツカミ「行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。」 そして、これに続く文章「世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」って、今でもそうだよね! だってさ、私が子どもだった昭和40~50年代と、就職して社会で働き始めたバブルの頃と、2000年前後の頃と、2011年以降と、2020年代の現在と、世の中すっかり様変わりしてしまった! 「いや~、世の中無常だなーっ!無常すぎるっ!」と思わずにはいられないよって、あれ?鴨長明さんと同じように感じている自分がいるよ。 かくして、どうして『方丈記』が800年の時空を超えて今なお「日本三大随筆」に数えられているのか、よく身に染みて分かったのでした。 

 

ちなみに、「日本三大随筆」は、いうまでもなく、清少納言さんが平安時代に書いた『枕草子』と、鴨長明さんの『方丈記』(鎌倉時代初期)、そして、吉田兼好さんによる『徒然草』(鎌倉時代末期)ですが、やっぱりね、この三つの随筆は、それぞれの著者の世の中を真理を見る目の鋭さ、というか辛辣(しんらつ)さが、時の試練を突き破り続けてきたから、21世紀の人の胸に今でも深く刺さってくるし、「人間ってさぁ、1,000年経ってもぜんぜん変わってないね~」って、読んでいるうちに何となく笑えてくる。 個別ベースでは、『枕草子』はなんといっても、「春はあけぼの」の言い切り!が時空を超えて強力すぎ! そもそも、清少納言さんが言い切った「春はあけぼの時がいちばんいとをかし!」っていう言霊の呪縛に日本が1,000年間も疑うことなく縛られていること自体、清少納言さんの文章力がすざまじいってことだよ。 だってさ、春なんだから、他の時刻だってじゅうぶんにいとをかしだよ。 午前中はうららかな春の陽気にホンワカしていとをかしだし、午後だってお日様ポカポカでいとをかしだし、夕暮れだってふんわりしていていとをかしだし、春の宵の朧(おぼろ)月夜だっていとをかしでしょ? なのに、日本全国「春はあけぼの時がいとをかし!」って1,000年間も信じて疑わないんだから、清少納言いと恐るべし! 『方丈記』は、世の中の移り変わりがもはや「もののあはれ」なんていう「おセンチ(=センチメンタル)」な感傷なんてものじゃなくて、自然災害や疫病や飢饉が次々と人間社会に襲いかかるリアルな現実イコール「無常!」が、これでもか!これでもか!とクドいほど書き連ねられた挙句(あげく)に鴨長明さんが「もう世の中やんなっちゃった!オレ山にこもる!」ってなる展開がまさに無常! そして吉田兼好さんの『徒然草』に関しては、「『徒然草』って、こんなに面白い本だったんだね。なのに、どーして中学校の古文の教科書にはつまんないエピソードしか載ってなかったんだろう? あ、そうか!『徒然草』の中の面白い話って、ほぼ例外なく、偉いお坊さんや貴族のトホホなやらかしを薄ら笑う話ばかりだから、教科書に載せにくいんだろうね!」だしね。

 

話をもどして、

そんな鴨長明さんの方丈記(出典:青空文庫)に、こんなくだりがあったよ!:

もしあまりの興あれば、

しばしば松のひびきに[琵琶で]秋風の楽をたぐへ、

水の音に流泉の曲をあやつる。

芸はこれつたなけれども、

人の耳を悦ばしめむとにもあらず。

ひとりしらべ、ひとり詠じて、

みづから心を養ふばかりなり

 ↑[琵琶で]と補足したけど、鴨長明さんは琵琶と琴をたしなんでいた。 平安時代末期の京の都で生まれ育った鴨長明さんは、火災や竜巻や地震の度に都の街並みが無残に破壊され、飢饉や疫病の度に人口が激減し、挙句の果てにお上(かみ)が強行した大阪への首都移転に人々が翻弄される様(さま)を目の当たりにして、「無常だなーっ!この世は無常すぎるっ!」と、激しく無常を感じ続けた末に、とうとう山の中に引きこもって、自然災害が来そうなときにはいつでも分解して安全な場所にどこへでも持ち運べてすぐに設営+居住できる、床が3メートル四方(=方丈)の移動可能な仮設住居で晩年を過ごし始めた。 その際に持ち込んだ身の回りの品の中に、琵琶と琴があったのだ。 そして、ようやく安心して暮らし始めた山中の仮設住居で、気分が乗ると流行りの歌「秋風」や「流泉」を琵琶で弾き語りするのだが、

芸はこれつたな[い]けれども

[山の中にたった一人で住んでいて

自分のほかに聞く人なんて誰もいないから]

人の耳を悦(よろこ)ばしめむ[ために弾くこ]とにもあらず。

ひとり[で]しらべ[=弾いて]、

ひとり[で]詠じて[=歌って]、

みづから[の]心を養ふ[=充実させる]ばかりなり 

と、まさに、

鴨長明さんは大人の理想の楽器一人遊びを800年前に実行していた人だった 

これにいたく感動した私は、このブログの名前を「ピアノ方丈記」に変更しました。

 

私は、鴨長明さんの『方丈記』を、原文も現代語訳も青空文庫で閲覧しました。大正~昭和期に活躍した文筆家の佐藤春夫さんの現代語訳がとても読みやすく、また、鴨長明さんが、京の都が激変していく様子に「この世は無常だーっ!無常すぎるっ!もうどこに住んでいても安心できない!」とパラノイアのように書き立てていく感が、そこはかとなく笑えてくる(失礼!)ので、とても面白く読みました。 

吉田兼好さん著『徒然草』は佐藤春夫さんにによる現代語訳の文庫本を苦笑失笑しながら読みました。人間のトホホぶりって700年前からぜんぜん変わってないんだね~。徒然草』には、「日本は律旋法で、中国は呂旋法」など、終わりの部分のほうには当時の音楽についての記述もあって、音楽的にも興味深い本だと思いました。 私は、中学の古文の時間に『徒然草』の「関東人と関西人の違い」に関する興味深い一節を習って以来、いつか読んでみたいと思っていました。そして、40代の頃、関西から東京に転勤してきた人と職場で一緒に仕事をしたことがありましたが、その時に「関東人と関西人って『徒然草』の時代から変わっていない!」と感動的に思ったのでした。関東人の私は、その関西人が言っている本音を理解するのに1分くらいかかってしまいました。ガサツな関東人に対してはそんな回りくどい言い方しないで単刀直入に「ここ違っているんとちゃう?」って言ってくれた方が、「この人一体全体何が言いたいんだよっ!」ってこっちがイライラしなくて済むから親切だよ!と個人的に思いました。 

そんな吉田兼好さんの『徒然草』から、ピアノに応用できる珠玉の金言を集めた記事も書きました( ↓ )

 

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