ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

絶対音感は回復することがあるかも(私見です)

 

絶対音感相対音感のことについて、数年前から、自分の体験したことや見知ったことを書いてきました。 

 

そして、ここ最近(2023年)、自分の体験から、また気が付いたことがありました。 それは、

 

音楽の趣味を中断してから20~30年経ったときに、子供の頃にあった「絶対音感なるもの」が半音~全音ズレてしまった場合、その時点から音楽を再開して何年かつづけていると、また「絶対音感なるもの」が戻ってくる場合がある。 

 

ということです。 私の場合は、50代前後でピアノを再開した当時は「絶対音感なるもの」が半音~全音ズレてしまっていて、「音感ドリル」をやってもぜんぜんできなかったのですが、当時から数年経った現在、「絶対音感なるもの」が戻ってきたようで、聴いた曲のキーやコードがわかるようになってきました。 

しかも、ケンバン上の半音ベースですが、子ども時代より音感が鋭くなったと感じます。 理由は、子ども時代に習ったものよりも複雑な音楽に接しているからだと思います。 だから、子ども時代と同じ音楽をやっていれば、子ども時代と同じ音感まで戻るということだと思います。 

それから、ズレてしまった状態で狂ったように「音感ドリル」をやっても本当に発狂するだけだと思いました。 そんな、できない自分に鞭(むち)打ってますます挫折感で発狂していくよりも、ある意味、明(あき)らめて、何にも考えずに自分がやりたい音楽に無理のない程度でちょっとずつ挑み続けていれば、ちょっとずつ音感が再びできてきて、何年かたって、「いま聴いている曲のキーはこれかな?なぁんてね、どーせ間違っているけれど、ためしに電子キーボードで押さえてみたら、あれ?当たってたよ!」みたいなことが頻発するように、私の場合はなりました。 相対音感については、子どものころにやってみたかったジャンルの音楽を大人になってから自分で工夫しながら楽しんで続けているうちに、子どもの頃よりもはるかに向上したので、とても便利になりました。

 

つまり、絶対音感なり相対音感なりも、他のあらゆるものごとと同じで、「慣れ」なんだなぁ、と私は思いました。 よほど先天的な問題がある場合を除いては、人間、どんなものごとでも、ずっと何年も続けていれば、そのうち慣れてできるようになる、それだけのことだと思いました。 昭和50年(1975年)前後から、家庭用カラオケ機が普及し始めましたが、当時の大人たちにはオンチの人が少なからずいて、私のおじさんなんか休符感覚もまるでありませんでした。 ところが、今の人たちはどうでしょうか? アウトサイドに行きまくりとか13.5拍子みたいな音楽じゃなくて、一般の音楽については、オンチやリズムオンチの人はとても少ないと思います。 つまり、カラオケの普及によって日本人全体の音感とリズム感が著しく向上したのです。 一方、今世紀に入る前後にはオンチの西洋人が少なからずいたという感じを私は持っていましたが、日本のカラオケ文化が欧米に広がって以降は、オンチの西洋人も減ったのではないか、と思っています。 それから、21世紀以降西洋人が器用に使えるようになったものに、お箸があります。 これも、フジテレビの「料理の鉄人」がアメリカのケーブルテレビかなんかで放送されて、日本料理への関心が高まり、アメリカを皮切りにお箸を使う人たちが増えて使い方を学習し始めたからだと思います。 昭和の頃は、お箸を使おうと思う、または使える、使えたとしても器用に使える欧米人なんて、ほとんどいなかったよ。 だから、慣れなんです。 中国人だって、ついこの間までは、お刺身やサラダなんて食べなかったんだよ(中国の生魚や生野菜には寄生虫(の卵)がついていたから)。 それが、食品加工と農業の衛生管理基準が整備された日本の人たちが食べているのを見て、お刺身やサラダを食べるようになったし、かつては、日本に旅行に来ても、水道水による食中毒を心配して熱いお茶しか飲まなかったのに、(浄水技術が世界最高の)日本では水道水を飲んでも平気なことを学習したら、今では冷たい水も平気で飲むでしょ。 だから、慣れなんです。 つまり、地球上のヒトであれば、他のヒトがやれていることだったら、だいたいのことは何でも学習して慣れるようになるんです。 「慣れがすべて」なんだと思います。 

 

音感だって、学習と慣れなんだと、私は実感しました。 仕事でスケジュールがギュウギュウに詰まっている一流以上のミュージシャンたちの相対音感絶対音感が60代になっても全く衰えないのは、何十年間も連日連夜演奏や作編曲の音楽仕事漬けの毎日を送っているからでしょう。 一方、どんなに子供の頃にピアノ漬けで「絶対音感なるもの」誇っていた人でも、社会に出てから何十年もブランクがあれば、オンチになってしまうのだと、私は思いました。 何事においても、「ブランクが有るとは、その能力が衰えてしまって、もはや昔のようには出来ない」ということなのだと、私は思いました。 つまり、「以前はものすごくできたことも、今ここで実際にやってできなければ、過去の輝かしい経歴や学歴には何の値打ちも無いばかりか、ひどい場合は、法螺(ホラ)や虚偽(ウソ)になる」という視点を持って、その人の今現在の実際の能力を判定することが、自分がカモられて損をしないようにするコツです。

 

アコースティックピアノと電子ピアノしかやったことがないので、想像するだけなのですが、養われる音感の鋭さは、楽器の種類によって異なる気がします。 

アコースティックピアノの場合は、チューニングを調律師さんがしてくれるうえに、各ケンバンの音が固定されていて、しかも半音刻みなので、半音刻みのケンバン上の音を認識&特定できるレベルまで音感が育つと思います。 

同じケンバン楽器でも、ケンバン付きシンセサイザーなどの電子ケンバン楽器の場合は、音を「曲げる」ことができたり、キーボード全体のキーを「ずらす」ことができるので、アコースティックピアノをやるよりも音感が鋭くなると思います。 

ギターの場合は、弾く前に毎回チューニングを自分でしなければならないので、ケンバン楽器をやるよりも音感が鋭くなると思います。

三味線やヴァイオリンに至っては、弾く前のチューニングが必須なのはもとより、ギターのようなフレットすら無く、さらには、演奏中に特定の弦のチューニングを緩めたり元に戻したりする曲が存在するので、ものすごく音感が鍛えられると思います(伝統的な三味線の作品に、そういう曲があって、三味線奏者さんの演奏をライブで観ていた私はビックリ仰天して、いつかやってみたいと思っていた三味線をますます畏れるようになってしまいました(が、やり続けていればいつかは学習して慣れて必ずできるようになるのだ)。 ヴァイオリンでは、現代音楽にそのような作品があり、また、インプロ系のヴァイオリニストの即興演奏において開放弦で弾きながら特定の弦のチューニングを緩めたり元に戻したりして音を「スライドさせる」場面が見られます)。 

 

昭和の名著、竹内敏晴氏の『ことばが(ひら)かれるとき』の中で、「生まれつき聴力に障害があった自分は、子ども時代に聴力改善のために、まずピアノを習わせてもらったのだが、聴力が改善しなかったので、次にヴァイオリンを習わせてもらったら聴力が大きく改善した。ピアノは楽譜という視覚情報を見て鍵盤を押すだけだから、聴力の改善には効果が無かったのだろう」という内容がありました。 これに対してヴァイオリンは、自分でチューニングをしなければならないうえに、耳をこらして自分が弾いた音(=聴覚情報)と弦を押さえる位置情報の摺(す)り合わせを行うことを要求されるから、ヴァイオリンのほうが聴覚を鋭くする効果があるのは当然のことだなあと、私は思いました。

 

20230528に追記: 以前、マトリョミンで日本のヒットソングを歌う(←って本当に歌っている感じだった)人を間近で見たときのことを、思い出したよ! テルミンに至っては、音(聴覚情報)と、演奏する空間の3D(三次元)位置情報とのすり合わせになるから、音感がものすごく鍛えられるのではないかと想像します。

 

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以下は、今まで書いた、「絶対音感相対音感」に関する記事:

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