ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

有料ライブ配信、音楽教室の著作権使用料の支払い

 

①有料ライブ配信 と、②音楽教室著作権使用料の支払い について、

思いつくままに記します。

 

①有料ライブ配信

ミュージシャン/芸人やライブハウスやイベント主催者がライブ動画を配信して、それを自宅や遠隔地にいるファンやお客さんが有料で視聴できて、その売上が演者に入るような仕組みがあると、演者の収入になるし、ファンやお客さんも自宅にいながら好きな演者さんのライブを楽しめる、そんな仕組みや配信サービスがすでにあると思うが、個人やお店ベースでも可能ではないかと思う(音質や画質が悪ければ、割安の料金で配信しても、売上アップの可能性はあるのではないか)。

と思うのは、昨今のパンデミックによって不要不急の外出を避ける人たちが激増していると同時に、エンターテインメントのイベントがのきなみ中止や延期になっているからです。 明治維新が起きたときに三遊亭圓朝が失業を懸念したように、有事において最も打撃を受けるのはエンターテインメント産業ですから、エンターテイナーはその覚悟を持ってその生業を選んでいることでしょう。 とはいえ、エンターテインメント(文化芸能コンテンツ)産業には平時における経済価値があるのも事実で、お金が入ってこないと廃れてしまう(1980-90年代のJ-popに名曲が多いのは、重厚長大日本株式会社が「24時間働けますか」の企業戦士たちによって世界中で稼ぎまくった富が、彼ら労働者に落ち、彼らの個人消費に依存する音楽業界が大いに潤った時代だったからです)。 音楽なり芸能なりのコンテンツを創出し演じる人たちが生計を立てていけるような収入源の確保は一定の重要性があります。

こう思ったのは、昨今のパンデミックの影響もありますが、遠隔地で開催されるフェスやライブに魅力的なものがあるけど、時間的に見に行けなくて残念だなぁと思ったからです。 各地のフェスは、地域経済振興の目的であることはわかりますし、できれば観光も併せていってみたいなぁと思いますが、クルマを運転しなくなった(クルマもない)身としては、新幹線に乗って、最寄り駅からタクシーなりなんなりで行くのはつらいなぁ、この人のライブだけでいいんだけど、ネットで見ることができたらどんなにいいだろう、と思ったのです。 各地のライブハウスのライブも、行ってみたいけれど、なかなか行けません。 近場のライブハウスでも、仕事や生活の都合で行けなかったり、ましてやパンデミックのようなことが起これば、人生を守って生きている多くの人たちの足は遠のきます。 私のように、仕事の都合や生活のサイクルなどで物理的にライブ会場に行きたくてもいけない人たちもいるんじゃないのかなぁ? と思ったのです。

それから、ライブ会場での物販がアーティストの売り上げの助けになっているのはわかりますが、ライブ演奏を全国の音楽好きへ向けて有料配信することが(さして欲しくもないあたかも神社のお守りのエクイヴァレントつまりご喜捨のような)ロゴ入りTシャツやマグカップといった物の販売に代われる可能性もあるんじゃないかなあ?と、素人考えながら思ったこともあります。 

以前購入した西直樹氏のオンラインピアノ講座は、授業1コマを購入後1年間はそのコマの動画を見ることができる、みたいな仕組みだったと思います。 リアルタイムで視聴できない人もいると思うので、ライブ映像を購入後しばらくの間見ることができるみたいな仕組みも可能なのでは、と素人ですが勘ぐっています。

スポーツのパブリックビューイングや、歌舞伎の舞台映像を映画館で上映する、教授のNYでのクローズドなライブを映画として映画館で上映する、ライブ映像のDVDの販売などは、概してパブリックビューイングですが、ネットを使えば、たとえばライブハウスでのライブ映像を有料でネットパブリックビューイングにするのも同じだと思う。 もし飲食店であるライブハウスが無理であれば、究極的には、ミュージシャンが自分の自宅やスタジオからライブ演奏し、その視聴を有料で販売することも可能なのではないか。 自分が製作したCDやグッズと同じように、自分のライブコンテンツも販売できるのではないか(ミュージシャンに限らず、落語家や漫才師をはじめすべてのエンターテイナーで、これが可能なのではないか)。 そうすれば、視聴する側にしても、日本中どこにいても、ウザい広告動画にイラつくこともなく、生演奏にはかなわないもののネット上でライブを観ることができるのではないか。 

 

 

音楽教室著作権使用料の支払い

これも①と同様、音楽なり文芸なり芸能なりのコンテンツを創作する人たちが生計を立てていけるような仕組みは、日本のコンテンツ産業の振興と保護のために一定の重要性があるため、コンテンツを単に使用するだけで経済的利益を得る人たちが使用料を支払うのは理にかなっていると思います。

そして、実はここが、その業界のプロと素人の分かれ目です。 音楽業界でいえば、プロの作曲家・演奏家と、素人であるファンやお客さんの分かれ目です。 素人の音楽ファンが大好きなJ-popアーティストの曲を耳コピ&演奏して個人で楽しむぶんには、使用料の支払いは発生しません。 「個人で楽しむ」というのは、自宅から出さないということです。 自分だけで、あるいは、同じ屋根の下に住む家族の中で、ということです。 物理的にもネット上にも出さないということです。 人前で発表しないということです。 ましてや、その曲の使用を通じて何らかの収入を上げてそれを全部自分のものにすることは、もっての外です(詳しくは、文化庁だったかな?の著作権に関するサイトで専門家に聞いてみるとよいでしょう)。 

その曲の使用を通じて何らかの収入を得た瞬間から、話は変わってきます。 カラオケボックスやライブハウスでは、収益の一定額を使用料として支払っていますが、使用料を支払っていることは、プロの業者として認められていることの証明です。

プロの演奏家もしかりです。 プロの演奏家は、著作権が残っている作品を演奏する場合、原作者に使用許可を申請して了承を得て、使用料を払って演奏しています(使用を許諾するかどうかや、使用料を請求するかどうか、請求する場合の使用料の金額は、作品の原作者(音楽出版社)の判断にゆだねられます)。 原作者の意向によっては使用許諾をもらえないこともあります。 この煩雑なプロセスを経て、お金についてもちゃんとする - それがプロの証なのです。 このプロセスを経ずに勝手に人の曲を演奏して利益をぜんぶ自分のものにして平気でいることは、自分だけがプロ気取りで実際は業界から認知されていない「自称プロ」の証です。

楽譜ダウンロードサイトに掲載されている楽譜も、音楽出版社を通じて原作者の了解を得たうえで、初めて作成された楽譜が販売されています。 もちろん、楽譜の売上の一定額が原作者に支払われるようになっています。 そうではない楽譜は、プロが作ったのではない、素人が作ったモグリの楽譜です(たとえ音大を出た人であっても、プロとしての基本的な自覚が無いので、その人は素人です)。

プロと素人の絶対的な違いは、才能とか技芸の巧拙とか資格の有無とか専門学校を卒業したかどうかではなく、お金についてちゃんとしているかどうかに尽きます。 収益を上げるための原材料の調達に関して、然るべきお金を然るべき人に払って事業を続けているかどうか? これが、プロ(営利事業)か素人(趣味道楽)の境目です。 著名なプロの演奏家であれば、著作権使用に関する煩雑な事務処理を所属事務所がやってくれます。 個人事務所の場合は、本人がそのプロセスを行っているか、あるいは、自作曲で勝負しているはずです(著作権に関する作業が発生しない)。 演奏家でも音楽教室でも、ちゃんとした事業者は、ビジネスとしてちゃんとしているわけで、だから業界から認知されているため、支払うものを支払っているのです。 逆を言えば、支払うものをちゃんと支払っているから、業界から正式に認知されているわけです(確定申告についても同じです)。 そうじゃない業者は、業界から相手にされていない  - 大学生の家庭教師バイトと同じ程度ということです。 

「教育」の目的のもとでは、まだパブリックドメインになっていない作品でも著作権の使用料の支払いは発生しないはずです。 日本では、国民に等しく提供される義務教育が教育を担ってくれています。 小中学校の授業の外での「教育」は、日本において日本人が生きる上で必要とみなされないプラスアルファの内容であり、実質的には「趣味道楽」のカテゴリーです(子どもの頃にピアノを習うことなく、ちゃんと成人して社会人として立派にお金を稼ぎ家族を扶養している人が大勢います)。  

戦後の半世紀で日本人、というか世界中で音痴(オンチ)の人が激減したのは、カラオケの普及によるものです。 昭和の時代、カラオケが普及し始めた頃は、想像を絶する音感オンチ&リズムオンチの大人がたくさんいましたが、今はひどいオンチは少なくなりました。 それは、前世紀の後半にメロディとハーモニーとリズムが急速に複雑化していったJ-POPを歌手になりきって歌いたい若者たちが、カラオケボックスに行って楽しんで歌っているうちに、自然に音感が向上したのです。 楽しんで夢中でやっていれば、先生は不要なのです。 

(コンテンツの作り手である原作者に然るべき報酬が然るべく支払われる仕組みがあるべきである、その一方で、その仕組みが肥大化すると、要らぬ利権や既得権が発生して、その仕組み自体が報酬を吸い取ってしまうようになると、ロクなことになりません。 当初は実質的に主婦のバイトだったようなものでも、そんな零細な人達が集まって団体を作ると、いつのまにか団体という組織自体が大きな権力を持つようになり、組織をまわすための組織になってしまうと、お客さんに提供されるサービスの質が低下するなど、業界全体の低生産性につながっていき、時代の進化のなかに取り残されていってしまう、というのが、世の常です。 同時に、本当に実力のある有能な人達は、プロとして日々自分のイノベーションを欠かさないため、いつの時代も生き残る、というのも、世の常です。)

 

著作権は、プロ/素人にかかわらず、その作品やコンテンツを作った人が所有しています。 当然のことながら、素人が作った音楽や文章にも著作権があります。 プロが素人の音楽や文章を流用する(パクる)のは論外ですが、素人が流用する場合であっても、引用元を明記するのが、人として誠意ある対応です。

 

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