ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

音程を「わざと外した」曲

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古いブログに書いた記事のコピペです:

 

===20180506=====

グローバルな人気ユーチューバー&音楽プロデューサーさんの動画シリーズで、ロックやポップスの曲について、その曲のどこがどうすごいのかを、音楽理論や音楽製作の視点で解説する動画があって、

 

The Police の曲の解説で、この曲の音程は「標準の」音程から「外れて」いるが、おそらく録音した後でテンポが遅いと感じたのだろう、録音テープ(当時)の再生スピードを早めて最終音源にしたのではないか。だが、「標準の」音程から「外れて」いることが、かえってこの曲に独特の雰囲気を与えている。

 

と語っていて、前から思っていた疑問が晴れた気がしました。私が不思議に思っていた曲は、稲垣潤一さんの「夏のクラクション」です。この曲のCDをかけて、キーボード(ピッチを操作していないので標準音程のはず)でなぞって弾くと、キーがAbから少し下に「外れ」ます。

 

そうそうたる人たちが希代のボーカリスト稲垣潤一さんのために作った曲。もちろん商業的なヒットを狙って製作されたから、戦略的に音程を「外した」んだろうなぁ?と思っていましたが、それが裏付けられた気がしました。「夏のクラクション」の曲の全体に漂う、いい意味での夏のけだるい雰囲気は、そこから醸し出されているのかな(もしかしたらA=432hzにチューニングしているのかな?)。

 

こういう時に、ギターやベースなどの弦楽器は、音程を自分で調整できるから便利ですね。鍵盤楽器も電子のものだと簡単ですね(エレピはどうなんだろう?クラヴィコードもできるはずだよね、でも弦が多すぎる?10本の指ぜんぶで音を出せるようになった弦楽器の、どうしようもないトレードオフだね。。ハープもそうだね。。)。

 

西洋でも古い音楽を演奏する時は今より低めの、当時のピッチにチューニングして演奏するんだってね。

 

小島美子さんの本で、日本のある離島に行った時に、現地のある人が、歌の雰囲気を出すために意図的に特定の音の音程を下に「外して」歌うのに出くわした、と書いてあった。それを読んで嬉しくなった。

 

というのは、私も音程を「外して」歌うことがあるからです(ただ、その人よりもかなり低次元の、ただのウケ狙いですが)。かつてカラオケで、高度成長期の昭和のアイドル歌手の歌を、わざと音程を微妙に下に「外して」歌ったところウケたので、2コーラス目は音程をもっと派手に、しかも上にも下にも「外して」、最後はもう音程すらなくなってリズムと抑揚のついた詩の朗読のように歌ったら、さらにウケたので、それ以来私の十八番になりました。

 

昭和の高度成長期のアイドル歌手は、わざと下手に歌うように指導されていなかったので、ちゃんと音程をキープして歌っていたと思います。だけど、なぜか音程を微妙に下に「外して」歌うと、そのアイドル歌手に似るんです。コロッケさんが、ちあきなおみさんや岩崎宏美さんの物マネするような、デフォルメが効くんですね。ちなみに私は子どもの頃その昭和のアイドル歌手が一番好きでした。

(その後の時代になっていくと、歌が上手くても、あえて下手に歌うように指導されたらしい。松田聖子さんの初期のレコードとか。「アイドルは欠点で愛される」というマーケティングだね。河合奈保子さんのデビュー曲もわざと下手に歌っている感じがしたよ。そして人気が定着してから持ち前の歌唱力を如何なく発揮し始めたような気がする。「アイドルは欠点で愛される」戦略は、おそらく、浅田美代子さんからだろうね。顕著な例は、大場久美子さん:〽大人にな~れば~チョコレートー食べて~...の歌の下手っぷり。でも、「当時下手に歌うように指導されていた」と、近年のBS歌謡番組で明かしていた)。

  

音程といえば、西洋音楽は伝統的に12音階ですが、もっと音程が細かいトルコでは、西洋音楽の表記である「♯」や「♭」をベースに、独自の記号を作ったんだって(何かの動画で見た)。

 

もっとも、エレキギターやバイオリン、三味線などの弦楽器は、人間の声といっしょで、音をウィィーンと曲げることができるし、チューニングを微妙にずらせる。インプロブ演奏のジャズで、バイオリンをオープン弦で弾きながら左手で弦を緩めたり巻いたりして音をワイドレンジでスライドさせる人もいる。

 

20世紀に入ると、演奏中に半音未満の微妙な音程の調整を指示する曲を作曲家が作り始めて、演奏者も大変なんだね。絶対音感相対音感に関わらず、プロの演奏家はもはや12音階だけでは話にならないんだね(リズムや拍子も不規則で複合的になって、もう4拍子3拍子の世界ではないもんね)。

 

2020年2月追記:

野呂一生さんのバンド、インスピリッツから、432hzのチューニングで作ったアルバムが出ていて、聴きました。 野呂サウンドがまろやかになったように聞こえて、ほっとする音です。

野呂一生さんが通った小学校では、音階を特別な方法で習っていたということを、ネットのインタビュー記事を読んで知った。 野呂さんの音楽のベースは、そうだったんだね、納得したよ。 公立の小学校の音楽の授業で、高度な音楽教育がなされていた。 野呂さんが子どもだった当時は、公立の小学校に気鋭の先生たちがいたことが想像される。 戦後の日本が、アメリカからの自由の風土のなか、焼け跡の灰から青竹のようにグングンと伸びていた時代。 良い時代だったんだなぁと感慨を感じる。 野呂一生さんの歴代のカシオペアや、彼らと双璧を成す歴代のスクエアは、戦後の日本の音楽の立役者の重要な一角として重要無形文化財(人間国宝)の価値、少なくとも勲章の価値は有ると私は思う。

とはいえ、勲章をもらうことを逆に不名誉に感じるミュージシャンもいると思うので、よくわかりませんが。 「芸術家はメインストリームの外でアブナイことをやっているからこそ価値がある」という矜持を持った人が多いと思うので(バンクシーだって、いろんなところに勝手に絵を描いちゃう、公共物汚損のヴァンダリズム野郎だもんね)。 明治以降、日本の国立の芸術大学は、世界的に申し分のない実績を上げた坂本龍一を輩出するために存在したと言えるかもしれないけど、当の教授とYMOがそれを察知して、ステージで旗を振ったりして、勲章をもらうのを巧妙に避けちゃったかもしれないしね、わかんないけど。 ノーベル賞の主催者もさぁ、ボブ・ディランが授賞式に顔を出さなくても「あ、やっぱし来なかった? やっぱしね~....。 ハラヒレホロヒレ...」ってみんなでズッコケたら、粋な展開になって野暮にならなかったのではと思うんだけどね。)

 

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