ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

疫病除けのおまじない&祝祭音楽

 

戦争や政変や自然災害やパンデミックなどの有事の際には、生命の維持に関係のない音楽などのエンターテインメント(芸術)産業が、いちばん打撃を受けます。 いざという時には、1枚のCDよりも、コップ1杯の水やひと巻きのトイレットペーパーのほうが価値があるからです。

 

人は、食べ物や日用必需品を求めて現実的になると同時に、情報が錯そうして社会心理が不安定になると、神仏の力を借りたいと思い始めるのも、これまた人の常です。

 

そういえば、幕末にコレラが流行ったときに、人々が玄関にコレラ除けのお札を貼ったという話があったなぁ、と思い出しました。

 

高橋敏氏の『幕末狂乱(オルギー) コレラがやって来た!』という本を見つけたので、さっそく読んでみました。

江戸時代の人々が書き残した文献の部分は、文章が古くて読みにくい!ので、すっとばしながら読みました....。 幸いにも、ほとんどの文章は著者の高橋氏による解説&考察なので、当時の様子が把握できました。

 

インドの風土病コレラは、イギリスのインド&地球の半分の地面の植民地化や、そのほかの欧米諸国の世界中の植民地化にともない、欧米とインド間で交易を行い全世界の植民地を行き来する西洋人がコレラウィルスのキャリアー(運び屋)となって、コレラは世界中に広まったそうです。

(たしか、北米では、西洋人が現地のイヌイットコレラウィルスを移して、住民が全滅したイヌイットの村もあったと、20年ほど前にイギリス人から聞きました。)

 

コレラウィルスは、日本では1822年に、対インド戦争のイギリス軍兵士の移動によってもたらされ、西日本で流行するも、静岡県より東には広まらなかったそうです。

その後、1858年に、アメリカの軍艦が長崎にやって来たのと時を同じくして、コレラウィルスが長崎に広まり、長崎⇒西日本⇒関西⇒東海道⇒江戸に達して、多数の死者が出たそうです。

 

江戸市中では数万人以上が死に、農村部では壊滅状態となった村も出たそうです。人々はコレラウィルスを、感染するとすぐ死んでしまうことから「コロリ」と呼ぶようになり、開国に揺れる幕末当時の人たちは、「コロリ」ウィルスを「アメリカ狐」とか、「イギリス疫兎」(←『不思議の国のアリス』の3月ウサギみたいだね)と名づけ、「異国からの妖怪」化して、「コロリ」除けに効きそうな文言を書いたお札を戸口に貼ったり、村の代表者が秩父三峯神社のお犬様(ニホンオオカミを神格化したもの)へ出向いて護符をもらってきたり、村の境界に鎮座して村を外敵から守る塞ノ神に祈りを捧げたりと、神仏に願って疫病をお祓いするお祭りイベントを行ったそうです。 

 

神様を祭る、お祭りに欠かせないのが、音楽(歌と鳴り物)と、踊りです。 

得体の知れない疫病の恐怖で、メンタルのメーターが降り切れてしまうと、人々は逆にハイになってお祭りに走る、と、高橋敏氏の本から知りました。 不安や恐怖が耐えられないレベルに達すると、人は、ある意味吹っ切れて、祝祭ムードになってしまうようです。 お祭りは、メンタルが破たんしそうな時の自衛行為でもあるようです。

 

生命を脅かされる恐怖の先にあるのは、楽器を鳴らし歌い踊る、トランス状態。 死にたくない、生きたい!という、いのちの爆発。 おんがくの起源。

 

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