おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」の大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

実るほど頭を垂れる稲穂かな

 

以下は、20211027にアメブロに書いた記事:

 

一流のミュージシャンになればなるほど、

仕事が一級品であるうえに、

人当たりが良くて、

仕事に柔軟に対応するし、融通も効く。

 

どうしてわかるかって?

 

この世の中、

どんな業界でも、どんな仕事でも、

そういう人しか一流になれないから。

 

「でも、トップに立つ人は、交渉で手ごわかったり、強い物言いをすることもあるよ」

 

という意見もあろう。 だが、

トップに立つ人は、自分の身勝手でそうするのではない

自分の神輿(みこし)を担いでくれている沢山の人たち、つまり、「お陰様」のために、鬼になることがあるのだ

 

駆け出しの頃は、誰もが「俺が俺が」「私が私が」だ。

でも、何度かしくじりを経験するうちに、

人に感謝することを学んでいく

自分が仕事ができるのは、

周りの人たちのお陰なんだ、ということに、気がついていく。

「お陰様」たちのお陰なのだ。

 

そして、上に登りつめたときに、

もちろん自分も死ぬほど苦労したけれど、

お陰様たちが神輿を担いで

自分を乗せてくれているんだ!

ということに、気がつくのだ。

 

だから、どんな人にも、心から感謝するようになる。

人を悪く言ったり、人のせいにするようなことは、

一切言わなくなる。

お陰様の顔を公に潰すなんてことは絶対にしない。 逆に、

お陰様に公に感謝するようになる。

お陰様たちは、自分たちの陰ながらの貢献を感謝されたことを嬉しく思って、そのことを、ずっと覚えている。

だから、「お陰様」たちは、

いざという時に、神輿を担いでくれるのだ。

 

トップにいる人たちは、

明るく、朗らかで、人当たりが良く、

人に悪い感じを起こさせない。

控えめな性格の人も、謙虚で感謝の念を持っている。

神輿を担いでくれているお陰様をリスペクトしている表れだ。

 

今、ここに、自分が、こうして、息をしていることは、

世間の人たちが支えてくれているお陰なんだ。

という、感謝の気持ちを持って、

目の前の仕事を、手抜きをせずに、ひとつひとつ有難く務めていくと、

知らないうちに、とても高い所に上がっていて、

ますます世間に感謝するようになる。

好循環の人生だ。

 

世の中では、

お陰様に常に感謝しながら、

自分とお陰様のために汗した分だけ、

神輿に乗せてもらって上がれるようになっている。

 

何故なら、

お陰様に常に感謝しながら、

汗をかいて働いて世間に貢献することは、

世間が自分に与えてくれたバリューを、

自分の働きで付加価値を付けてちょっとだけ大きくして、

世間にお返しすることだからだ。

これを無限に繰り返していれば、世間は、

「この人は、世間が良くなり栄えるために尽くしてくれているから、

もっと高いポジションに上ってもらって、ますます世間に貢献してもらおう」

と、思うのだ。 だから、

お陰様も喜んで神輿を担ぎ続けてくれるのだ。

 

反対に、

お陰様一人一人の汗の結晶である世間のバリューを、

ロクに感謝もせずに当然のように享受するわりには、

うまくいかないと世間のせいにしたり、

世間の評判を落とすようなことを平気で言う輩(やから)は、

お陰様の一人一人が汗して蓄えたバリューを棄損するばかりなので、

お陰様たちは離れていき、 代わりに

寄生虫のようなタカリ屋ばかりが近寄ってくるようになる。

世間に平気で厄介ばかりかける人間が転落するスピードは、あっという間だ。

カネを持っているうちは、タカリ屋たちはヘコヘコしておべんちゃらを言って神輿を担いでいるが、

「コイツはもう神輿に乗っけておいてもカネにならないな」

と見切った瞬間に、

一斉に手を放すからだ。

そこには、お陰様たちは、一人も居ない。

そして、落ちていく先は、厄介な世界だ。

 

そういう意味で、世間は、世の中は、フェア(公正)に出来ている。

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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